ちょっと違うけど、婚約破棄です! 〜ざまぁのその先のわたしと王子様〜
三年前ーー平民特待生として王立貴族学園に入学したばっかりのわたしは、経営困難に陥った実家のパン屋を助けるために、悪魔と取引をした。
そして今日、王宮で開かれた学園の卒業式後の夜会、そのツケを払う時がとうとう来てしまった。
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「ーーイザベラ!」
わたしと腕を組むこの国の王太子、ゼルファー殿下は夜会の参加者全員にはっきり聞こえるほどの声で、高らかに断罪の言葉を言い放った。
「貴様のこれまでの様々な悪行はもはや目に余る!今日こそ、その全てを白日の下に晒してやる!」
その言葉を叩き付けられた相手は、ゼルファー殿下の婚約者、侯爵令嬢のイザベラ様だった。
まぁ、もうすぐ婚約者でなくなるけどね!
「悪行……殿下、これは一体どういうことなんでしょうか?殿下にこんな風に叱咤されるような謂れは、わたくしには身に覚えがありませんが……」
一瞬で賑やかだった夜会は静まり返って、参加者全員の注目がわたしたち三人に集まった。
しかしイザベラ様はそんな状況でもなんの動揺する様子もなく、ただ困ったような表情で、小首を可愛らしく傾げた。
あざとい。流石侯爵令嬢あざとい。
「身に覚えがないだと?!白々しいぞ!貴様が可愛らしいミリアに嫉妬して、陰湿なイジメを繰り広げたことは、とっくに把握済みだ!言い逃れできると思うなよ!」
ビシッ、とゼルファー殿下は芝居がかった動きでイザベラ様を指差した。
「ミリア……それはもしかして、そちらにいる平民のミリア・テイルさんのことでしょうか?」
「惚けるな!貴様は何度も何度も彼女に嫌がらせをしていただろう!」
「……嫌がらせ?そんな記憶、全くございませんが……?」
イザベラ様が困惑した表情でわたしの方に視線を向ける。
すると突然、ゼルファー殿下と組んだ方の腕が、ぐいっと小さく引っ張られるのを感じ取った。
これは……ゼルファー殿下からの、”とりあえず抱き付く演技をしろ”、の合図だ!
なので、あんまりない胸をゼルファー殿下の二の腕に押し付けて、わたしは甘ったるい声で名演技を炸裂させた。
「キャー、ゼルファー殿下ぁ〜!イザベラ様がぁ、とっても恐ろしい視線でわたしを睨んだの〜!コワイ〜!」
そんなわたしの渾身の名演に対して、ゼルファー殿下とイザベラ様はーーーー
「…………」
「…………」
無反応だけはやめて……
イザベラ様は不審者を見るような目。
そしてゼルファー殿下は”お前はこれを演技と言い張るのか……?”と言わんばかりの呆れた目を、わたしに向けた。
し、仕方ないもん!そもそもわたし、女優志望でも何でもないし!
そんな恋愛小説の中にしか出て来ない頭の悪い女の演技、わたしにはできっこないよ!
それより、早く続けてくださいゼルファー殿下!
「あ、ああ!心配ないさ、可愛いミリア、君のことは俺が絶対に守ってやるから。イザベラ!貴様、この期に及んでまだミリアを脅かすつもりか!」
「わたくしがミリア様を脅かしたことなど、一度もありませんでしたけど?」
「見え見えの嘘はやめろ!貴様が侯爵家の権力を笠に着て、顔を合わせる度にミリアに暴言や嫌味を吐くことは、全部ミリアから聞いたんだぞ!」
「暴言?嫌味?それは一体何のことでしょうか?」
激昂するゼルファー殿下の咎めに対して、イザベラ様はただ淡々と論破するのだった。
「わたくしが今までミリア様と交わした会話はといえば、ミリア様に『婚約者を持つ男性との過度な付き合いを控えるべき』、『目上の人に許可なく話し掛けてはいけない』など、基本的なマナーを教え差し上げただけですわ」
『えっ……そんなの、ただの常識でしょう……?』
『それを嫌味と受け取るって、一体どういう思考回路を持っているのかしら……?』
イザベラ様の言葉を聞いて、すっかりこの断罪劇の観客と化した夜会の参加者たちは良い具合にイザベラ様の方に共感を示した。
しかしゼルファー殿下も負けじと反論した。
「そんなの貴族社会が勝手に決めたルールだ!ミリアはただ学園に勉強しに来た平民特待生だぞ?!そんな校則でもないルールを彼女に押し付けて、ハラスメント以外の何だというのだ!」
「はぁ……。お言葉ですが殿下、」
イザベラ様は今にも大きな溜息をつきたそうな口調で、丁寧にゼルファー殿下に受け答えた。
「確かにミリア様は貴族社会の一員ではありません。しかしここは王立”貴族”学園、全王国の貴族子女たちが教育を受ける場所ですわ。『郷に入っては郷に従え』という言葉がありますように、王立貴族学園の生徒の一員である以上、ミリア様も淑女のように振る舞うべきではないかしら?」
「屁理屈だ!学園にいる間では生徒は身分関係なく全員平等なのは校則だぞ!いつまでも貴族の身分にしがみついて、上から目線でミリアに指図する貴様こそ、校則を無視しているではないか!」
「ええ、確かに生徒である間、学園はミリア様の無礼な振る舞いを庇ってくれるでしょう。しかし平等とは言っても、目上の人には礼儀正しく接するのは常識ではありませんこと?そもそも学園は社会の縮図でもあります。礼儀作法を学園にいる間にちゃんと学ばずにいたら、社会に出た後痛い目に遭うのはミリア様自身ですわ。その時殿下はミリア様の代わりに責任をとってくれるのかしら?」
「くっ、それは……!」
おっと!ここでゼルファー殿下が言い負かされた!
イザベラ様の雄弁に何も言い返せず、ゼルファー殿下は悔しげな表情を浮かべた。
周りの観客たちも、ゼルファー殿下の面子が関わってるためはっきり賛同はしないが、全員密かにイザベラ様の言葉に頷いていた。
そんな中、ぐいっぐいっと、またゼルファー殿下から腕を小さく引っ張られるのを感じ取った。
二回ということは……これは”とりあえず適当に反論しろ”、の合図だね!
しかし困ったよ…………
このまま頭お花畑のふりをして、『イザベラ様、なんでそんな酷いことを言うんですか!わたしは、ただイザベラ様に一言謝って欲しかっただけなのに!』と言い返しても良いけどさ……
如何せん先程ゼルファー殿下に抱き着いたところの反応で、わたしは自分の演技力の低さを存分に思い知らされたのだった。
もし全部演技だとバレていたら、わたしとゼルファー殿下の計画は大失敗に終わる……!!
よし、決めた。ここからは頭お花畑女の演技を最低限にして、素で言い返そう。
どうせゼルファー殿下からの指示は”とりあえず適当に反論しろ”だけだから、逆に言えば適当じゃない反論をしても構わないでしょ!
「そんな難しい言葉ばっかり並べてぇ、結局全部イザベラ様の自分勝手な傲慢でしょ〜?」
頭の悪そうな間延びした話し方を意識しつつ、わたしはゼルファー殿下の代わりに反撃した。
「自分勝手な傲慢……ミリア様、これはわたくしに対する侮辱と捉えてもよろしいのかしら?」
まるで脊髄が凍りつくような冷たい声で、イザベラ様は突き刺すような視線をわたしに向けたが……しかしわたしは引かなかった。
「だってぇ〜、『郷に入っては郷に従え』とは言うけどさぁ、あなたたち貴族が視察で平民街に来た時も、平民のように振る舞うことはしないでしょう〜?いつもバカみたいにゴテゴテした馬車に乗って、わたしたち平民を道路の両側に控えさせて、もしかしてそれが『郷に従え』のつもりなんですかぁ〜?」
「それとこれは違う話……!」
「なにが違うんです?都合の良い時だけに『郷に入っては郷に従え』の言葉を使ってぇ、いざ自分が従う番になると知らん顔で当たり前のように特権を振りかざしているんじゃないですかぁ〜。もしこれが貴族令嬢の流儀なら、わたしはとってもイザベラ様のようにはなれませんねぇ〜」
煽り満点皮肉たっぷりに、わたしは勝ち誇った笑顔をイザベラ様に見せた。
「ろ、論点をずらすのはやめて頂戴!わたくしが言っているのは、あくまで貴女の常識の欠けた行為についてですわ!」
「あはっ、イザベラ様は本当に自分の”常識”が大好きですねぇ〜。でもまさか不敬罪を犯すほどなんてぇ……」
あえて可哀想なものを見る目をイザベラ様に向ける。
「……それはどういう意味かしら?」
「だって学園の校則は陛下が定めた、つまり王命じゃないですかぁ〜?だからわたしはただ”生徒全員平等”の校則に素直に従って殿下やみんなに接していただけなのにぃ……イザベラ様ときたら、自分の”常識”のために陛下が決めた校則をねじ曲げて、”生徒全員平等”なのに”目上の人”とか、それって立派な不敬罪じゃないですかぁ〜?」
「わたくしはそのつもりでは……!」
「ことわざだけじゃなく、国王陛下の命令まで自分の都合でねじ曲げるなんて、貴族令嬢って本当にお偉いんですねぇ〜」
最後の一撃を放ち、わたしはニマニマとイザベラ様に嫌味満載の笑顔を見せた。
さあ、イザベラ様。ここからどう言い返すのか、見せてくださいよ!
「くっ……!」
……と思ったら、いくら待ってもイザベラ様からの反撃は一向に来なかった。
それどころか、イザベラ様はただ顔を赤くして、屈辱でプルプルしているだけだった。
あ、あれ……?貴族令嬢って、口論にこんなに弱かったっけ……?
ああ、周りの野次馬たちもイザベラ様が言い負かされたことにポカーンとしているし……
き、気まずい……!
「(ミリアお前……なに本気でイザベラを論破してんだよ?!アホ女の演技をするんじゃなかったのか?!)」
そんな中、わたしにしか聞こえない音量で、ゼルファー殿下から非難が飛んで来る。
「(だって……一生懸命の演技が不評だったもん!わたし結構傷ついたよ?!)」
「(だからって演技を全部捨てるか普通?!)」
「(イザベラ様なら反論できると思ったからだよ!彼女は聡明怜悧な貴族令嬢の鑑って話じゃないですか!)」
「(貴族令嬢だからこそだよ!人に命令する立場に立つヤツが、言い争いに出会す状況なんてまずないのは常識だろう?!)」
「(知らないわよそんなの!っていうか、そろそろ間が持たないから、早く続けてください!)」
「(間が持たないのはお前のせいだからな?!……えいっ!どうにでもなれ!)」
小言を言いつつ、ゼルファー殿下はなんとか気を取り直して、イザベラ様に向き直った。
「もう良い!イザベラ、貴様のような女はこの国の未来の王妃に相応しくない!よって、ここで貴様との婚約破棄を宣言する!」
ビシッと、ゼルファー殿下がかっこよく婚約破棄の言葉を決めてやった。
ちなみにゼルファー殿下が『もう良い!』と言ったのは、わたしたちがイザベラ様に完膚なきまで論破される状況を想定して用意したセリフだった。
しかしイザベラ様が言い負かされたこの状況じゃ、むしろそれは屈辱的な目に遭った彼女を哀れむ言葉にしか聞こえなかったけど……
『こ、婚約破棄?!』
『そんな、まさか……?!』
『たかが平民の小娘のために、正式な婚約者を……?!』
それでも、効果は抜群だった。
ゼルファー殿下の婚約破棄宣言を聞いて、夜会の参加者はみな騒然とした。
「ーーーー静粛に!!」
そんな夜会の騒乱を切り裂いたのは、威厳を持った一人の男の声だった。
釣られるように、夜会の人々が視線を声のした入り口の方へ向けると、そこには端正な顔立ちを持つ、王冠を被った壮年の男ーーフェルディナン国王陛下がいた。
そして陛下の後ろには、王妃様や、イザベラ様のパパの宰相さまや、えっと、えっと……まあ、平民のわたしは一人ひとりの名前を知らないけど、とにかく偉い人の行列を引き連れているよ。
「っ父上!」
彼らに夜会の参加者たちが慌てて最敬礼を取っている中、ゼルファー殿下は陛下の登場に驚きを見せていた。
もちろん、ゼルファー殿下は王太子なので陛下のことを”父上”と呼ぶのも間違いではない。しかし、
「何度も言ったはずだ。公の場ではわしのことを”陛下”と呼べと」
「……はい、陛下」
冷たくあしらわれた。悲しい。
陛下は鷹のような目で周囲をぐるりと見回して、
「して、ゼルファーよ。これは一体なんの騒ぎだ?」
「は、はい、陛下!丁度今、俺はそこにいる悪女・イザベラの非行を暴き、将来の国母に相応しくない彼女に婚約破棄を言い渡していた所です!」
堂々とした態度で、ゼルファー殿下は夜会のこれまでの経緯を陛下に説明した。
それを聞いた陛下は、明らかに口元が引き攣っていた。
「ほぅ……非行を暴いて、婚約破棄か。イザベラ嬢が一体なにをしたというのだ?」
よく見たら、陛下の後ろにいる宰相様も同様に青筋をピキピキと浮き立たせていた。
「父上……いや、陛下っ!悪女・イザベラは、公爵家の権威を笠に着て、可愛いミリアに何度も暴言や嫌味を浴びせたんだ!どうか彼女に相応しい処罰を与えてください!」
そう言いながら、ゼルファー殿下はぐいっとわたしの腕を引っ張る合図を送った。
ぱたっと、再びゼルファー殿下に抱き付く。
「わたしぃ、本当に怖かったですぅ〜!もしゼルファー殿下がわたしのことを守ってくださらなかったら、今のわたしはもうっ……!」
「ああ、可哀想なミリア……でももう大丈夫さ!イザベラが横暴に振る舞えるのも、今日までだ!」
「キャー、ゼルファー殿下ぁ〜!」
「…………」
抱き締め合うわたしとゼルファー殿下に汚物を見るような目を向けて、陛下は怒りを隠せない声でゼルファー殿下に問い掛ける。
「ミリアというのは、もしかしてその平民の小娘のことか?」
「ああ!ミリアは確かに平民だが、彼女は特待生で非常に優秀な女性なんだ!そんなミリアに嫉妬して、イザベラのヤツがいつも理不尽な当て付けを……」
「ーーそうだとしてもそれがどうした?」
「へ?」
間の抜けた声を漏らすゼルファー殿下。
「まだ分からぬのか、この愚か者!」
呆然とした表情のゼルファー殿下に、フェルディナン陛下の雷が落とされる。
「イザベラ嬢はな、お前がまだ王子教育を嫌がって逃げ回っていた頃、既に侯爵領で幾つもの改革を成し遂げて、我が王国に飛躍的な発展をもたらしていたぞ!例え本当に平民の小娘一人を苛めたところで、彼女のこれまでの貢献と比べたら、取るに足りないことだ!」
「しかし父上、民も愛せない女が王妃の責務を務められるはずが……!」
「ぬかせ!!そもそもお前がその小娘にうつつを抜かしている間でも、イザベラ嬢は毎日欠かさず王宮で王妃教育を受けていたんだぞ!そんなけちくさい嫌がらせをする暇などあるもんか!イザベラ嬢が将来の王妃に相応しくないなら、他に誰が相応しいというのだ!」
「ゼルファー、あなたには失望しましたわ」
陛下の言葉に加勢したのは、いつの間にかポタポタと屈辱の涙を零していたイザベラ様の側に付いて、彼女を慰めるように両手を彼女の肩に乗せている王妃様だった。
「……母上っ!」
「王太子に相応しくないあなたの数々の言動を、私と陛下はあなたを甘やかし過ぎたことに免じて、今までずっと見逃していましたけど……その代わりに優秀なイザベラちゃんを貴方の婚約者に付けて、いつかあなたが彼女のひたむきな姿に感銘を受けて、変わってくれると信じていましたわ」
「ああ」
と同意する陛下。
「しかし今日でわしと王妃は確信を持った。お前はもう救いようがない、と」
「そんな……!!」
表情が強張るゼルファー殿下は、多分涙を堪えていると思う。
まぁ、実の親にそこまで言われて、泣きたくならない方がおかしいよね。
ぐいっ、ぐいっ。
すると、腕が二回も小さく引っ張られたのを感じた。
はいはい、わかったよ。
「へぇ〜。なるほど、これが毒親というものですねぇ〜」
ふわふわと間延びした声で、わたしは親子の間に割り込んだ。
「……小娘、わしは貴様の発言を許した覚えはないぞ」
「あ、気にしないでください。ただの独り言ですからぁ〜」
この国一番の権力者に凍えそうな視線で睨み付けられたが、わたしは語り続けた。
「子育ての失敗に気づいていながら、その解決方法がまさか子供の婚約者に丸投げの他人任せだなんて、やっぱり人の上に立つ人間の発想は突飛的ですねぇ〜。そもそもこれって全く親の責任を全うしていないじゃないですかぁ〜?それで良く親ヅラで勝手に失望したと言えるなんて、本当にすごい思考回路をお持ちですねぇ〜」
「小娘!言うに事欠いて……今すぐその不躾な口を閉じろ!!」
「はぁ〜い、閉じまぁ〜す。あ、でも、最後にもう一つだけ言わせてもらうけどぉ……」
あざとく舌をベーっと出して、わたしは煽るように言った。
「たった一人の貴族令嬢程度で出来る改革で飛躍的な発展を得られる国ってさ、それはそれでどうなのぉ〜?」
「衛兵!!」
陛下は顔が真っ赤になる程激怒した。
「今すぐこの無礼者を牢屋に……!!」
「ーー父上!!」
庇うように、ゼルファー殿下がわたしの前に出て来た。
「どうか俺とイザベラの婚約破棄、そして改めてミリアとの婚約を認めてください!」
「ゼルファー!!この期に及んでまだなにを世迷言を……」
「父上!!王子でなくなっても構わないから!!」
それでも引き下がらないゼルファー殿下だった。
「どうか、お許しを」
「……………………そういうことか」
陛下はゼルファー殿下の言葉から何かを悟ったようで、先ほど激昂した様子から一変して、冷たく、けれども威厳を持って宣言した。
「わかった。ゼルファー、お前とその平民の小娘の婚約を認めよう」
「あ、ありがとうございます……!」
「そして同時にお前は廃嫡だ。衛兵!!」
そして陛下はもうわたしやゼルファー殿下のことに目もくれなかった。
「ーー今すぐこの二人の平民を、ここから摘み出せ!!」
■□■□■□■□■□■□
気づいた時、わたしとゼルファー殿下……じゃなくて、今はもうただのゼルファーは、既に平民街に叩き出されていた。
「あーもう、服が汚れて……」
乱暴に夜会から引きずり出された時に服についた塵をパンパンと叩き落としながら、わたしは言った。
「まぁ、色々トラブったけど、なんとか無事婚約破棄できて良かったね、ゼルファー」
「トラブったって……ほとんどお前が演技を全部捨てたせいじゃねえか」
「てへっ」
「てへっ、じゃない」
もう演技をする必要がなくなって、二人とも口調がすっかり素に戻った。
そしてお互いのお世辞でも綺麗とは言えない姿を見て、わたしたちは揃って『ぷっ』吹き出した。
「ぷふっ、あはははは!カッコ悪!あんたに憧れていたご令嬢たちが見たら、絶対幻滅するよ!」
「はっ!よく言うわ!お前こそ、本当の意味でシンデレラになったじゃんか!」
なぜ、こんな状況でわたしたちは笑えるのかって?
それは、最初からこうなると予想していたからだよ。
三年前ーー平民特待生として王立貴族学園に入学したばっかりのわたしは、経営困難に陥った実家のパン屋を助けるために、悪魔と取引をした。
その悪魔とは他の誰でもない、ゼルファーだった。
王太子の彼は、わたしの危機を聞き付けて、ある取引を提示した。
平民のわたしから見てとっても返済のできない負債を、彼はポケットマネーで全額カバーしてくれる……でもその代わりに、わたしは彼の言うことをなんでも一つ聞かなければならなかった。
そのまま一生変態鬼畜王子の性奴隷をやらされる未来すら想定していたわたしだったが、ゼルファーの要求はまさかそれ以上に予想外のものだった。
彼の条件は、彼の婚約破棄の計画を手伝うことだった。
誰もが羨ましがる王太子の地位だけど、ゼルファーはそれを長い間手放したくて仕方がなかった。
しかしそれはただ王位継承権を放棄するよりもずっと複雑な問題だった。
何故ならゼルファーを中心にできた貴族の派閥はとっくに彼が次の王になることを前提に利益関係を固めていたから、その貴族たちはゼルファーの王位継承権放棄をなんとしても阻止するだろう。
例え本当に放棄できたとしても、派閥の人間が大人しくゼルファーを解放してくれるとは思えない。最悪、どっかの家に婿入りさせられて、人質まがいの扱いをされることだってありえる。
つまり、八方塞がりだった。
そんな時に、隣国で起きていた、王子や複数の高位貴族の子息たちの不祥事が彼の耳に入って来た。
何でも一人の平民の少女に骨抜きにされた彼らが、何の落ち度もない婚約者たちを公衆の前で婚約破棄し、挙句はその失態の処罰として全員廃嫡になったとか……
そこで、ゼルファーはある可能性を思いついた。
ーーもし自分も彼らのように婚約破棄の騒動を起こしたら、無事廃嫡されるのでは……?
早速その考えを実行に移したゼルファーはまず、彼を”骨抜きにする”役の女の子を探し求めるところから始めた。
そこで現れた条件ぴったりの少女が、わたしだった。平民の特待生で、そこそこ可愛くて(自画自賛じゃないし!)、そして何より、交渉材料になりうる弱みがあった。
そして彼の見込み通り、わたしは彼の条件を飲んだのだ。
あれ以来、わたしはずっとゼルファーに与えられた台本通り、天真爛漫でちょっと抜けている平民の女の子の設定で振る舞っていた。
婚約者持ちの高位貴族のご令息たちにありえないくらいにベタベタしたり、甘ったるい口調で誰にでもタメ口で話しかけたり、本来のわたしが一生するはずのなかったことを日課のようにこなしていた。
そしてゼルファー自身も隣国の王子を参考して、唯我独尊な行動を起こし”俺様王子”を演出していた。
今思い返せば本当に穴だらけな計画だった。
例えば、頭お花畑な女の子を演じていながらも、わたしは学園にいた三年間ビッチリ成績を五位以内に保っていた。
平民特待生のわたしが成績のせいで退学させられたら本末転倒になるからね。
でも幸い人は自分の見たいものしか見ようとしない、それはイザベラ様や他のご令嬢たちでも同じだった。
元から学園内唯一の平民のわたしに思うところがあったからなのか、女子の間でわたしの悪評は無事に募る一方だった。
もちろん、ゼルファーがそこまでして王太子の肩書きを切り捨てたいのには理由があった。
「ーー今更だけどさ、本当に良かったの?イザベラ様も悪い人じゃないし、案外結婚したら全てが上手く行くかもしれないよ?」
「いや、絶対無理だって」
当てもなく平民街の道路に沿って歩きながら、ゼルファーはわたしが何となく提示した可能性を否定した。
「お前も見ただろう、アイツは自分の正義や常識を絶対疑わないようなヤツだ。別にそれをとやかく言うつもりはないが……アイツは将来、俺の側で共にこの国の運命を決める人間になるはずだった。数十、数百万もいる国民はそれぞれの価値観を持っていると言うのに、たった一つの価値観を信じて疑わないヤツに、彼らの生殺与奪の権利を握らせる……それを考えると、俺は……」
「……怖くなった、よね」
「……ああ」
そう、これである。
彼は、臆病者だった。自分に与えられたお役目から、彼は怖くて逃げた。
でもそれは、彼が繊細すぎたから。一人ひとりの民を、ただ王国を動かすためだけの歯車と見なすことは、彼の繊細な心にとっては重すぎたお役目だった。
そんな彼を、いつの間にか、わたしは放っておけなくなった。
「確かにアイツは王妃を上手くやれるかもしれない。実際俺が廃嫡された今、恐らくアイツは弟のクリスの婚約者になって、最終的にはやっぱり未来の王妃になるだろう。俺は、結局自分が一番恐れていた未来を変える力を持っていないから、逃げるしかなかったんだ」
自嘲気味でゼルファーが言う。
「だけどな、変えられなくても、俺はこの間違った体制に加担したくなかったんだ。ただ違う腹から生まれただけで、ほんの一握りの人に多くの人たちの運命を決める権利が与えられるのは、やっぱりおかしくないか?王族や貴族ではなく、人間はもっとこう、自分の人生の主人になってもいいはずなんじゃないか……ミリアはそう思わない?」
「そう……かな?ごめん。難しい話、やっぱわたしにはわからないや」
ゼルファーの見つめる先には、一体どんな理想の世界が描かれているのだろう。
何れにしても、それはきっとわたしたちが生きている間、いや、もしくは何百年後でも、もしかしたら永遠に、叶わない世界だとわたしは思う。
それでも、そんな世界に憧れるゼルファーを、誰が責められるのだろう。
少なくとも、わたしは彼を責めないわ。
「まあ、そんなことは置いといて」
ちょっと強引だけど、わたしは重苦しいテーマから話題を変えた。
「ゼルファーは無事平民になったからさ、これからはどうするつもりなの?」
「いやー、実はまだ全然考えていなかったんだ」
ゼルファーは気恥ずかしそうに頭を掻いて答えた。
「でもまあ、俺はこのなりでも、一通りの剣術は学んだからさ。これからは冒険者にでも登録して、それで何とかやっていけるだろう」
「冒険者になるの?でもそれじゃあ、あちこちのギルドへ飛び回らなければならないってことになるじゃない?」
「そうなるが……それがどうした?」
「婚約者になったばっかりの女の子を置いてけぼりにして?」
ゼルファーは一瞬”何言ってんだお前”って顔になったが、すぐにはっとわたしの言葉の意味を理解した。
「いや、あれはあの場の一時凌ぎというか、お前が処刑になりそうだったから咄嗟に出てきた言葉というか……」
「ええー、それでも国王陛下が認めてくださった婚約じゃないですか。ちゃんと従わないと」
「お前なぁ……はいはい、わかったよ。今からお前との婚約破棄を宣言する。それでいいんだろう?」
「うわぁ……一日に二人の女の子に婚約を破棄するなんて……ゼルファー、クズすぎぃ……」
「お前が言わせたんだろうが!!」
全力でツッコむゼルファーであった。
「あはははは、ごめんごめん、冗談だって。でもさ、」
笑いすぎて溢れてきた涙を拭きながら、わたしは提案した。
「まだこれからの予定がないんならさ、うちのパン屋に来ない?」
「確かに……《テイルのブーランジェリー》、だったよな?でも、何のために?」
「そりゃ、働くためでしょ!自慢じゃないけど、経営危機を乗り越えたうちのパン屋って、今は結構繁盛しているんだよ?冒険者をやるより、絶対うちの従業員になった方が待遇がいいって!看板息子にもなれるかもしれないよ?」
「看板息子がどうとかはさておき……確かに命を張る冒険者の稼ぎと比べたら、それはありがたい申し出だけどさ、」
ゼルファーの顔に困惑の色が浮かぶ。
「なぜ俺のためそこまでしてくれるんだ?俺たちの取引は、俺が廃嫡された時点で既に完了したんだぞ?」
「ふふっ。ねえ、ゼルファー。さっき夜会の時、わたしが陛下や王妃様にあんなキツいことを言った理由、わかる?」
くるりとゼルファーの前に出て、わたしは彼の瞳を見つめながら質問した。
「えっと……すまん、俺、わからないんだ。というか、それがお前の実家で働く件と関係ある?」
「わからないんだ。じゃあ、どっちの理由もまだ、ひ、み、つ!」
「ええ……?何なんだよ一体……」
戸惑うままのゼルファーに、わたしはにぃーっと笑い掛けるだけで、何も答えてあげなかった。
今は、まだ彼にその理由を教える時じゃない。
わたしたちが歩いていたこの平民街の道路の反対側のずっと先に、きらびやかな灯火に照らされる王宮があって、そこには幸せな勝者たちが沢山いる。
今頃彼らはきっと、わたしとゼルファーをざまぁできたことに高らかに笑っているのでしょう。そして新しく王太子となったクリス王子とイザベラ様の婚約に、祝福を送っているのでしょう。
もし今ゼルファーにその理由を教えたら、わたしたちは本当の意味で、”婚約を認められた”だけの、惨めな負け犬になる。
でもわたしたちはこれから沢山頑張って、沢山働いて、いつか幸せになれる権利を自分の手で掴む。
そしてその時になったら、わたしはきっと心の中に秘めているこの気持ちを、ゼルファーに伝えることができるでしょう。
その時までは、秘密のままでいいんだよね。
好きだよ、ゼルファー。
皆様どうもはじめまして。蝶々ホタルです。
外国人投稿者の初投稿ということなので、あちこちに日本語がおかしいところがあったかもしれません。
それでも、もし一瞬だけでも面白いと思っていただけたら、わたしにとって最高の幸せでございます。
感想なども心よりお待ちしております。
それでは。
※5月21日追記※
朝起きて、いつも通り異世界(恋愛)日間ランキングをチェックしたら、自分の作品が出てきた……しかも十二位……(・Д・)!!
ありがとうございます!これからも精進いたします!
※6月11日追記※
新作を書きました!
続編ではありませんが、そちらもどうぞよろしくお願いします!→https://ncode.syosetu.com/n4728gh/