序章 第一話 残り香の村
太陽が東の果てにゆっくりと昇り、世界のすべてを火で滅ぼして中天に至る。
その村は複数の丘に囲まれていた。
わずかに20ほどの民家が大地にへばり付くように並び、ひさしの影が色濃く落ちている。
砂色になりつつある畑には茶色の草。羽虫が倒れた牛に群がり、この獲物をどう喰らい尽くそうかと旋回している。
そこに差し掛かるのは、騎竜。
馬とトカゲをかけ合わせたような四足の獣。うろこのある体は乾燥に耐え、瞬膜を備えた眼は砂を素早く払いのける。
竜の上には二人。一人は麻の服に、顔には布を巻きつけたような砂漠の旅装。分厚い遮光ゴーグルをかけていて顔はほぼ隠れている。
背後の人物は黒いローブをまとった女性。騎上でサンダル履きの足をぷらぷらと動かし、フードの下では肌が汗ばんでいた。
「いい匂いがするデス」
背後の人物が言う、舌のもつれるような女性の声だ。
「そう?」
竜を駆っていたのは男のようだった。少年のような軽い響きの声。
二人は騎乗のまま村をしばらく歩く、建物の扉は木を打ち付けて閉ざされているか、あるいは無人だった。
「枯れてるデスが、あの畑の草はハーブのようデス。ここでは香草を育てていたようデス」
「そうなんだ、でも水が枯れてるみたい……」
「そんなことより、早く休みたいデス」
「うん……あそこが宿屋かな」
騎竜を枯れ木に繋ぐと、砂地に降りて歩き出す。
村で唯一、二階建てだった建物へ。
「すいません、誰か」
いませんか、と問おうとするとナタが飛んできた。回転しながら柱に突き立つ。
「うわっ」
と声をあげるが、さほど驚いた様子ではない、ナタを一瞥するだけだ。殺気には気づいていた。
「何しに来やがった! もうお前らにやるものなんかねえぞ!」
中にいたのは老人である。酒瓶がいくつか転がっていて、テーブルや椅子がめいめい適当な方向に倒れている。この建物は旅人のための食事処、兼、宿屋とでも言ったところか。
「勘違いです。僕たちは旅人ですよ。何かありましたか」
「しけた村デスねえ、女ものの服ってこれしかないデス」
両手に服を抱えてきたローブの女を、老人から見えないように蹴り飛ばす。
「ほべげっ」
「お爺さん。盗賊か何かに襲われましたか、それなら力になれるかも知れませんよ」
うめき声をごまかすように声を強める。
「お前ら、傭兵か何かか」
「そんなところです。これから北の戦争に参加しに行きます」
「北だと……。虚無の帯を超えられるはずがないだろう」
その言葉に、旅装の男はかるく頭をかく。
「僕のことはいいです。それより盗賊ですか。噂には聞いています。このあたりに魔法使いを擁する盗賊が出るとか」
「ああ……このへんを根城にしている連中だ。ずっと前から村の上がりを奪ってたんだが、ついに昨日、村の女子供をよこせと言ってきた。村の男は逃げてしまってな。そして根こそぎ奪われたんだよ」
「そうでしたか……」
ぐいぐい、とローブの女が袖を引いてくる。
「よくある話デス。関わらないほうがいいデス」
「お爺さん、ではまだ死人は出ていないんですね? 村の人も、盗賊にも」
「まあ、そうだが……」
「僕は模型屋のアトラ、連れは魔法使いのスウロといいます」
ぐいぐいと裾を引く力が強くなる。だがアトラの体幹のほうが強いのか、びくともしない。
「模型屋?」
「僕が何とかします。村の女性と子供たちを取り戻しますよ」
「何だって……?」
スウロはあちゃーと頭を抱える。どうやら何度も見ている光景らしい。
「む、無理だ。20人からいるんだぞ。それに竜銀の魔法使いもいる」
「大丈夫です」
あまりに平然と答えるので、老人も少し毒気を抜かれた様子になる。ちょっと薪でも拾ってくるほどの気安さである。
「大丈夫、って……あんたたち、そんなに腕が立つのか?」
「いえ、僕は盗賊たちを殺しません」
「何だって」
アトラはゆっくりと建物に踏み込み、両手足を投げ出している老人の前に膝をつく。
彼は大きな包みを背負っていた。布でぐるぐる巻きにされたそれは亀の甲羅か、何かの繭のようにも見える。
口あての布を下ろし、分厚い遮光ゴーグルを上げる。つんと尖った黒髪に赤銅色の目。少年のようなあどけない顔立ちの人物だった。
「さらわれた人は連れ帰ります。でも僕は誰も殺したくないんです。盗賊がこれまでも村にひどいことをしたかも知れませんが、その仇をとる、というわけにはいかない。それで納得していただけますか」
「な、納得する、も何も……」
老人は、自分はよほど酔っているのかと思ってまばたきをする。だが眼の前の男は消えたりしない。
「わ、わかった……女子供が戻るなら、それで十分だ」
老人は身を起こし、まだ信じられないという様子である。
「盗賊のアジトって分かりますか?」
「西の方にある渓谷の中らしい……今から行くのか?」
「え? 行きませんけど」
…………
……
「……は?」
「これを使います」
アトラはテーブルの上に背負いを下ろす。
布をほどくと、透明なドームに覆われた模型のようだった。内部にいくつかの建物が並んでいるようだが、よく見えない。ジオラマのたぐいかと思われた。
「それは?」
「まあ竜銀の魔法のようなもので……遷移「森」」
ガラス蓋が一瞬曇り、中身が変化する。
それは鬱蒼とした樹海のジオラマ。大木がガラス蓋の高さまでそびえ、地面の見えない密度の濃い森が築かれている。
「スウロ、さらわれた人を助けるから手伝って」
「しゃあないデスねえ」
ローブの女性がフードを下ろす。こちらはすみれ色の眼と髪、肉厚で艶のある唇。まだ若そうだが妙に色香のある女性である。砂漠の旅人にしては肌に瑞々しさがあり、ついでに言うなれば肉付きは常人を大きく超えている。
スウロと呼ばれた女性は、模型の上をかすめるように腕を振る。
「とべー」
なんだか気の抜けた掛け声だったが、模型の中から沸き立つのは鳥の群れ。
数十羽もの大型の猛禽類が翼をばたつかせながら現れ、風をがしりと掴んで一気に加速、建物の入り口を抜けて飛んでいく。
「あれは……サビイロオオワシじゃないか。なんでこんな砂漠に」
「あれはスウロの使い魔です。遷移「写し」」
また変化する。今度は何も乗せられていない。銀色の板にガラスの覆いをかけただけの塩梅である。
「それは……竜銀の魔法具なのか。えらく高度なもののようだが」
「はい、写しの模型です。使い魔は速いですから、そろそろ来るはず」
その空白のジオラマに変化が生まれる。
中央に石造りの砦。かつては関所ででもあったのか、三層の円柱状の建物が谷あいにそびえている。ジオラマの地面は赤茶けた砂となり、砦の左右に崖が生まれる。
建物の周囲には見張りの男が散らばっている。屋上にも一人が座り込んで、こちらは寝そべって酒をあおっていた。人形のようだが、細部まで作り込まれた精密なものだ。
「こ、これは、もしかして盗賊の根城」
「拡大、透過」
その円筒形の砦が大きくなる。というよりも視点が近づく。
壁と天井の一部が半透明になり、寝台の並ぶ部屋に女と子供たちの人形が転がっていた。児童書にある建物の透過図のような眺めだ。
「三階の奥の部屋デスね。屋上から入ってすぐデス」
「それじゃ行ってくる」
アトラが動く。別のテーブルの上に片足をかけ、三角飛びを決めるようにさらに高く飛ぶと、模型の中に両足から突っ込んだ。
その姿が音もなく消える。まるで水面に潜るように。