勉学は身を助く
今日は仕事納めだ。
講師と言う仕事柄三が日や年末と言った日はなく、今年は30まで働いた後31に高校のクラス会に参加する。
正確にはクラス会ではなく三十二人の男祭りであるのだが、朝迄ゲームナイトを決め込む予定だ。
そんな30日、私としてはあり得ない出来事が起きた。
定期を家に忘れてしまった。
仕事に電車では間に合わないので、珍しく、そして柄にもなく全力で14.5キロの道のりを40分で駆けた。
正直大腿四頭筋が弾け飛びそうだったが、背に腹は変えられないので仕事場には大急ぎで向かった。
それは講義を始めてから15分頃の事だった。
私は雑談を挟みながら高校生相手に冬季講習を行なっている真っ最中、生徒が集中して勉強している最中にふと思い出したかの様に自転車の事を考えていた。
「ヤバイ、次の講義場所までもチャリじゃん!?」と気付いたのはその時だった。
仕事納めの日に、よりにもよって肉体を酷使する事になるとは、何とも数時間前の自分を呪いたくなるものだ。
因みにだが、一般に正社員ではない講師の経営モデルは三つの事柄から成立している事が多い。
私の場合は、
予備校・塾での仕事; 30%
問題集・模試・入試問題の作成; 30%
大学・企業での英語指導(又は講習); 20%
その他; 20%
こんな感じになっている。
その他に当たるものとして通訳やWeb系の仕事、不動産や株、その他塾経営をしながらと言う人もいる。
まぁ、こんな事を言えるのも、恐らく今年度でこの業界ともおさらばする事になるからだが、VISA が発給されなければ元も子も無いので、聞かなかった事にしてくれると助かる。
さて、こんな事を書いていると思い出深い講師の先生方を思い出す。
一人は常に着物を着た赤毛の小柄な国語講師だ。
この方は京大の研究員の方とご結婚されているそうで、年始のお節は必ず全て手作りと言っていたのを覚えている。
大雑把で適当な雰囲気を漂わせていたが、今思うとあの人は誰に対して抗議していたのだろう?と思う程の世界観を持った、独特な個性の塊であった。
もう一人は社会の先生だ。
170代後半の身長、細身で金髪、50代かそこらの老年だが、背筋はピシッと伸び、何か腹黒い事を考えている様な笑みを浮かべた先生だった。
日本人離れした顔立ちで、若い頃はバックパッカーをしていたらしい。
その時のエピソードに、民家のグレープフルーツを勝手に食ってたり、マイアミで泳いで戻ってきたら警備隊に銃を突きつけられた、なんて言うぶっ飛んだ小話を覚えている。
個人的にはこの先生が言った言葉が忘れられず未だに生徒に伝える事がある。
それは、ある日曜日の朝、授業前で私が宿題を忘れた時に先生に謝りに行ったのだ。
すると「俺に謝る必要は無い。謝るなら未来の自分に謝っておけ。」と言われた。
確かに私が宿題を忘れた事で先生にはなんら損益は無いのだから、謝るのはおかしな話だ。
私はこれを機に出す宿題と出さない宿題を決める様にした。
或いは歪んだ理解や屁理屈と思われるだろうが、一般の大学入試には高校の成績など毛の一本も加味されない、ならば必要か?と言えば必要では無いのかもしれない。
それが例えば入試に全く直結しないのであればどうだろうか?
私は結果出さなかった側の人だった。
出しても出さなくても困るのは私だ。
なら、私の責任の範疇ならば、私に提出するかどうかの選択肢があってもいいだろうと言う屁理屈だ。
因みに私は国語と英語のどちらかを教える事が多いが、本来は一科目に絞るのが普通だろう。
まぁ、そんな訳でかなりの生徒を現在まで見てきた、と言っても有名どころの先生方程では無いのだが。
何にせよ数百も生徒を見れば変わった生徒の2、3人いるものだ。
今までいた終わってる生徒に、受験前日までまともに勉強せず、私やご両親の話も聞かず、ましてや塾で集中している姿も見せたことのない残念な生徒がいた。
お家では図鑑ばかり観て、携帯を触っては遊んでいたらしい。
だが、大学入試後もあの様子では勉強しないだろうから人生を一時の娯楽に全てベットした訳だ。
強者賭博師にも程があるだろう。
これを読んだ人は少なくとも勉強に目を向ける事を願うばかりだ。
講師として経験則を元とした一つ相関性を言うならば、部屋の整理整頓度合いと勉強の集中力は比例する様に思う。
くれぐれも部屋はキチッと片付けておく事だ。
さて、今日はここで終わっておこう。
今日は少し彼の日常について目を向けてみました。
奇妙な文体を通して彼を見る事で、彼と言う少しずれた人格が描ければと思います。
大晦日ですね。さらば2019年、ウェルカム2020年。