悪役令嬢 サラ・シルフォード1
===グレイクス公国====
「平民が神鏡に選ばれた!」
ここ数日、学園ーーいや、国中が大騒ぎになっていた。
グレイクス公国には初代国王が用いたとされる2つの宝具がある。
1つは神剣カルム
振れば闇を払い、突けば天を制し、斬れば魔人を討ち滅ぼすとされる。
もう1つは神鏡アクト
祈りを力に使い手の分身たる魔人、『守護騎士』を召喚出来るとされる。
この500年、これらの宝具を扱える者は1人としておらず、最早おとぎ話となっていた。
しかし3年前、当時12歳であった皇太子シルヴァが神剣の使い手に選ばれた。
その力は伝承の通り、一振りで周囲を吹き飛ばすほどのものだった。
だが、伝承には続きがある。
【グレイクス国王は魔人を討ち滅ぼした。しかし、現世から逃れた魔人はその限りではない。再び魔人が現れた時、全ての宝具も覚醒する』
つまり、神剣が王子を選んだ以上、神鏡も誰かを選ぶ筈。そして、宝具の使い手は魔人と戦わねばならない。
だが、神鏡が選んだのは何処にでもいる、普通の少女であったーー
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==シルフォード公爵邸===
窓も何も無い廊下で、腰ほどもありそうなブロンドの髪は、風でたなびいていた。
「お父様!!」
執務室の扉が勢いよく開く。部屋の主は娘のらしからぬ行動に、ため息混じりに声を出す。
「……あぁ、サラか」
「サラかじゃありません! 私とシルヴァ様の婚約を破棄すべき、と陛下に進言したというのは本当ですか!?」
「やはりその事か……。当然だろう。宝具の使い手が揃ったのだ。伝承の通りなら、それは魔人復活を意味する。
なればこそ、お二人の結びつきを強めるのは我らの責務だ」
「そんな事! お二人だけで魔人と戦うわけではありません! 当家を含め全ての貴族がーー」
「だからこそだ!!」
「っ!?」
部屋に響いた怒声が静寂を生む。その後、やるせない表情で娘に語りかける。
「今は国をまとめることが最優先だ。そんな中、当家だけが王家と繋がりを持ってみろ。間違いなく、他家からの反発も強くなる。最悪、後ろから討たれかねん」
「し……しかし、国の一大事にそんな事をする愚か者などーー」
「いる。その証拠に未だに魔人復活を信じておらんどころか、殿下が神剣に選ばれたことすらハッタリだと唱えるバカもいる」
「ですがーー! だって……」
先程の激情も忘れた少女の手は、マメで硬くなっていた。彼女は婚約者に相応しい女となる為に、自分の全てをかけてきた。特に槍の稽古では、文字通り血の滲む努力をしてきた。
だが、これらの努力は【神鏡に選ばれなかった】というだけで全てが水泡と化した。
「お前の殿下への想いは知っている。お前の努力だって見てきた。特に、殿下が神剣に選ばれてからのお前の姿。それを思えば私とて悔しい。
だが、これは国の存続に関わる事。憎んでくれて構わない。……すまない」
そう言って目を伏せる父を責められるほど、少女は幼くなかった。悪いのは、神鏡に選ばれなかった自分なのだと理解した。
けれどーー
「うぁっ……あぁぁぁぁぁぁ!!!」
溢れる涙も、声も、抑える事もままならず、少女は泣き叫んだ。
だが、悲劇はまだ始まったばかりであった……
…………
朝日に照らされ煌めく金色の髪。いつもの光景ではあるが、だからこそ持主の気分など無視するかのようで疎ましく思えてしまう。
「お嬢様、今日くらいお休みになられては……」
普段は無言で髪をとくメイドも、今日は優しい言葉をかけてくる。彼女はサラが産まれた時から仕えているが、サラはそんな彼女でも見た事が無いほどに憔悴していたからだ。
「……ありがとう、フローラ。でも、まだ正式に婚約破棄された訳じゃないもの。ひょっとしたら、陛下も上申の事実だけで、シルフォード家を庇ってくださるかもしれない」
「お嬢様……。そうですね。お嬢様のご努力は、陛下や殿下もご存知ですからね!」
サラも、メイドも、そんな事はありえないとは分かっていた。それでも、仮初の希望にすがるほどにサラは追い詰められていた。
「さ、学園に行きましょう」
机に置いてある勾玉のネックレスを手に取る。がーー
「……?」
ふと、机の位置がズレていることに気づいた。昨日のうちに、誰かが部屋を掃除したのだろうか? だが、今のサラにはそんな事を考える余裕は無かった。
何も言わずに部屋を後にする。ここで聞いていれば、運命は変わったかもしれないのにーー
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==学園前=========
いつも通りの時間、いつも通りの馬車で学校に到着した。
だが、校門前には人が集まっており、いつもとは違う様子だった。
「何の騒ぎかしら?」
「さぁ……しかしなにやら剣呑な雰囲気ですね。おや? あれはドゥーク侯爵ではありませんか?」
「本当ね。でも、あの男がどうして?」
ドゥーク侯爵。彼女の父の政敵の1人だ。
黒い噂も多い人物だが、尻尾が掴めないとぼやく父の姿をサラは思い出していた。
そんな中、様子を伺っていた彼女達に気づいた男が叫ぶ。
「来たな! 国を揺るがす悪女めが!!」
「なっ!?」
念のため、周囲を見回すが辺りに人はいない。
間違いなく自分に向けた言葉だとわかった途端、頭に血が上り、激情に任せて飛び出してしまう。
「ドゥーク侯爵! 貴方は公衆の面前で淑女に恥をかかせるおつもりですか!?」
「ハハハ、ご冗談を。馬車から飛び降り大声をあげる女を淑女とは言いませんな」
「っ!?」
自分の行いを思い出し真っ赤になるサラ。そんな彼女の様子に気を良くしながら男は言葉を続ける。
「さて、悪女よ。何か申し開きはあるか?」
「いい加減にしなさい! 誰が悪女よ!」
「……サラ、少し落ち着くんだ」
「っ!? シルヴァ様!? 何故こちらに!?」
突然の婚約者の登場に混乱するサラ。そしてその隣に立つ、神鏡に選ばれた少女、クレアと目が合う。だがーー
「……? クレアさん、どうしたの? 何か様子が……?」
神鏡に選ばれるという、これ以上ない光栄な身でありながら、彼女は今、喜ぶどころか震えている。その上、怯えた目をサラにーーいや、周囲に向けている。
その上、サラが手を伸ばそうとすると、肩を震わせ、王子の後ろに隠れてしまう。
「クレアさん……?」
「ほう。ここにきてもまだ、優しい令嬢を演じますか」
「……先ほどから何のことですか?」
神鏡に選ばれながら、怯え、あまつさえシルヴァにすがる彼女。そんな彼女にいら立ちを覚えながらも、サラは男に対する怒気を強める。しかし、男の様子は変わらない。
「ハハハ、いつまでもシラを切るおつもりなら仕方ない。実はですな、昨晩、そこにおられるクレア様が襲撃されたのですよ」
「……なんですって?」
「幸い、昨日の警備担当は私の兵。問題は起こりませんでしたがね。」
ドゥークの言葉に、サラは瞬時に思考を巡らせる。
(襲撃? 王都で? 確か彼女は学園の寮暮らし。だけど貴族の跡取りが集まる寮の警備が杜撰な筈がない。
それほどの手練れが何故? そして、それをこの男の私兵が防いだ? なによりこんな事をこの場で主張するという事はーー)
「ーーまさか刺客を放ったのが私だと? 馬鹿馬鹿しい。そんな事をして何になるの? 国が滅んで困るのは、私だって同じなのよ?」
「そうですな。普段ならば私もそのような事は申しません。しかし、その刺客がこんなものを持っていたのですよ」
そう言って、「指示書」と書かれた紙を見せてくる。
「何?わざわざ私の名前が書かれていたとでもーー」
そう言いかけて固まる彼女を見やり、男の口元が下品に歪む。
「そう! ここにはあなたのーーサラ・シルフォードの印字があるのです!」
公爵令嬢である彼女は将来政務に関わるからと、専用の印を渡されていた。最近は父の補佐で、簡単な雑務を手伝っていたくらいだ。けれどその置き場所は彼女以外、誰も知らない筈だった。
「嘘……印の場所はフローラにだって伝えていないのにーーはっ!? さっき机の位置が微妙に変わっていたのは!? でも、どうやって場所をーー」
「ハハハハハ! 何を驚いているのやら! 襲撃者が現れ、貴様の印字が入った指示書を持っていたのだ! 言い逃れも出来まい!!」
「あ……貴方……! そこまで卑劣なことを……!」
「卑劣? 恋敵の暗殺を目論む女のことですかな? 昨晩は悲劇のヒロインを演じておられたそうで」
「なっ……!? こ……この……!」
「そこまでだ」
我慢の限界になり、手をあげそうになるサラの前にシルヴァが割って入る。
「シ、シルヴァ様、私は……何も……。私は……」
何故こんなことになったのかも分からず、すがるような声をあげるサラ。
だがーー
「ドゥーク侯爵、サラ、続きは法廷で議論するとしよう」
「ははっ」
「!? そ、そんな、シルヴァ様……私は……」
「サラ。このような容疑がかかった以上、キミと私の婚約は認められない。今後は……シルフォード公爵の申し出の通りになるだろう。……すまない、<シルフォード嬢>」
救いを求めるサラにかけられたのは、更なる絶望の言葉だった。
「……お嬢様……」
フローラが声をかけてくる。が、信頼するメイドの言葉すら、今は聞きたくなかった。
「フローラ……今日は……帰、り……っ!」
言葉につまる。嗚咽が邪魔で声が出ない。それでも、なんとか言葉を絞り出す。
「……ましょう……」
この日、サラは生まれて初めて授業を欠席した。そして恐らく、彼女は二度と登校する事は出来ないだろう。