国の象徴たる選定十二侯
――――――――――タウル・ゼムスの西側。
ドラーヴァの部隊が駐在していた地域から遠く離れたシュルバルト市第3区画。後宮院“カムパトラ”にある大講堂。
大講堂はその造形から神聖な場所であると訪れた者たちに容易に認識させる。その内観は円柱型で立体的な空間が広がっており、厳かな雰囲気に包まれている。天井にはステンドグラスで彩られたガラスの窓がドーム状に形を成していた。壁の一部には巨大な白い石板が壁に沿って取り付けられていて、その板を利用して様々な事項を掲示できるようにしている。その反対側には席が階段式で隙間無く横に並べられている。例えるなら大学の講義室のような黒板と机の配置と似ているだろう。いつもであればここには有識者たちが集い、学術的な論争に励むであろう場所だ。しかし今日に限っては普段と毛色の違う者たちの姿がそこにあった。
「皆さま、ご足労頂き誠にありがとうございます。お忙しい中お集まり頂いた貴重な時間に見合うだけのお話を、僭越ながら私からさせて頂きます」
大講堂の石板のすぐ近くに置かれた演説用の教壇。そこに立つ1人の初老の男が席に散り散りに座っている者たちに話し始めた。
男の名はアクリア・ルシアルス・カンゲルス。首都最大の学術院の学長であり、元老院の理事を務める国の重役。
「できることなら“選定十二侯”の皆さま全員にお集まり頂きたかったのですが、各人所用に迫られていることでしょう。お姿のお見えにならない方々にも後ほど私の使者に伝令を託します故、どうぞここにいらっしゃる皆さまにおいては私の話をご清聴して頂けると大変助かります」
物腰柔らかい態度に優しい笑みを見せるアクリア。事情を知らない者が見れば品の良い紳士の印象を受けるだろう。そんなアクリアに対して噛みつくような鋭い態度を示す者がいた。
「下らねぇ前置きはいらねぇよ。さっさと要件を話せジジィ」
口火を切ったのは褐色肌の若い男だ。彼の髪色は照りつける太陽の熱さを象徴するかのような鮮やかさで、また彼の瞳の色も髪と同じ緋色であった。肌の色とは対照的に身にまとっている衣服は汚れや染み1つ無い純白色で、あちこちが虫食いのように欠けていた。そして露出した肩や脇腹、太股といった部位には濃い紫の幾何学的な線が走っていた。
彼の名はゼブラ・ヴェルターナー。ハイウェリ・ワトン騎士団の団長であり、そして王宮戦士の一員。最年少で騎士団長の座まで昇りつめた稀代の天才である。
「おやおや、これはゼブラ殿。選定十二侯の1人である貴方さまがそのようなお言葉遣いを………」
ゼブラの威圧的な野次に対してアクリアは怯む様子も無く、むしろ嬉々としていた。
「今から私がお話し致します。しばしその気を猛りを抑えて下さい」
「相変わらず気に食わねぇ奴だ」
ゼブラは悪態を吐きながら舌打ちをすると、机の上に足を乗せて組み始めた。背板に寄りかかりながら尊大な態度をしてみせた。アクリアに対する当て付けなのだろう。すると彼の斜め前の辺りに姿勢正しく座る老齢の男が口を開いた。
「ゼブラくん。そう荒立ててはいけないよ。アクリアくんも私たちを無碍に呼び出すような真似はしないさ。大人しく静かに話を聴こう」
短く整えられた白い髪。皺は多いがそれでも整った顔立ちをしている。落ち着いた低い声で、その振舞いからは厳かな雰囲気さえ感じられる。
そんな好好爺然としている彼の名はドヴォルザーク・アルトリオン。王宮戦士統括を務めるタウル・ゼムス最強格の男。かつてサジェルサス・タ王下騎士団の総団長として幾多の戦場で自軍を勝利へと導いた豪傑である。
「ありがとうございます、ドヴォルザーク殿。」
アクリアは左胸に右手を当てながら上体を少し屈めてドヴォルザークに礼を述べる。その所作があまりにわざとらしいものである為、ゼブラは苛立ちを露わにして再び舌打ちをした。
「私も少々前置きを長くし過ぎてしまいました。それではこれより私が目にした事実を嘘偽りなくお伝え致します」
アクリアは前口上を言い終えると両手を大きく横に広げだした。数回の深呼吸で息を整える。仰々しい振る舞いを見せた彼ははっきりとした口調で言い放った。
「―――――本日。サジェルサス・タ王下騎士団所属の第2部隊長、ドラーヴァ隊長及び部下数名と飼育下にあった火竜が殺害されました」
アクリアの発した衝撃の発言に場の空気が一瞬にして凍りついた。先ほどまで悪態を吐いていたゼブラは目の色を変えて険しい表情を浮かべている。
「ちょっと待てお前………今なんつった?ドラーヴァが殺された、だと?」
ゼブラが声がわずかに震えていた。不躾に机の上に出していた両足を戻して前のめりになる。彼の様子には焦りが見受けられた。
「ドラーヴァって確か一昨日から出征していたんだっけ?」
この場にいる者の中で最も幼い風貌の少年が口を開いた。左右の瞳が黄色と紫色で異なるオッドアイが特徴の愛くるしい顔立ち、だがそれとは裏腹に口調はどこか他人を見下したような憎たらしさがあった。
彼の名はエルジョ・ジェダル。魔法の真理を紐解く学問“魔法学”の研究で第一線に立つ賢才。緑と白の長袖の正装がその証である。
「ドラーヴァくんなら獣人奴隷の搬送をする為にレヴィエン地方に赴いていたはずだね。あの辺りは国境に近いとは言え、決して死を伴うような危険な地帯では無いはずだったが………」
エルジョの質問に答えるようにドヴォルザークが呟く。他の者たちも彼の回答に頷いた。
誰もがドラーヴァの強さを知っている、だからこそ決して彼の部隊が壊滅することなどあり得ない。誰もがそう考えていた。しかしアクリアだけは真剣な面持ちで皆の考えを否定する。
「えぇ、皆さまのお考えになられていることも分かります。ですがこれは紛れもない事実なのです。ドラーヴァ殿を含め彼の部下の騎士たち、そして火竜までもが、たった1人の男によって殺害されてしまったのです!」
「それは、嘘」
最前列に座っている1人の女が強い口調で異を唱えた。左目の下にある2つの泣き黒子が特徴的な美しい外見の持ち主。明るい青髪を手入れもせずに無造作に伸ばしている彼女は、机の上に肘を突いてだらしない態度を取っていた。
「ドラーヴァ隊長は殲滅数だけ言えば全騎士団の中でも1位、2位を誇るほどの実力者。これまで数多の戦場を勝利へと導いた強さを持っている。一個人に負けるとは到底思えない」
「痴女と同意見ってのは癪だが、俺も同じ考えだ。あのドラーヴァが負けるはずがねぇ」
「誰が痴女だって?ふざけるなよ、ゼブラ」
「お前以外に誰がいるってんだ?ギルギット。お前みたいな破廉恥な姿で表を出歩いてる奴なんていねぇんだよ」
「その発言は自分自身に向けて言ってるのか?」
「んだと、てめぇ………」
ゼブラと女が互いに睨み合う。しかし周囲はそれを止める様子も見せず、いつものことだと言わんばかりに放置していた。確かにゼブラの言う通り女の着ている服は下着と見間違うほど布面積が少なく、極端に肌を露出していた。
女の名はギルギット・マスタフ、元老院管下の“魔法戦士”である。彼女は魔法戦士の特殊作戦部に所属する情報員で、何かある度にゼブラとは揉めることがあった。
今もまた揉めようとしている2人に対し、ドヴォルザークが彼らの口論に割って入った。
「やめなさい二人とも。確かにギルギットくんの言う通り、ドラーヴァくんは強い。魔法に頼りがちで剣術や体技を怠っていたのは否めないが、それでも対軍戦や対城戦では常勝無敗の強さを誇っている」
ドヴォルザークの仲裁で2人は大人しくなった。ドヴォルザークは切れ長の細い目をゆっくりと開いて話を続ける。
「ドラーヴァくんは自分の部下と火竜を引き連れていた………普通に考えればあり得ない話だ。けれどもそんな彼らを敗北に追い遣るほどの実力者が現れた、そう言いたいんだね?アクリアくん」
ドヴォルザークはその目でアクリアを見据えた。彼の鋭い眼光にアクリアは思わず額に冷や汗をかいた。
「はい。ドヴォルザーク殿の仰る通りでございます」
アクリアは一度咳払いをしてドヴォルザークの問いに答える。そして真剣な面持ちで両手を組んだ。
「口上が過ぎましたね………それではさっそくお見せ致しましょう。私の『覗きの目』は音までは捉えられませんのでご了承お願い致します」
そう言うとアクリアは目を瞑って大きく息を吸い込み始めた。その状態でしばらく沈黙する。力を込めように眉間に皺を寄せる彼の姿に、全員が視線を向けた。
その瞬間、アクリアは一気に目を見開いて声を張り上げる。
「|到来に語る者は叫びを許さない《ナガエ・シドバル・ゲルターゼ》」
アクリアの唱えた呪文が大講堂内に反響して響き渡った。すると彼の眼前に幾何学模様に似た複雑な光の線が突然現れた。模様は左右の目で異なり、常に形を変えながら動いている。
「それではお見せ致しましょう。すべての真実を」
アクリアと同じ光の線が全員の目の前にも出現する。そして光の線が放つ輝きが彼らの視界を覆った。
途端に景色が変わる。そこに映し出されていたのは緑が広がる丘陵の地。そしてドラーヴァ率いる第2部隊の精鋭たちと謎の男が戦闘をしている光景であった。
「こ、これは………!?」
「なんてことだ………!」
「おいおい………!」
何人かが驚きの声を上げた。他には顔を歪める者、険しい表情を浮かべる者、顔色ひとつ変えずにいる者など各々反応を示した。
しかし誰もが謎の男に目を奪われていた。たった1人で騎士たちを圧倒する男の動きは目で追うのがやっとの速さ。何度か瞬きをしている内に火竜すらも倒されて、死体が累々する大地が広がる。男の異様にして異常な強さに誰もが息を飲んだ。
それはドラーヴァが見た景色。精鋭である部下たちが一瞬にして壊滅し、火竜すらも撃破される。そして最後には自身すら敗れた。上から抑えつけられて視野が黒く消えていった。
「―――――これがドラーヴァ殿を襲った悲劇の一部始終です」
アクリアがそう締めくくると全員の目の前から光の線が消える。大聖堂は静まり返っていた。もはや誰1人としてドラーヴァの死を疑っていなかった。
アクリアが使用した『覗きの目』は『誓書の裸眼』と呼ばれる、魔法を宿した目の一種である。他人の目を媒介として、その者が目にする景色を共有する魔法だ。視野に入ってきた情報は『覗きの目』に保存することも可能で、またそれを別の者に見せることも可能である。あくまでも視覚からの情報だけであって音や匂い、温度のような他の情報は得られない。
しかし遠く離れた場所の状況をリアルタイムで知ることができるというメリットがあり、後方にいる指揮官が戦場を把握する際には大いに活躍する。そしてその目が映す光景には手が一切加えることが出来きない為、『覗きの目』から得られる情報はすべて真実であることを証明していた。
つまりドラーヴァの死が真実であることを全員に知らしめたのだ。
「1つ訊くが………」
張り詰めた沈黙の中、最初に口を開いたのはゼブラだった。相変わらず険しい表情はアクリアに向けられているが、そこには怒りのような感情も混じっていた。
「これだけの惨状があって、それをお前はずっと見ていて………何もしなかったのか?」
「何もしなかった、と言うと?」
アクリアが首を傾げる。ゼブラは声を低くして言葉を続けた。
「お前の腰巾着にいるだろぉ?空を切り裂いて瞬間移動できる奴がよ。そいつならどれだけ遠かろうがドラーヴァのいる場所まで転移できたはずだ」
「はい、私の部下であれば可能でございます。彼にはドラーヴァ殿の死体の回収を命じました。火竜や彼の部下たちの死体も回収するように申し付けております。万が一にでもあの敵の手に渡ってはいけないと思いましたからね」
アクリアは得意げに言った。だが、それが却ってゼブラの気に障った。ゼブラは勢い良く立ち上がり机を強く叩きつける。
「だったらぁ!!!どうして助けに行かなかった!!!」
ゼブラの怒声が大講堂内に大きく響いた。彼の叫び声は非常に重く、聴く者によっては恐怖すら感じるだろう。壁がわずかに揺れるほどの威圧感を放っていた。
「ゼブラくん、落ち着きなさい。“怒り”が漏れているよ。ここには非戦闘員もいるんだから止めなさい」
ドヴォルザークが静かな口調でゼブラたしなめる。しかし彼の怒りは収まるどころか矛先をドヴォルザークに向けた。
「だけどよぉ総括閣下!!!このクソジジィは己が助けに行くわけでもなく、俺らの誰かに助けを求めた訳でもねぇ!!!」
ゼブラはそう言って自分の右手を見つめた。血が流れていた。拳を強く握りしめるあまり、爪が手の平を突き破っていたのだ。
「俺がぁ………俺が助けられたかもしれねぇってのに!!!」
ゼブラの声からは怒りだけでなく悔しさも滲み出ていた。目には涙を浮かべ、声が掠れている。
「ゼブラくんの言いたいことも理解できる。………アクリアくん。それについてはどう説明してくれるのかな?」
ドヴォルザークはゼブラを宥めながらも淡々と話を進めていった。彼は決して感情的にはならなかった。だがその穏やかな口調からはゼブラとはまた違った威圧感を放っていた。ドヴォルザークに尋ねられたアクリアは首筋に浮いた汗を拭いながら答えた。
「なにぶん青天の霹靂の如く突然起こってしまった事態でしたので、流石に私にはどうすることも出来ませんでした。なにせ助けを呼ぶ間も無く戦闘は終わってしまったのですから」
アクリアは気丈に振る舞ってはいるが、2人の強者から放たれる覇気に気圧されていた。慎重に言葉を選ぶように理由を説明する。その間にもゼブラはアクリアを睨み続けていた。
「もちろん私自身が向かうことも考えましたが、今回ドラーヴァ殿が対峙したのは一切の情報が無い正体不明の敵です。素性、能力、強さ、知能、他に仲間がいるのかどうか、敵の目的は何なのか………それらが判明するのを待たずして、私が直接向かうのは危険と判断致しました。死体回収の件に関しては私の独断です。偵察をしてくるように部下に命じて現地に送らせたところ、既に戦闘は終了していて敵の姿はありませんでした。そこで私は敵の手に死体が行き渡らぬようにと思って回収させたのです」
詭弁にも聞こえるが、アクリアの説明は至極真っ当なものであった。敵は正体不明。そして圧倒的な強さ。見たこともない武器を扱い、恐ろしい素速さと身体能力でドラーヴァの部隊を殲滅したのだ。彼が独りで向かったとしても勝ち目は無いだろう。それにアクリアという男は国家にとって必要な人材だ。下手に死なれると国の損失となる。それだけは避けなければならなかった。
アクリアの説明にドヴォルザークは黙って頷いた。他の者たちも渋々ではあるが納得した態度だけ見せた。立ち上がって怒りを露わにしていたゼブラも、ひとまずは落ち着きを取り戻していた。
「………そういうことにしておいてやる」
ゼブラは素っ気なく呟いた。彼は座り込むと、自分の机が消失していることに気付く。先ほど机を叩きつけた時に壊してしまったのだ。ゼブラの目の前には粉々に粉砕された机の欠片だけが散らばっていた。
「しかし今回の事件について今後どう対処すべきか、それが問題だね」
話を仕切り直すように口を開いたのは、ずっと沈黙を貫いていた1人の男だった。その男は最後列の高い位置から全員を見渡せすように座っていた。ゼブラと同じ緋色の髪を伸ばしているが、肌の色は真逆で白い。首筋には火傷の痕ような目立つ痣があった。
彼の名前はルンガル・ガダル・カナ。元老院の国土交通部に努める財務官でありながら、ハイウェリ・ワトン騎士団の諜報員として活躍する文武両道のエリートである。その類まれなる頭脳で国家の中枢に居座り、これまで数多くの案件にいくつも携わってきた。
そんなルンガルが人差し指を突き立てて話し始めた。
「まず、男の通称が欲しいね。ずっと“例の謎の男”なんて呼んでいたら長くて面倒だからさ。とりあえず“黒煙”でどうかな?煙のように突然現れたのと、特徴的な黒髪から名付けてみたんだ。なかなか良い呼称だと思うんだけどさ」
「呼び方なんて何でも良いだろ………勝手にしろ」
ゼブラが舌打ちをしながら面倒臭そうに答えた。ルンガルはゼブラの態度に苦笑いを浮かべながらも全員を一瞥した。自分の意見に反論が無いことを確認した。
「うん。それじゃあ“黒煙”に決定だ。それじゃあ今後の方針について勝手に提案させてもらうね。ドラーヴァ氏に関する事件と黒煙の存在については公表せずに秘匿しよう。ドラーヴァ氏は我が国にとって騎士団の顔とも呼べるような存在であり、ザルテリアにとっては大きな脅威として認知されている。ただでさえ国境付近が不穏な現状で彼の死が公になってはならない。まして1人の只人に敗北したと知られれば他の騎士たちの士気にも影響が出る。そんな事態はあってはならない。このまま隠して然るべきだろう」
「それには僕も賛成かな」
ルンガルの意見にエルジョが手を挙げた。
「とにかく必要なのは情報だ。僕の見立てでは黒煙は魔法を使っていなかった。魔法無しであれだけの戦闘力は末恐ろしい。あの地域に密偵を送って情報をできるだけ得るんだ、それが良い」
「私も賛成」
ギルギットもまた同意の意思を示した。
「相手の正体が分からない内は、何をしようとこっちが後手に回るだけ。せめて装備や魔法それから仲間の数は把握しておきたい。そうでなくても国民に無駄な不安を与えては駄目だ」
ギルギットの発した意見にルンガルとエルジョが首を縦に振った。他の者たちも賛同の態度を示す。
「アクリアの部下が現地に向かったのなら、もしかしたら黒煙と接触している可能性もある。もし帰ってきたら話を聴いておいて」
ギルギットがアクリアに指を差して告げた。アクリアはそれに対して深く頷く。
「はい、そのつもりです。情報が入り次第、随時皆さまにもお伝え致します」
はっきりとした口調でそう言った。そしてアクリアは一呼吸置くと両手を広げて悠々と話し始めた。
「それでは皆さま!今後はルンガル殿にご提案頂いた通り、本案件の情報が外部に漏れぬようお気をつけ下さいませ。黒煙の調査については元老院より密偵を派遣させて頂きます。ドラーヴァ殿の死については後ほど正式な形で国民に伝えることにはなりますが、現段階では遠征中ということで話を収めましょう。他に何かご提案やご申告はありますでしょうか?」
アクリアは全員の顔をしっかりと見渡す。他に意見が無いと分かると彼は大きな声で叫んだ。
「良いですか皆さま!黒煙はもはやタウル・ゼムスの脅威です!選定十二侯の皆さまにつきましても、どうぞお気を付けくださいませ!それではこれにて緊急集会を閉会致します!誠にありがとうございました!」
アクリアの締めの挨拶にルンガルだけが拍手で答えた。そして満足した表情でアクリアは足取り軽く出口へ向かった。
「私からの報告は以上となりますが、もし何か御用がありましたら私はいつも元老院におりますので。お手数とは存じますが私の下へ足を運んで頂けると幸いです。それでは御機嫌よう」
彼はそれだけを言い残して大講堂から立ち去った。彼がいなくなった後も沈黙が続き、誰も口を利くことなく立ち上がろうともしなかった。突如現れた正体不明の敵、その存在がこの国の何処かに潜んでいる。皆その事実で頭がいっぱいだった。
しばらくしてからようやく1人、2人と立ち上がって大講堂から去り始めた。ゼブラもようやく重い腰を上げて出口へと向かって歩き出す。するとゼブラの隣に並び者が現れた。
「大丈夫か?」
心配そうに声をかける男。先ほど堂々と自分の意見を述べていたルンガルである。
「何が?」
ゼブラは不機嫌に訊き返す。そんな彼の様子を見てルンガルは溜め息を吐いた。
「君がそんな風に荒れるなんて珍しかったからね。心配してるんだよ?」
ゼブラの肩に手を置いて優しく落ち着いた口調で話しかける。しかしゼブラはルンガルの好意を鬱陶しく思ったのか、顔を歪めて彼の手を払いのけた。
「俺は平気だ。平気だが………嫌な気分だよ」
ゼブラはそう言って前を向いた。2人は同じハイウェリ・ワトン騎士団に所属している。騎士団長と一諜報員で立場は異なるが、彼らは幼い頃から付き合いのある幼馴染みであった。そして今なお腐れ縁は続いている。だからこそルンガルはゼブラのささいな異変に気付いていた。
「ドラーヴァは………俺がまだ新兵だった時、戦場で孤立していたところを命からがら救ってくれたんだ。未だにその時の恩は返せていねぇ」
ゼブラは独り言のように呟くと、足を止めて俯いた。普段は勇猛果敢な彼が、今は哀愁が漂っていた。
すると2人の背後ですすり泣く声が聞こえてきた。彼らは振り向いてその声の主を探す。そこには机に突っ伏しながら泣いている1人の女性がいた。
「うぅぅ………ドラーヴァさん………」
彼女は今日ずっと静かに皆の話を聴いていた。ドラーヴァの死を告げられた時も一言も発言してなかった。しかし今は堰き止めていた感情が溢れ出したかのように、目元から大粒の涙を流して泣いている。そしてドラーヴァの名をしきりに呟いていた。
サナ・ネレトヴァ、それが彼女の名前だ。彼女は行政司法院でもあり祭祀官であり、また若くして行政委員会の委員長を務めている秀才だ。その飛び抜けた頭脳もさることながら、世の男性たちを魅了するほどの美貌の持ち主として有名だ。美しく整った顔立ち、女性としての魅力を大いに含んだ身体。そして他人想いの純真な性格から老若男女問わずに人気があった。
そんなサナが涙を堪え切れずに泣いている。一目を惜しんで悲しみを露わにする彼女の姿に思わずゼブラとルンガルは面食らった。
「なんであんなに悲しんでんだ?」
ゼブラが声を潜めてルンガルに尋ねた。場の雰囲気に呑まれてしまって対処に困っている。
「彼女は確かドラーヴァ氏のファンクラブの一員だよ」
ルンガルもゼブラと同じようにひそひそ声で答えた。しかしルンガルの回答が予想外のものだったせいか、ゼブラは驚愕の表情を浮かべて潜めていた声を荒げてしまった。
「はぁ!?今なんつった!?」
「しーーーっ!声!声!」
ルンガルはゼブラの肩を力強く揺すって強引に静かにさせた。そして服を無理矢理引っ張ってそのまま大講堂を出た。大講堂の外、外廊下を並んで歩きながら2人は話を続けた。
「おい!さっきのファンクラブってどういうことだぁ?」
ゼブラは困惑しながらルンガルを睨みつけて尋ねた。ルンガルの言っている意味が理解できずに頭を雑に掻く。突然ファンクラブなんて単語が出てきたせいでゼブラは混乱してしまったのだ。
「そりゃあそのままの意味だよ」
しかしルンガルはそんな彼を鼻で笑って、さも当然とばかりに答えた。
「ほら、ドラーヴァ氏ってものすごく他人想いの優しい人だったよね?戦場で部下が亡くなった時は出来るだけその身体を傷つけないように死体を持って帰って、遺族たちに届けて丁寧に弔ったりしてさ」
「あぁ………そういやそんな人だったな。自分の戦績より部下の手柄を高らかに宣伝したり、部下の嫁が産気づいた時は叱ってでも家に帰らせたとか。そんな話ばかり耳にしたよ」
ゼブラは何度も頷いた。ドラーヴァは誰よりも自分の部下たちのことを信じ、そして彼らのことを誇っていた。いつも自分のことより他者を立てていた人だった。だからこそ誰もが彼に付き従い、誰もが彼を慕っていた。
「そのエピソードなら俺、その場にいたよ。“妻の隣で励ましてこい!無事に赤子が生まれてくるまで仕事なんかするな!”ってね。あの時たまたま近くにいたんだけどさ、普段は怒ったりしないのに血相変えて怒鳴ってたからびっくりしたよ」
「部下の息子が学術院の入学試験に合格した日は盛大に祝ったらしいな………あん時、なぜか俺にもパーティーの招待状が届いたっけなぁ」
「すごいなゼブラ。それで行ったの?」
「仕事でいけなかったさ。今思えば、せめてあん時くらい顔を出しても良かったんだろうがな………」
2人はドラーヴァの過去の話に花を咲かせながら歩く。ふと、ゼブラは真剣な面持ちでルンガルの方へ顔を向けた。
「おい。結局ファンクラブってどういうことだ?」
「あぁそうだったね」
思い出したように手を打つルンガル。彼は人差し指を立ててゼブラの問いに答えた。
「ドラーヴァ氏はその人柄のせいで、一部の人たちからの熱狂的な支持があったんだ。当の本人は実力だけで隊長の地位に就けたと思ってたみたいだけど、実際のところは人望の厚さが大きいんだよね。そんな性格だから何時の間にかファンクラブなんてものが出来たんだ」
「ドラーヴァはおっさんだぞ?別にイケメンでもねぇしよ」
「けっこう酷いこと言うねゼブラ………それでもドラーヴァ氏の人の良さに惹かれる女性は多かったんだ。サナ氏もその1人ってことだよ」
「なるほどなぁ。世の男どもが知ったらドラーヴァに対してブチギレそうだな。俺はどうでも良いけどよ」
ゼブラはまだ完全には納得していなかったが、ドラーヴァの人の良さを思い出して反論はしなかった。
すると突然ルンガルが立ち止まった。彼はどこか宙を見つめていた。心ここにあらず、そんな表情を浮かべていた。
「あぁ?どうした、ルンガル?」
ゼブラが振り返ってルンガルに尋ねる。彼はさっきまでの軽快な口調とは裏腹に、暗い雰囲気で影が差していた。
「本当に、惜しい人を亡くしたよ………」
ルンガルがぼそっと呟く。その言葉の重みはゼブラにも伝わってきた。昨日まで生きていた人が死んでいなくなる。変えがたく、悲しみに飲み込まれそうになる。だがそんなことは戦士として生きている以上決して避けられない道だ。ゼブラはずっと覚悟を持って戦場に立っていた。
しかし今のゼブラには別の感情が沸いていた。それは怒り。自分でも抑えきれないほどに胸を焼き焦がしていた。
「大丈夫だ、ルンガル。俺に任せろ」
ゼブラはルンガルに歩み寄ると力強い口調で言った。
「俺が“黒煙”を消してやる。文字通り、跡形も無く。それが俺にできるドラーヴァへの手向けだ」
ゼブラの表情には強い覚悟が表れていた。