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第十一話 双輪の火蛾



「な、なんで……」


後じさる。鉄のドアに背中がくっつく。角灯と剣の輝きに照らし出される地下室で、フィラルディアの影は怪物のように踊る。


「どうしてだよ! 勇者様! なぜ勇者様が!」

「あの男の言ったとおりだ。私は竜を殺し、その真なる竜銀レアルドルムを奪った。そして南方にて新たな竜を生み、遠征させようとしていたのだよ。その目的は一つ、我々の勢力が世界の覇権を握るためだ」


だが、と剣をアトラに向ける。


「まさか終戦派とやらにザッカーが関わっていたとはな。竜銀ドルムの武器を求めるためだけに南方に来るとは考えにくい。奴は我々の邪魔をするためだけに来たのだ。ご苦労なことだ、頭が下がる」

「ほ、本当に、勇者様が」


勇者が、何なのか。

人殺し、という言葉が最も強いが、それですら形容しきれぬ恐ろしさを感じつつある。

アトラの中で認知の歪みが起きる。アトラの持てるどんな言葉でも表現できぬ邪悪。さりとて捨てきれぬ善の虚像。アトラには理解の及ばぬ怪物。形容する言葉のない混沌の存在。アトラは意識が混濁するほどの混乱の中にいる。


「私は私だ。私は竜殺しの勇者であり、世界の覇権を握らんとする者。私は世界と等しくありたい。世界の行く末が私の行く末であればいい。私は私の目的を果たすのみ」

「も、目的……」

「もう分かっているだろう。我々の戦争には竜銀ドルムの武器が不可欠。アトラ、君の言うようにその模型も重要な戦略的資源、というものだ」

「う、ぐ……」


ドアに張り付く、到底逃げられはしない。それどころか、身じろぎ一つで首を飛ばされそうな殺意がある。アトラにすらそれを分からせるほどの格の差が。


「見逃してもよかった。だが終戦派の集めていた竜銀ドルムの武器を奪われたからな。行きがけの駄賃に、その模型ぐらいは持って帰らねば格好がつかぬ」


それに、と、さらににじり寄る。


「我々はまだ補給を続けねばならない。ヴァスカンとベルセネット、コールイにも寄って補給を続ける。余計な噂を立てられては困るのだよ」


アトラは何もできない。逃げねばならぬと分かっているのに、足が動かせずに――。


ずん、と地鳴りがする。

遠く響く轟音。巨大なハンマーで大地を打ち付けるような音だ。フィラルディアがはっと天井を振り仰ぐ。


「火蛾竜ルンダ・ア・リピ……。こんなところで仕掛ける気か。とことん我らの邪魔を……」


ばん、と鉄扉が開かれ、アトラがドアの隙間から抜け出す。


「! 待て!」


はっと外に踏み出せば、もはや少年の姿はない。橋の向こうに続く階段にも足音はない。ただごうごうと水音が満ちるのみ。


「……まさか、模型を使って下水に飛び込んだのか。どこへ通じているかも分からぬのに……」





地上の光を感じ、空の一点から腕を伸ばす。

そこには勢いよく流れていく石の角面があった。それを掴んで体を引き上げる。


「う、ぐっ」


なんとか地上へまろび出れば、そこは街を流れる川である。中央部分は水量が多いが、端にはゴミが溜まっている。

全身に汚水をかぶりながらも、なんとかアトラは地上に出て、己の入っていた模型も拾った。


「こ、ここって……そうか、ここに出るんだ」


街からやや下った位置を流れる川。下水の混ざった流れはもはや魚も住まず、遠く南へと流れていって、海と呼ばれる沼地に流れ込むだけの川だ。


アトラのいるのは市街地の南限あたり、古びた倉庫が並び、角灯が遠目にいくつか並んでいる。

人は多くはない。今は砂海の港、つまり街の北側に人手を取られているためだろう。


「に、逃げなきゃ。そうだ、家にある模型の本体、あれを隠さなきゃ」


自分は数百メートル流されていると推測する。走って帰るとなればかなりの距離だが、泣き言は言っていられない。

アトラはすでに走り出している。下水を被った姿はとても人目に晒せなくなっているが、そのような己の姿に気づきもしない。


「……?」


気付く。空が妙に明るい。網膜に届く赤い光を感じる。

街のどこかが燃えているのだと理解する。雲を照らす赤光しゃっこう。魔王のような黒煙。

そういえばフィラルディアが攻撃がどうのと言っていた。これはその影響だろうか。


ふと脇を見れば、老女が空を見上げて両手で口元を押さえている。何かに怯えるように。


「え……」


天の一角。


そこにいたのは蛾のような影。

だが、どこか禍々しい姿をしている。胴部は複数の球体を連結したようにくびれた部分があり、その羽は完全な円形で、胴体に接続・・・・・していない・・・・・


胴部から少し離れた位置に二枚の円があり、まるで翼のように羽ばたいているのだ。その羽根は白を土台とし、赤や紫で同心円を描いて、中央には鮮やかな蒼の眼状紋が見られる。蒼い眼は意思を持つように、羽ばたくごとに同心円の中で揺れ動いて見える。


羽ばたきはひどくゆっくりとした動作だが、距離感がおかしい。

アトラの視点では手のひらほどの大きさに見えるが、あの蛾はもしかして、途轍もない高さに浮いているのでは、と思う。


そして変化が起きる。

蛾が大きく羽根を打ち下ろすと、水中で波紋を起こすように空気が震え、リング状の歪みが地上へと降りていく。降りるごとにそれは透明な歪みからオレンジに、そして宝石のような真紅の輪となって、アトラのやや前方にその輪がかかる。バターライダーの街の六割ほどを埋める輪投げとなって。


ごう、と、そばにあった街灯が炎上する。


「えっ!?」


何の変哲もない鉄の街灯。竜銀ドルムのまじないによって輝くはずのそれが、蝋燭のように燃える。

それだけではない。前方では民家が、倉庫が、荷車が次々と炎上する。火の気もないはずなのに、一瞬で炎の怪物へと変わる。


「なっ……何が」


そして爆炎。

視界の果てで火柱が打ち上がり、それは一瞬で成長して天を突くほどの高さとなり、吹き上がった水柱が形象を崩すように、炎の滝となり、そして莫大な量の炎の河となって四方八方に広がっていく。数ブロックを一気に沈める眺め。アトラの視点ではただ一面の炎の壁、そして蒸発していく黒い影たち。


「こ、これ、もしかして竜の攻、撃……」


そして見た。

バターライダーの街をまたぎ越えた向こう。小山のようになだらかなシルエットを見せる竜。

大小無数の鉄杭を打たれていた竜の背甲が発光する。全体が緑に輝き、網状の光が首から尾部へと走り、そしてほとばしる柱のような光。複数の光条が雲を突き破り、蛾の表面に届いて小爆発を生む。

アトラの眼からはビー玉ほどの爆発。だが実際には城をまるごと吹き飛ばすほどの爆炎。蛾が左右の円を打ち付けて一気に上昇。緑の光から逃れんとする。


そしてこの時点で、ようやく火炎が街の外縁部に届きつつあった。大路を埋め路地を埋め、あらゆるものを消し炭に変えて荒れ狂う炎の洪水。


「う、うわああああああっ!!」


背を向けて駆け出す。その背中に焼きごてを当てられたような熱気。少しでも足を止めれば命が危ういと確信できるほどの。







「何が起こってるの……」


蛾はすでに空の彼方に去った。だがバターライダーを焦がす炎は弱まることを知らず、空を夜闇に変えるほどの黒煙が上がり、炎の熱気はこの町外れまで届くかに思える。

クイッカは家の前に立って、不安に押しつぶされそうな中で一心に祈る。


「アトラ……無事でいて。お願い、生きて戻ってきて……」


できるならば街まで探しに行きたかった。しかしそれが不可能であると、誰の眼にも分からせるほどの大火災。人を探すどころか、街に近づくだけでも命に関わる。風向きのために火の粉がこの林にかかることは避けられているが、その風もいつ気分を変えるか分からない。世界の滅びすら連想させる火の海である。


「! アトラ!」


道の彼方に少年の姿が見え、クイッカは駆け出してその体を抱きとめる。


「く、クイッカ……」

「無事でよかった。街が大火事になってて、助けにも行けなくて、私……」

「クイッカ、それどころじゃないんだ、すぐにあの模型を隠さないと」


え、と疑問の顔になるクイッカの手を引き、木造りのアトラの家へ。


「ど……どうしたのアトラ」

「クイッカ、早く模型の中に。僕がどこかに運ぶ。いや、このまま走って逃げる。あいつに見つからない場所へ」


そこへ、馬のいななきが一つ。

アトラの背中が、びくんと剛直する。


「! まさか!」


窓を見る。道の向こうから騎乗した人物がこちらに向かっている。


「そ……そんな! なんでこんなタイミングで!」


そして気づく。気づいて奥歯を砕くほどに顎を噛みしめる。


あれは待ち伏せだ。

あの馬に乗っているのはおそらく勇者フィラルディア。彼女の目的はアトラの持つ模型と、アトラ自身の口封じだ。木陰に身を潜め、その二つが揃うのを待っていたのだ。


「誰、あの人……?」

「う、うう……」


背後の窓から逃げられないか、あるいは家のどこかに隠れられないか考える。

だが模型は持って逃げるには大きい。隠して隠しきれるものでもない。ましてクイッカを連れてでは。


そしてアトラは、戦慄の連想に背筋を凍らせる。

フィラルディアの目的はアトラの口封じ、ならば、自分が接触した人間すべてが対象になるのではないか、と。


すなわち、自分の隣にいる人物。

アトラの仕事仲間であり、姉であり母でもあるような女性。


まだ事態を把握しきれず、街のことも勇者のことも知らぬ、この無垢なるクイッカさえも――。




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