晴の国、雨の国
「可哀想に」
青い目の彼女は赤い目の彼女を見て思った。踏切の先は、喧騒の世界だ。
***
強い日差しの中、青い目の彼女は賑やかな人々の間を走り抜ける。
必要最低限の食料を紙袋に入れて胸に抱えて、彼女は俯きながら町を後にした。
ここは晴の国。
空はいつも澄み渡っている。
日差しが強く、町の人々は頭から足首まで布で覆い隠している。
そうでもしないと、強い日差しに焼かれ、肌がただれてしまうのだ。
覆われた外見とは逆に、人々の性質は極めて開放的だ。
町の中心部で開かれる市場では、人々の声が絶えない。
物売りの声、店主と世間話をする主婦の声、子供たちの遊ぶ声。
この町は、活気に満ちている。
その中で彼女は一人浮いた存在だった。
静寂を求め、いつも自身の家にこもる。しかし、この町で静寂を探すのは難しい。
朝一番の市場の音、昼間の活動する人々の喧騒、夜の酒場や歓楽街で過ごす人々の下世話な話声。
彼女の求めるものは、ここにはなかった。
丸みを帯びた土の家がいくつも連なる中心部から、階段を上へ上へと上がっていく。
彼女が踏みしめるたびに、階段から土煙が舞う。
彼女は口元を布の中に沈める。
洗濯物を干す人、けだるげにベンチに座る人、見下ろせば広がる町。
ここにはいつも人の気配があった。
彼女はそれらに目もくれずさらに上へと足を進める。
家屋が少なくなってきた。
ここは町の頂上。
彼女は目にかかった髪を細い指でぬぐう。
髪は汗でべったりと張り付いている。いつものことだ。
だが彼女はそのいつものことが不快でならなかった。
町の一番上から見る景色。
活気ある市場も人々も点にしか見えない。
広がるのは土色の世界。
砂埃が舞う乾いた土地。
彼女は遠くを見やる。
白い電車が走っている。
砂漠の真ん中に、唐突に存在する線路と踏切。
今日は見ることができた。
布で覆われた彼女の口元に小さな笑みが浮かぶ。
この騒がしい町で彼女の心を静めるのは、あの小さく見える電車だけ。
電車は、年中走っている。
だが、頻度や時間はまちまちだ。
一日に何度も走っていることもあれば、二週間走らないこともある。
遮断機が下りる。
踏切の前を電車が通る。
砂漠の真ん中の線路。遮断機の意味はない。
遮断機のほかに線路を覆うものはない。
彼女は電車が遠く彼方まで消えていくのを見守った。
電車を近くで見たい。
衝動に駆られることはいくらでもあった。
だが、この町であの電車は禁忌だ。
口に出すこともはばかられる。
理由は誰も知らない。
彼女は、家に入る。
電車がよく見えるこの家に住むのは彼女くらいだ。
日差しに照らされやけに明るい部屋の机に彼女は紙袋を置く。
煩いくらいの明るさ。響いてくる町の人々の声。
静寂が欲しい。
彼女は目を閉じ、想像する。
青い電車に彼女は乗り込む。
車内には誰もいない
行先を示すプレートには『静寂』と記されている。
車内はとても静かだ。
求めていたものだ。なのに何かが違う。
踏切に差し掛かる。電車が止まる。
誰かが乗り合わせてくる。目が合った。
彼女は電車を降りていた。いつも遠くから見ている踏切が目の前にあった。
遮断機が開いている。その前には、少女がいた。喧騒を色で表したような、赤い目を持つ少女だった。
外から聞こえるがなり声に目を覚ます。
夢を見ていた気がする。
彼女はゆったりと体を起こす。
窓にいつも餌をやっている白猫が来ている。
かなりの時間寝てしまっていたようだ。
彼女は、夕食の準備を始める。
煩い。
彼女が求める静けさは今日も来ない。
***
「可哀想に」
赤い目の彼女は青い目の彼女を見て思った。踏切の先は、静寂の世界だ。
***
降りしきる雨の中、赤い目の彼女は静かな人々の間を走り抜ける。
配給された食材をビニール袋に入れて胸に抱えて、彼女は俯きながら町を後にした。
ここは雨の国。
空はいつもどんよりと曇っている。
湿度が高く、町の人々は肌をあらわにした服を着ている。
そうでもしないと、服の中にこもる湿気で汗まみれになってしまうのだ。
開放的な外見とは逆に、人々の性質は極めて閉鎖的だ。
町の中心部には、配給の列ができている。誰も声を発しない。
誰もが、黙って列に並び、ものを受け取ると、そのまま立ち去っていく。
この町は、静寂に満ちている。
その中で彼女は一人浮いた存在だった。
喧騒を求め、いつも自身の家にこもる。しかし、この町で喧騒を探すのは難しい。
彼女は家に帰ると、苦心して手に入れたレコードに針を落とす。もう何回も、何百回も針を落としているため、ノイズがひどい。人の歌声は歪み、ノイズに消えた。
彼女の求めるものは、ここにはなかった。
四角い鉄の家が集まる中心部を抜け、ぬかるんだ坂を上へ上へと上がっていく。
彼女が坂を上がっていくごとに、泥が足にまとわりつく。
彼女は重くなる足取りに顔をしかめながらも、一歩一歩坂を上っていく。
人がいるのに、誰もいないように静かな中心部。
そんな場所より、まだ土に打たれる雨の音がする坂の上の方がよかった。
彼女の傘を雨が打つ。
ぽつんと佇む、四角い鉄の箱。
彼女は目にかかった髪を細い指でぬぐう。
髪は汗でべったりと張り付いている。いつものことだ。
だが、彼女はそのいつものことが不快でならなかった。
坂の上から見る景色。
沈黙する人々が暮らす中心部は、小さく見える。
広がるのは灰色の世界。
湿気がまとわりつく濡れた土地。
彼女は遠くを見やる。
白い電車が走っている。
砂漠の真ん中に唐突に存在する線路と踏切。
今日は見ることができた。
傘で影のできた彼女の口元に小さな笑みが浮かぶ。
この静寂に包まれた町で彼女の心を躍らせるのは、あの小さく見える電車だけ。
電車は、年中走っている。
だが、頻度も時間もいつも違う。
一日に何度も走っていることもあれば、二週間走らない時もある。
遮断機が下りる。
踏切の前を電車が通る。
砂漠の真ん中の線路。遮断機の意味はない。
遮断機の他に線路を覆うものはない。
彼女は電車が遠く彼方まで消えていくのを見守った。
電車を近くで見たい。
衝動に駆られることはいくらでもあった。
だが、この町であの電車は禁忌だ。
口に出すこともはばかられる。
理由は誰も知らない。
彼女は、家に入る。
電車がよく見えるこの家に住むのは彼女くらいだ。
どんよりと曇った薄暗い部屋の机に彼女はビニール袋を置く。
静けさを帯びる影。響いてくる雨の音すら単調で静かだ。
喧騒が欲しい。
彼女は目を閉じ、想像する。
白い電車に彼女は乗り込む。
車内には人が溢れている。
行先を示すプレートには『喧騒』と記されている。
車内はとても賑やかだ。
踏切に差し掛かる。
求めていたものだ。なのに何かが違う。
電車が止まる。
誰かが乗り合わせてくる。目があった。
彼女は電車を降りていた。いつも遠くから見ている踏切が目の前にあった。
遮断機が開いている。その前には、少女がいた。静寂を色で表したような、青い目を持つ少女だった。
外から響く雨音に目を覚ます。
夢を見ていた気がする。
彼女はゆったりと身体を起こす。
窓にいつも餌をやっているに白猫が来ている。
かなりの時間寝てしまっていたようだ。
彼女は夕飯の準備を始める。
静かだ。
彼女が求める喧騒は今日も来ない。
***
彼女たちは、いつものように電車を見るために、町の頂上から、坂の上から、遠くの砂漠を見ていた。
電車が止まった。
彼女たちは息を呑んだ。
まるで自分を待っているようだ。そう思った。
いつも餌を上げている猫が鳴いた。彼女たちは走り出した。
先を行く猫を追いかけ、土埃が舞う町を、雨に濡れる町を、怪訝な目で見やる人々の目を無視し、ひたすらに走った。
砂漠に出た。踏切が開いていた。
踏切を挟んで彼女たちは邂逅した。
赤い目の彼女は、青い目の彼女を見つめた。
青い目の彼女は、赤い目の彼女を見つめた。
二人は口を開いた。
「私は貴女を可哀想だと思った」
静寂の中、生きる赤い目の彼女は言った。
「静寂の中に生きるあなたを」
喧騒の中、生きる青い目の少女は言った。
「喧騒の中を生きるあなたを」
二人は声をそろえた。
「そして私たちは入れ替わった」
喧騒に生まれた赤い目の少女は、静寂へ。静寂に生まれた青い目の少女は喧騒へ。
「私は苦しかった」
「私も苦しかった」
互いは互いを可哀想だと思った。
だが、青い目の彼女は、静寂が好きだ。喧騒が合うはずもない。
赤い目の彼女は、喧騒が好きだ。静寂が合うはずもない。
発車のベルが鳴る。
もう間もなく電車は出発する。
二匹の白猫が、電車に飛び乗り、やがて重なり一つの光となって消えた。
「私が求めるのは喧騒」
「私が求めるのは静寂」
開いた踏切に、彼女たちは足を踏み入れる。
だが、彼女たちは互いの世界に戻ることはなかった。
彼女たちは踏切の中で立ち止まる。
「それでも、まだ見ぬ先に」
彼女たちの声が重なった。
彼女たちは笑った。
電車の後方に存在する扉が、彼女たちを迎え入れるように扉を開いた。
彼女たちは手を取り合い、電車の中へ足を踏み入れる。
行先を示すプレートがくるりと回った。
目指す先は『彼方』。
誰も見ぬ、静寂も喧騒も超えた世界へ。
踏切が閉まり、白い列車が砂漠の上を走りだす。
終わり
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