第八話 統率者ザッカー
陽が高まり、人波は港へと押し寄せつつある。かの都市曳航竜を一目見ようという者もおれば、遠征隊に加わろうとする者もいる。もちろんそれとは別に、徴兵を逃れようと町を逃げ出す者も少なくなかった。
アトラは人混みを縫うように走り、十数メートル先の男を追いかける。やがて街の外れに来て、男は追っ手がいないか何度か振り返るが、道の端を歩くアトラは眼に入らないようだ。
そのまま古びた民家へと至り、細い路地に折れると裏口から入っていった。
「あそこが、えっとアジトってやつかな。どうやって入ったらいいんだろ」
そこで気付く。裏口のドアには下部に四角の切れ込みがある。これは猫用のドアだ。
「……あ、そうだ!」
アトラはポケットから模型を取り出す。透明な覆いのかかったそれを横向きにして、ドアとは反対側の端から転がす。そして素早く模型に滑り込む。
瞬間、体が引っ張られる感覚。
真下に降りて、草地にぽんと降り立った。落下した高さは一メートルほどしかない。
「……模型を横向きにしてても中は横倒しにならないんだな。そりゃそうか。模型の中が揺れたら、持ち歩いた時に中がグシャグシャになっちゃう」
そして立ち上がると、ある地点から景色が切り替わって床が見えた。板張りの廊下であり人影はない。
「よいしょっと」
そして這い出るように模型から出てくる。これも不思議なことだが、模型から出ている部分は体が床に張り付くように思える。上半身と下半身で重力の向きが違うためだが、アトラの主観ではそこまで理解は及ばなかった。
ついでに言えばスノードームほどの大きさの模型に入れることも不思議ではあるが、アトラはそこは気にもしなかった。
「よし潜入成功。便利だなあ、手だけ出したりもできるから、狭いとこに入り込んでも何とかなりそうだし」
「ザッカーさん、これで全員だ」
声が聞こえて、慌てて物陰に隠れる。
そこは六間ほどの民家であり、奥まった広い部屋に何人か集まってるようだ。アトラはそっと移動する。
白木のドアの向こうから話し声が聞こえる。その横にクローゼットがあったので、アトラはクローゼットの上にスノードームサイズの模型を置き、そっとドアを開いてから模型に潜り込んだ。天井との距離が近いので、ちょっと頭がつかえつつ入る。
「おい、ドアが開かなかったか?」
「いや、あのドアちゃんと閉まらないんだ。……大丈夫誰もいない、何かで固定するか?」
「……いや。外の気配にも気を付けないといけない。開けとこう」
「了解」
模型の中は、元々のジオラマに比べるとかなり狭い。一人用のテントほどの大きさだろうか。横には立ち木が生えているが、低いところの枝に触れられる程度で、それ以上に腕を伸ばすと外に出てしまう。
「狭いなあ、小さくちぎると一つ一つは中が狭くなるのか……」
「ザッカーさん、あんたの言う通りに徴兵が始まった。いよいよだな」
耳を澄ます。
少年の行動は途撤もなく危険と言わざるを得ないが、模型を手にしたことがアトラを大胆にさせていたのか、それとも都市曳航竜を見たためだろうか。何でもできるという万能感が彼を支配していた。
「ええ、この街の財産を吸い上げられるわけにはいきません。我々が強く呼びかけ、人々をまとめましょう」
(あの声……さっき演説してたやつだな)
どうやらその男が中心的存在であり、ザッカーと呼ばれているようだ。
「ザッカーさん。新顔もいるんだ、あの説明を頼む」
「分かりました」
アトラは、その必要はないものの木のそばにそっと身を寄せる。音はほぼ真上から聞こえていた。
「私ども終戦派は、各地の街を回って戦争の終わりを訴えております。人は我々を臆病者とか裏切り者などと呼びますが、我々の活動はけっして怯えや弱音からではない、確固たる信念によるものです」
「ザッカーさん、本当に戦争は終わってるのかい?」
「というより、魔王との戦争が続いている根拠が何一つ無いのです。かつて飛来していた飛竜たちは目撃されなくなったでしょう?」
「野生の怪物ぐらいはいるけどな、竜は見ねえな」
「それに、魔王の生み出したという十七の巨竜。人間はその竜をまじないによって奪い、都市曳航竜として使役し、大規模な遠征隊を組織しました」
そこで一度言葉を切り、全員に噛んで含めるように告げる気配がある。
「あれこそは魔王の最大の力。その竜をすべて奪った時点で、勝敗など決したも同じことではありませんか?」
「だが、あの亀みたいな竜は何なんだ? 十八体目がいたってことか?」
それはアトラも気になっていた。
もう遠征隊はない。その根拠として街の人々が漠然と思っていた理由がまさにそれである。都市を曳く巨竜は世界に十七あり、人間は長い時間をかけて魔王からそれを奪ったという。
大いなる砂海を渡るための竜。その竜をすべて奪った以上、もう遠征隊は組みようがない、という理屈だったはずだ。
「分かりません。魔王はその手から真なる竜銀を生み出して獣を竜に変えたと言いますが、人間に見つかっていなかった十八体目が存在していたのかも」
「それにだ、魔王がいないなら、北方の遠征隊は何と戦ってるんだ?」
「とるに足らない魔物たちでしょう。もはや人類の脅威とも呼べない」
いずれにしても、とザッカーは強く言う。
「魔王の影が見えないのは同じことです。遠征隊とは言いつつ、この街では物資を吸い上げているだけ。彼らは王の威光を借りて、健在なる南方の地から物資を集めているのです。彼らのやっていることは人類に必要なことでしょうか。違う。彼ら自身が安穏と過ごすための詐欺でしかない」
「……」
アトラは木の根本で考えていた。
ザッカーという男の声には独特の深い響きがあり、聞くものに心地よさと高揚感を与える。そして芝居がかった熱のある演説のために気づかれていないが。話が不自然な部分に差し掛かると、声を強くして素早く話の矛先を変えている。
アトラにそこまで理解できた訳ではないが、確かに、魔王がいないのに遠征隊を組織する、というのは不自然に思える。
しかしそれを言うなら、ザッカーの言う南方から物資を吸い上げるという表現もおかしい。魔王との戦争が終わっているなら、人間は南方に住めばいいではないか。
「十八体目の竜……あんなでっかい亀が見つかってなかったってのも変だし……。んん……でもそういうこともあるのかな……? くそー、よくわかんねえ」
アトラは疑問に思うだけ健全と言えた。集まってる男たちは深い同意を示し、ザッカーに賞賛の声を投げる。
それはとりもなおさず、彼ら自身が遠征を忌むため。物資の買い上げに抵抗があるための反応だった。
己の身を守るための理屈として、ザッカーの言葉に飛び付いているとも言える。
「だがザッカーさん、王の勅書に逆らえば重罪だぞ」
「手はいくらでもあります。遠征隊はバターライダーを離れて消息を絶ったことにしてもいいし、魔王の実在について、堂々と王に真相を要求してもいい。そもそも各都市が分断されている現状、国体など崩壊しているも同然で……」
話は細かな疑問に答える流れになっているようだ。兵士たちの装備についてや、市民たちへの呼び掛けについて。遠征隊から何が奪えるかについて……。
「必要なのは竜銀の武器です」
ザッカーが言う。
「兵士たちは見たところまだ100人程度、竜銀の武器もさほど見当たらなかった。バターライダーの街には有事に備え、武器が集められていると聞いています」
「ああ、大丈夫だ、南に下ってきた市民から竜銀を集めて、まじないのかかった武器を作ってるんだ。そうだろ、グレフィードさん」
「ああ、額にして20億もの竜銀が……」
その名と声を聞いて、アトラがはっと顔を上げる。
「財務官の爺さん!」
はたり、と声が止まる。
「今の声は?」
「え? 何か聞こえたか?」
「いや、はっきりと向こうの方から……」
数人がぞろぞろと出てくる気配があって、アトラは慌てて口を押さえた。