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漆黒の馬<後>


黒い馬を引き、店に戻ると、店主ことジミーと、勇者の言っていた酒場の主人であろう男が二人で並んで立っていた。


やはり勇者も連れてくるべきだったかと、私は目を細める。勇者には、少年の持っていたラピスの手綱を渡し、宿に連れ帰らせている。居られると面倒だと思ったのだが……。昨日一睡もしていないらしい勇者に愛馬を預るのはかなりの抵抗があったが、今はそれより仕方が無かった。己の馬を信じる事としよう。


「ちょっと! ジミー、マスター! これどう言う事!?」


いきなり食ってかかろうとする少年を軽く諫め取り敢えず馬を繋ぎ、顔の上着を取り除いてやる。馬はぶるりと顔を振い、私を見据える。私は無意識にその頬に手を伸ばすが、彼の鼻面にそれを拒まれた。


私は彼らに向き直す。……今まで勇者は、こういった状況に遭遇した事は無かったのだろうか。


「……この度は、うちの勇者が迷惑を掛けた……済まないと思っている。」


「………!? オジサン!?」


二人に向い深く頭を下げる私に、少年は信じられないといった様に私に振り返り、声を荒げる。


「謝らなきゃいけないのはこの二人の方でしょ!?」


「……否、分かってはいたのだ、私は。奴の性格を。なのに、野放しにした。」


只、「勇者」と名の付くからには、多少の良心なり常識があろうと、高を括っていたのだ、私は。


そう言うと、少年は険しい顔をした侭俯いてしまった。その小さな手が、私の服の袖をそっと掴む。そして、ぽつり、でも、と言葉を紡ぐ。


「勇者様や一緒に旅してるオジサンを賭け事に巻込んだり、危険な目に合わせたり、迷惑かけたりしたら、この国の人間として駄目でしょう……?」


少年はやはり彼らしい。私はうっすらと笑みを浮かべる。優しい気持ちになるのだ、彼を見ていると。


「……何か、勘違いしてるみたいですね、君は。」


ずっと口を噤んでいた酒場の主人が、突如声を発した。私にではなく、少年に向ってだ。


「……勘違い、とは?」


再び黙り込んでしまった少年の変わりに問う。


「……私は、勇者殿に賭けなど挑んでいませんよ? むしろ、反対です。勇者殿の方から、私に賭けを申込んでいらっしゃったんです。」


顔を見合わせ、二人は互いに困った様な顔をした。


その瞬間、私は自分の額に青筋が立つのが分かった。


「………あの……糞勇者が………!! 今直ぐその首へし折ってやる!!」


私は怒りの余り、そこに居た馬の上に飛び乗った。「後で返す!」と叫び置き、乱暴に馬の脇腹を蹴り、宿に向かって走らせる。


「オジサン!!」


少年が叫んだが、それも霧散していった。今は、耳に届きすらしない。馬は、低く唸ったが、走るのを辞めたりはしなかった。


宿までほんの数分で到着する。馬を降りて馬舎に向う。………。


………そんな所で何をやって居るのだ、彼奴は!?


「勇者ああああ!! 貴様、自分のやった事の意味を重々理解して居るのだろうな!!?」


隣りで馬がぶるりと震えたが、今はそれに構っていられない。


勇者は手綱を持った侭背に乗ろうとし、ラピスのかなりの抵抗を受けている所の様だ。当たり前だ。私が言った事を忘れているのか、はたまた言われたからこそ、ムキになってやっているのか……。否、今はその様な事、どうでも良いのだ。


「あー? オッサンか。ククッ、早かったな。」


「早かったな!? 早くもなるわ、貴様この様な事………!!」


私はわななく。握った皮の手綱が、みしりだの、ギチギチだのという音を発した。


「……ふーん、相変わらず短気だねー、クククッ。で? オッサンは俺にどうして欲しい訳?」


「貴様、心得ておろうそんな事! 今直ぐ街へ行って謝罪して来いこの糞勇者が!!」


私は怒りに任せ大声で捲し立てる。


「ハァーア!? 謝んのかよ、ダリィー。」


「怠い!? 何の罪も無い街の民を恐怖に陥れて於いて、怠いだと!? 貴様それでも勇者と名乗る者か!!!」


勇者は心底うざったそうに私の方を見た。瞬間、僅かに目を見開く。それからクツクツと笑出した。私は勇者の行動の意味が分からず眉根を寄せた。


「………何がおかしい。」


「否、オッサン。何にせよ、俺は馬に乗っただけだぜ。只のイワク付きのな。馬に乗る事に罪があんなら、オッサンだって同罪だろ? 気付いてねぇみてえだな。ククククッ。」


勇者の言葉に、私の眉間の皺は深くなる。………正直、解し難い。


「………どういう事だ?」


「ハハッ、オッサン、自分の乗って来た馬、よーく見てみろよ。」


勇者にいわれて始めて、手綱の主を見やる。そして、黒曜の様な瞳と目が合い、私は勇者の言葉を理解した。


「………あ、あ、」


「たまたま言う事聞いてくれて良かったなー、オッサン。つーか悪魔云々って言われてる馬に乗って良かったのか? ククク。」


そうだ。私はあの時黒馬を繋いで………そして、ずっとその隣りにいたのだ。当然だ。頭に血が上り過ぎて気がつかなかった。


私は右手で目の前を覆った。何という事を……。街の住人は、この馬の事を知っているだろう。そして、それは取り敢えずは収拾が付いた。しかしまた現れたと聞いたら……? 嗚呼、頭が痛い。


「無意識とは言えども、己の力量に見合わぬであろう馬に乗り、民に不安を与えた罪は重い………ああ、我が敬愛なる王よ、私は罪を犯した……!」


ぶふん、隣りで黒馬が鼻を鳴らした。そして絶望に浸る私の頬に自らの鼻面を寄せる。


「………!」


勇者と私は目を見開く。ラピスは不満そうに小さく鼻を鳴らした。


「あーりゃア、オッサン、懐かれちまったのか?」


私は戸惑った。何が起因してこの気難しい馬が私に「懐く」などといった事が起こったのか。ラピスが勇者の腕から逃れ、私の周りを忙しなく左へ右へと動き周った。


「あっ、オジサン! ……って、ええ!?」


「どーしたルカ、……!!」


「二人共待って下、さ…い……。」


私の後を走って追って来たのであろう、三人は私の様子を見て絶句した。黒馬はそんな周りの状況など気にせず、私の頬や頭に尚も自分の鼻を擦り付ける。


「……わ、私はどうしたら良いのだ………。」


この街を今直ぐにでも発つのが最良であることは間違なかった。しかし、このままでは余りにも無責任過ぎる。そしてこの馬は一体どうなる?


「あの、オジサン。」


いつの間にか少年……ルカと呼ばれていたが……が、目の前に立っていた。黒馬は私から顔を放し、警戒する様に睨み付けている。私よりずっと付き合いが長い筈なのだが……。


「コレ、どういう………?」


「解らん……。」


再び、黒馬は私に体を寄せて来た。ラピスはやはり不機嫌そうだ。しかし、私は理解不能であるからと言って拒む事も出来ず、するが侭になっている。


「凄いですね……あんな暴れ馬を手懐けてしまうなんて……。」


「全くだな。まァどぉーも一方的に好かれてる様に見えるがよ。」


しかしどうする。仮に私が何らかの理由によって此の馬から奇跡的に好意を受けているのだとしよう。しかしそれは、逆に私自身が此の馬の未来を奪ったという事にはなるまいか。


本来馬というものは知っての通り普段はとても大人しく優しい動物だ。だからこそ真逆の「暴れ馬」等という単語が出来た訳であり、暴走する馬は異常といった世間の目を形成するに至った訳だ。


しかし、その反面馬はとても繊細な生き物だ。一度訂正出来ないまでの衝撃を与えてしまうと、それを完全に忘れさせるのは容易では無い。


………つまりだ。ラピスは私以外の人間のみをその背に乗せることはない。それは訓練の賜であるが、黒馬にもそれと同等の事が起こったのではなかろうか。


ならばこの馬は、


「……ねぇ、オジサン。もうすぐ、この町を発つつもりなの……?」


「あ、ああ……。」


急に少年ルカが目線を下げて呟いた。私からは俯いたその表情を窺い知る事は出来ない。


親指を互いに絡ませる彼は一度瞼を伏せた様だった。次の瞬間、その意志の強い瞳とばちり、目が合った。


「じゃあコイツ、連れて行ってあげてよ! ねぇジミー、いいでしょ!?」


大きな声をあげて振り返ったルカに、ジミーは一瞬びくりと体を震わせてから目を見開いた。


「ルカ、お前正気か!? その馬、いくらしたと思ってんだ!」


そしてルカの言葉を理解した瞬間、声を張り上げる。


「だって! もう仕様がないでしょ!!」


……が、一蹴されて、うなだれた。


「……済まない……。」


私はジミーの様を見て目線を下げた。このような状況に陥った事がない為か、どの様にしたら良いのか分からない。


「……オジサンは謝らなくて良いんだよ。どの道、その馬は買い手がいなかったんだし。オジサンに付いて行った方が絶対に幸せになれるでしょ?」


「……ッ、ああ! 分かったよ、連れて行けよ! 但し、この前の馬は返して貰うぜ!!」


私は内心深く溜め息を吐いた。しかし、それが何に依るものなのかは自分でも解らなかった。小さく、恩に着る、と呟く。


「……え、おい、そうしたら俺はどの馬に乗ったら良いんだよ。」


それまで呆、とこちらのやり取りを聞いていた勇者が突如声を上げた。


「……自分で撒いた種だ。なんとか彼奴に好いてもらうことだな。」


不満げな勇者に答えながら黒馬の首を叩くと、その生き物もまた不満そうに鼻を鳴らした。ラピスは全員の後ろで1回、跳ねた。


「ねぇ、オジサン、この子に名前付けてあげてよ。まだ無いんだ。」


「……そうか。ならば……。」


しばし、黙り込む。視線が私に集まった。


「………お前の今迄が暗闇であったというならば、之よりは光がさせば美しい。……名は、デイブレイク―――黎明が良かろう。」


そう言い、馬の漆黒の立髪に手を延ばせば、突如、黒馬……否、レイメイの体が黒い光を放ち始めた。


「!?」


その場にいる者全てが目を見開いてその光景を凝視する。


光の中の「モノ」は、紫の波動を放ちつつ徐々にその姿を露にしていった。


「……人、か……!?」


ジミーが零すようにそう口にした時には、それは最早完全に馬では無かった。


「あ、貴方は……!!」


右手で光を軽く払って現れた長身の男を見て、私は身震いした。


「……ピースフル・ブラック!」


彼は、長くしなやかな黒髪を払い、私を見据えた。その圧倒感に、誰もが息を留めた。


「え!? マジかよォ!」


いち早く復活したジミーがピースフル・ブラックは10年前死んだはずだろう!? と叫ぶと、黒い男は、ふん、と鼻を鳴らした。


「……散れ。」


す、とピースフル・ブラックが指をジミーに突き付け、睨み付ける。


「う、あ!?」


ジミーの体がふわり、と宙に浮く。首をかき毟る動作を繰り返すジミーを見て焦りが生まれた。


「ピ、ピースフル・ブラック!」


お辞めになられよと走り寄れば、彼はちらりと私の方を見た。瞬間、どくり、と心臓が跳ねる。

ピースフル・ブラックは、それ程までに圧倒的な存在であった。

 


 



彼の話を語るには、少し過去に逆上らなければならない。


……十数年前、この世界で唯一、且つ強大な力をもった人間がいた。それが、ピースフル・ブラックである。


後の世に、「魔術師」と呼ばれるそれは、当時の騎士や王に仕える者全員の憧れの的であった。


今は、神官等がそのほんの端切れを使って王が世の中を導く手助けをしているが、それの比では無い。


ピースフル・ブラックが口ずさむだけで、この世には恵みが溢れた。


ピースフル・ブラックが吐息を吐けば、嵐も凪いだ。


彼は、正に王に匹敵する存在であったのである。


勿論、私も彼に心酔していた。黒い長髪とコートに風を受けて、魔の者を一掃するその者は、未だ幾許か若く、騎士になったばかりであった私の目に強烈に焼き付いて、離れなかった。


……しかし、そんな彼は、ある日あっけなく喪失されてしまった。


簡単な任務だと、一人出掛けて行って、……帰って来なかったのである。


彼の向かったであろう場所には、巨大なクレーターが只残っていただけだったそうだ。


誰もがその場所を知る事を望んだが、誰もそれを叶える事は出来なかった。王が口を割らなかったからだ。


その後、国は大いに荒れた。魔物の来襲に加え、内部の氾濫があったからだ。……ピースフル・ブラックの喪失は、王の意図的なものであったと思い込んだ者達は、この国全土に及んだ。


その者達に、王の「多量な魔力の温存のあるかの地に民を向かわせるのは王の取るべき采ではない。」という言葉を聞き入れる耳は無かった。


私は、人の出払ってしまって閑散とした城内で、王の身辺警護をしていた。……魔物が王の命を狙っている可能性を考えたのだ。今、もし王を失えば、この国はどうなる?


只でさえピースフル・ブラックの喪失で憂えているこの国が、急進的な影響力の消滅で瞬く間に魔の者に滅ぼされてしまうのは目に見えていた。


城の中では、王と、私を含めた少数の騎士、それに幾人かの使用人のみがほてりを放つ眼下の街を見下ろしていた。


……と、些か喋り過ぎたようだ。ここからは割合するとしよう。


私の心配通り、城には魔の者の襲来があった。ピースフル・ブラックの喪失から実に1年の月日が流れた後だった。魔物は巨大で、その力は測り切れないものだった。しかし、その邪悪な姿を見た市民達は、我を取り戻して参戦してくれた事で、王の命は守られたのだ。


人の心とは不思議なものだ。

それから国の内政は安定し、1年の間に荒れ果ててしまった土地も、少しづつ再興していった。


ピースフル・ブラックの事はそれと同じくして、少しづつ人々の記憶から失われていったの、だが。


 


 


フン、と鼻を鳴してピースフル・ブラックはジミーを開放した。地面に放り出された男は、激しく咳込む。


「何故……?」


私はピースフル・ブラックに話し掛けた。本来なら正式な対応をしなければならないのだろうが、場合が場合だけに、仕様がなかったのだ。


「何故? ……何故とは。」


ピースフル・ブラックは目を細めた。私は深く息を吐きだす。


「聞きたい事は多々ありますが、取り敢えず何故、貴方が生きているのか、を。」


「……ああ、私は、生きている。」


「んな事きーてんじゃねぇよ。」


「ジミー黙って!」


怨みがましくピースフル・ブラックの背中を眺めていたジミーがぼそりと呟けば、ルカがぴしゃりと征した。


「……私は……、死ななかった。だから生きている。……かの悪魔に……呪いをかけられた……。」


「……馬になれ、と?」


私の問いに、さらさらとした濃やかな髪を揺らさせる。


「……私は、エドナ出身だ。」


……?


ピースフル・ブラックの言いたい事が分からない。エドナとは、地名だろうか。私は耳にした事が無いが。


「ハハハハッ! アンタ、エドナの男か!! 偉大なる魔術師様もこれじゃ奴隷人形じゃねぇか!!」


今まで傍観を決め込んでいた勇者が、笑い声をあげた。私は、奴隷という愚劣な言葉に眉根を顰めた。


「……どういうことだ?」


私は勇者に問う。


「あー、オッサンは知らねぇだろうなァ。俺も旅を始めてから知ったんだ。エドナってェのは、ウチの国の下の方にあるちっちぇえ村でな、そこの男は、名付け親に一生縛られちまうんだよ。」


縛られる?


「まあァ、カンタンに言うと、そいつの命令は何でも聞いちまうんだよ。血がそうさせるとか何とかでサ。」


勇者はニヤニヤといつもの嫌らしい笑みを浮かべている。


「……私は……世間的には死んだ……。……だから、名前の効力が失われた……。」


「んでェ、呪いかけられて、オッサンに名前を付けられたって訳だ。」


「……わ、私に。」


確かに、私は先程名前を付けた。しかし、それは黒い馬だったのだ。


「あー、あったまかてぇなァ、オッサンはよォ。呪いは、取り敢えず馬になって、名前を付けられたら元に戻るってェ内容な訳だ。魔物はコイツがエドナ出身って知ってたんだろうよ。」


ああ、理解した。私はピースフル・ブラックに目を戻した。


「……醜悪な豚どもに、私を差し出す気は、無い。……私は、お前を認めた。」


 


「……私の名は、黎明、だ。」


 




いやぁ、やたらと時間がかかってしまいました。


取り敢えずここで漆黒の馬編は終わりです。


次は小ネタを挟もうかと考えておりますので、もうしばし、お付き合いを。



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