異世界を通して無線通信
「本当にふざけてるな」
俺はスマホ片手に不平を漏らした。日本と通信ができないか今一度試みようしていたところだ。ようやくスマホが電波を受信している。発信ボタンを押すとコール音を発した。
「チッ………やっと通じたか」
俺はわざとらしく溜め息を吐いた。
『―――――こちら、異世界支部。受信を確認』
女の声が聞こえてきた。基地局の人間だろう。
「こちらコード:Dだ。応答確認」
俺は決められた自分のコードネームで答えた。
『コード:Dを確認』
「………なぁ、このやり取り必要か?毎回やるなら賛成できないぞ?」
『えっ?えっと………その………』
女の戸惑う声がスピーカーから聴こえてくる。どうやらマニュアル通りにしか対応できないらしい。俺は深く溜め息を吐きながら言った。
「牙王神代に繋げ。いなけりゃそっちで胡坐かいてる責任者だ」
女が少々お待ちくださいと一言残すと、通話が途絶えて保留音のノイズが鳴り始めた。スピーカーから耳障りなノイズがしばらく流れる。それが止まると、今度は若い男の声が聴こえてきた。
『―――――あ、あ、あぁぁ………聴こえる?おっさん、じゃなかったコード:Dだったっけ?』
わざとらしい反応をする男が通話に出た。聴き馴染んだ人をムカつかせる声、俺はすぐにその声の主が分かった。
「あぁ、お前が責任者なのか………櫂帘蔽命式」
“櫂帘”、俺はその姓を口にした。
櫂帘家。本家の牙王家に対して複数存在する分家たち。その中でも欧州・アフリカ地域をメインに、牙王家の力を拡大する為に活動しているのが櫂帘家だ。主に軍用兵器の開発に特化していて、牙王家が国内で秘密裏に保持している兵器のほとんどが櫂帘家のものだったりする。分家の中では飛び抜けて優秀な一族なのは間違いない。
そんな櫂帘一族の人間である蔽命式、コイツとは傭兵時代に面識があった。蔽命式が上海大学に通っていた頃に、俺が現地で仕事をする上で色々と協力してもらった過去がある。その時の繋がりもあってか、コイツは俺のことを気軽に“おっさん”と呼んでいる。
「仕事はどうしたんだ?お前」
『これが今の俺の仕事だよ』
当然とばかりに言う蔽命式。いつもの自信に満ちた顔が目に浮かぶ。俺は呆れて首を横に振りながら尋ねた。
「お前、確かイスタンブルで立ち上げた会社のCEOに就いてたんじゃねえのか?」
『あぁ、あの席ならもう後見者に譲ったよ』
「ケープタウンでゴルフ場も経営してたよな?」
『あれも権利を譲ったさ』
「遺伝子ドライブの研究は?」
『あれも研究室を譲った』
「譲ってばっかじゃねぇかよお前!!!」
俺はたまらず声を荒げた。
「お前って奴は何をやるにしても中途半端だなぁ」
『おいおい、ばっさりと斬り捨てるなぁ。辛辣なのは相変わらずみたいだ』
「お前が中途半端な奴なのは今に始まったことじゃねえのは知っていたが………」
俺は頭を掻きながら口元を歪めた。蔽命式は昔から言う事ばかりは一丁前なのだが、いつも妥協を繰り返している。俺はコイツをからかうことにした。
「そういやお前、卒業したのはどこの大学だっけ?」
俺は半笑いで訊いてみた。答えは既に知っている。
『はぁ?今関係ないだろ、それ』
「良いから教えろよ」
『あぁあ………清華大学だよ』
蔽命式が渋々答える。俺はすかさず嫌味ったらしく毒吐いた。
「あぁそうだったなぁ。確かお前、元々はハーバード大学を卒業したかったんだよな?第1志望がハーバード大学、第2志望がイェール大学、第3志望がシカゴ大学、第4志望が清華大学で、第5志望が東京大学だったか?」
『そうだよ………』
「大学選びも中途半端で終わってるじゃねえか。お前は本当に愚鈍な奴だ」
『なぁおっさん、俺を虐めたいのか?』
そろそろ大人げないので止めよう。ただこうして軽口を叩けるのは分家の中でもコイツくらいだから、つい調子に乗ってしまった。だがこれ以上虐めても面白みが無いので切り上げることにした。
「悪い悪い。話が脱線し過ぎちまったな」
『ぜんぶおっさんのせいだろ』
「だから“悪い”って言ってんだろ?とにかく本題に入るぞ」
俺は無理矢理話題を切り変えた。
「これから話すことはすべて牙王神代に伝えてくれ」
俺はそう前置きをして、話し始めた。
「こっちで言伝てで収集した情報だ。信憑性については俺が保証する」
『わかった。で?どんな情報なんだい?』
「どうやらこっちの世界の大陸にはタウル・ゼムスの他に『ザルテリア・ティムス』って言う帝国があるらしい」
『帝国?一体どんな国なんだ?』
「そこまでは分からない。だが王国に匹敵するだけの国力はあるらしい」
『なるほどねぇ。それは脅威になるかもしれないね』
蔽命式は俺の言いたいことを察したのか、含みのある溜め息を吐いた。流石は櫂帘家の人間。一族の中では馬鹿でも、世間一般と比較すればまだ優秀な方だ。特にコイツは勘が鋭い方だ。
『そのザルテリアとか言う帝国とタウル・ゼムスは仲良しこよし………なのかな?』
探りを入れるように尋ねる蔽命式。どことなく俺の答えを予測しているのかもしれない。俺はご希望通り、はっきりと答えてやった。
「まさか。戦争と小競り合いを繰り返すくらいには仲が良いみたいだけどな」
『あちゃぁ………それはまずいねぇ』
タウル・ゼムスとザルテリア・ティムスが互いに牽制し合っている現状。もしここでタウル側で国王の暗殺が起きたとすればどうなるだろうか?帝国はここぞとばかりに好機と見て王国に侵攻するかもしれない。そうなれば、ザルテリア・ティムスこそ第2の脅威と成り得る。
「俺がこのまま任務を遂行して国王暗殺を成し遂げたとして………次に帝国が崩壊したばかりの王国を吸収してしまえば、手が付けられなくなるかもしれない。最終的に異世界にのさばるのはお前らだろ?だから判断を仰ぎたい」
できることなら牙王神代に直接訊きたかった。作戦の指揮を担っている奴に意見を伺うのが当然なんだが今は文句も言ってられないだろう。何にせよ、本国の意向を知りたかった。
『そうだねぇ………本作戦の根幹に変更は無いよ。それが上の意向だからね。だけどその帝国の存在も無視できない。現行に変更無し、その上で帝国の動きや内政状態も探ってもらえないかな?』
「おいおいおい、やること増えてるじゃねえか。ふざけるなよ」
『とは言ってもねぇ。………個人的な意見を言っても良い?』
「どうぞ」
『そのザルテリア・ティムスって国さぁ、利用できないかな?』
「利用?」
『おっさんなら傾国はお手の物だろ?お得意の手管で国ごと丸め込んで、味方にしたらどうかな?そうすれば王国を攻めるのにも楽になるんじゃない?』
「ほぅ、なるほどねぇ」
中途半端な蔽命式にしては考えたものだ。だが、やはり思考の帰着が中途半端だ。
だが実は俺も既に策を講じていた。俺なりに今後の振る舞い方を検討していたのだ。
「もっと良い方法がある。それはどっちの国にも滅んでもらうんだ」
『どっちも?それってまさか………』
「ハッ、そうだよ」
俺は笑って答えた。
「戦争を起こすんだよ。異世界で」
王国と帝国の対立。この話を聴いた時から俺の頭の中でイメージが出来ていた。ぼんやりではあるが、各国の文明レベルから計算すれば自ずと戦争までのプランを導き出せる。俺にはそれが可能だ。どうせ日本が異世界を我が物にするのなら、いっそのこと両国には滅んでもらった方が良いだろう。
『まったくとんでもないことを考えつくね、おっさん』
蔽命式が苦笑いを浮かべているのがスマホ越しでも分かる。
「まだ調査が足りねぇが火種はどこにでも埋まっているもんだ。それを掘り起こしちまえば良い」
『そうすれば勝手に戦火を上げ、勝手に争いを始め、勝手に両国がダメージを負ってくれるって訳か』
「そういうこと」
国が滅んで民が滅ぼうと日本政府には関係の無い話だろう。牙王家の連中が欲しいのは異世界そのものだからな。
『いいよ、分かった。この件は神代おじさんにも伝えておくよ』
「あぁ頼む。こっちはとりあえず言われた通りに仕事を続けるさ」
『了解。今後も頑張ってねぇ―――――あ、そうだ』
蔽命式が何かを思い出したように言葉をこぼす。
『おっさんにちょっと耳にして欲しい話があるんだ』
「あ?なんだ急に」
言い方に影があった。私事とも思える口ぶりから俺は嫌な予感を強く感じ取った。個人的な話題となれば何時だって牙王家の話だ。そして牙王家の話は悪い話に決まっている。
『牙王家の話なんだけどさ』
それ見たことか。ろくでもない内容を想起して俺は歪める。
「何があった?」
『いやぁそれがさ、最近連中が妙に大人しいんだ』
「大人しい?」
『そうそう。いつもならさ、うるさいくらいに政財界にしゃしゃり出てる癖に、ここ数日はどうも落ち着いてるんだ。メディアへの露出も極端に減ったし』
「あぁ?何考えていやがるんだ?」
『それはこっちのセリフだよ、おっさん。本家の動向が不明のままなのは櫂帘家としても怖いんだよ。他の分家の神間家と勾涅家の人間にも確認してみたけど何も知らされてないってさ』
「俺に訊かれてもなぁ………一族が嫌いで縁を切ってる俺だぞ?」
『まぁそうだろうねぇ。ま、とりあえず報告はしといたから』
「ああ、OK」
俺が異世界にいる間に牙王家の連中が何をやらかそうとしているのかは分からない。
ふと、俺の脳裏に母親の姿が霞すんで見えた。病院の個室に似た一室。その部屋でベッドに横たわり、窓の外の景色を眺めている姿。もし母親の身に何かあれば………。まぁその時は日本ごと牙王家の連中を皆殺しにすれば良いだけだ。
「それじゃあ基地局の増設、レーダーユニットとマイクロ波通信施設の設置、電話局の整備を早急にしろよ。通話が繋がるのが遅すぎる」
『これは耳が痛い………はいはい、政府に伝えておくよ』
「あと、魔法使いの中には手品みたいに突然現れる奴らもいるみたいだ。門の周辺、警戒を怠るなよ」
『それは怖い。異世界の魔法は何でもありかな?』
「かもなぁ、とにかく気をつけろよ。通信終了」
『OK、通信終了』
俺はスマホの電源を落とした。この先、何が待ち受けているのか分からない。だがそれでも前に進まなければならないのだろう。他のことを気にしている暇は無い。
「牙王神代………今度会ったら何企んでるか吐かせるか」
俺は空を見上げながら呟いた。流れる雲の速さはゆっくりと落ち着いてきたようだ。
最悪の場合、俺は王国と帝国の2つを敵に回して立ち振舞わなければならなくなる。それはリスクがあまりに大き過ぎる。別に出来ないと言う訳ではない。単純に俺の異世界の滞在時間が延びるという、それだけの話だ。だがそれだけが俺にとって非常にまずかった。
元の世界に残しているたった1人の家族。俺の母親が今、完全無防備な状態で放置されているという状況。恐らく牙王家は俺との約束を無碍にはしないはずだ。総じてクズばかりの一族ではあるが、わざわざ脅しの材料となる存在を無暗に傷つけるほど愚かではない。
気がかりなのは一部の極端な奴らだ。牙王一族の中でも頭のネジが飛んでいる連中、奴らは身内であろうと平気で残酷になれる。俺に発破をかける為に腕の一本、脚の一本、あるいは生存可能な部位だけを残して肉体を切り刻むかもしれない。それくらい狂った連中が牙王家にはいるのだ。
全能や制勝、謳歌、斑雪………。危険な奴の名前を出せば切りがない。
俺は今一度、自分が置かれている状況を認識することにした。異世界で国王を暗殺すること、だがそれだけでは駄目だ。言い渡されたもう1つの依頼は資源調査。牙王家にとって世の中のすべてが《《資産》》でしかない。そしてすべての資産は自分たちのものだと本気で考えている。人間に至っては動的資産としか見ておらず、己の家族ですら血の繋がった道具なのだ。牙王家にとって異世界とはただの消耗品に過ぎない。
だとすれば―――――神代の言っていたことが嘘になる?いや、最初から俺の勘違いなのか?仮説を立てるとするならば、日本政府はそもそも異世界を支配下に治めて統治する気がない………?
俺はドラーヴァから奪った指輪を見つめた。これが鍵となる、そうなるはずだ。精霊を出せるということは俺にも魔法を使う才能があるということの証明、この事実は大きな牙王家に対してアドバンテージとなるだろう。魔法に頼って戦うつもりはないが、俺が魔法を使えるという事実に関しては利用させてもらおう。
本当に嫌な話だが俺は牙王の血族だ。利用できるものは何でも利用とする精神、それが思考の根底に根付いている。だが俺は道を違えたりしない。俺は牙王一族ではなく人間として生きたい。その為にも今は俺の中に流れる穢れた血を利用させてもらおうじゃないか。
俺は人知れず不敵な笑みを浮かべては己の虚しさに乾いた声を漏らした。さて、そろそろ獣人どものいる秘密基地へ向かうとするか。俺はアシュタロトを連れて彼らを集落に呼び戻しに行った。