6話 ハーフエルフ
リリック・ワーグナーはうめき声をあげる人間達を眺めながら、溜息をついた。そこにいる者達は皆気絶か、痛みで立ち上がることができず、地面に横たわっている。
なんと脆い者達だろうか。
――こんな奴らに、何故俺が蔑まれるんだ?
「た、頼む、助けてくれ……」
つい先ほど自分を半魔と馬鹿にした男が、襟を掴まれて血だらけの顔で懇願した。ほんの十分前は意気揚々と見下していたのが、この変わりよう。笑えずに、むしろ憐れむような視線を紅い瞳が送る。
「うるせえよ、クソ人間が。お前らみたいなクズの血が俺に半分流れていると思うと嫌になるぜ」
リリックは気怠そうに呟き、右腕を振って男を投げ飛ばした。
背中から着地し、地面を転がった男はふら付いた足で立ち上がり睨んできた。
「こ、こんな事をしてただで済むと思っているのか! 貴様は軍法会議で処刑にしてやる!」
解放されて気が大きくなったのか、男は声を張り上げる。しかし顔は怯えたままで、冷や汗を流しながら虚勢を張っているのだと一瞬で解った。
「この汚らわしい半魔が!」
その言葉を聞いた瞬間、リリックは地面を蹴り、男の傍に着地する。
あまりにも一瞬すぎた移動に、男は動けず、ただ煙をあげる地面を見ていた。
「俺を、その名で呼ぶなと言ったはずだが?」
リリックは男の頭に手を触れ、魔力を込めていく。
致死量ギリギリの魔力、死んだとすれば男の運が無かっただけだ。
「ま、ま、ま、待ってくれ。頼む! 俺が悪かっ――」
ぶちゅ。
まるで排便でもしたかのような汚い音と共に、男の耳や鼻、そして目や口。顔にある穴という穴から血を吹き出して気絶した。鮮血の汚い花火、頬についた返り血をふき取りながらリリック・ワーグナーは溜息をつく。
「まったく、クソくらえだよ」
××××
ルイスがクロード領で教師となり五日が経過した。
初日こそ変わった三人組と戦ったり、イフリートを討伐したりと忙しかったのだが。そこから四日間は新しい生徒も来ることはなく、落ち着いた生活を送っている。
「平和だな」
空を見上げながらルイスはそんな事を呟く。
この四日間は毎日フリーシェと散歩で外を歩いている。初めてこの領地を訪れた頃は、遠巻きに見つめてヒソヒソと話していた領民達も、クロードの口利きがあったのか今は時々話しかけてくるようになっている。
というより、ルイスが感じたのはこの地での半魔に対する差別心の少なさだ。このような田舎で育った彼らは、半魔に触れる事もほとんどなく、初日の警戒もルイスを半魔としてではなく、単なる余所者としての警戒が大多数を占めていたらしい。
クロードの部下である兵士達は、そうでもないのだが。
「やぁ先生、お散歩ですかい?」
畑沿いを歩いていると唐突に声をかけられ、振り返ると畑から老人が顔を出していた。
「おはようございます、少し気分転換にでもと思いましてね」
「そうでしたか、健康は足からと言いますしね」
「おじさん、おはよう!」
「フリーシェ君も元気がいいねぇ」
老人はニコニコと笑いながら手を振り、そして近くにあった小さい籠を持ってルイス達の前に立つ。
「今朝苺が採れましてね、どうぞお二人で食べてください」
「そんな、良いんですか?」
「ええ、まだまだありますから」
老人は半ば強引に苺の入った籠を押し付け、微笑みかけてくる。
「そうですか……ではありがたく頂きます。ほらフリーシェ、お礼は?」
「おじさん、ありがとう!」
「どういたしまして」
老人はニコリと笑い、そのまま畑へと戻っていった。
ルイスはもう一度頭を下げ、再び帰路へ戻る。
「やったね先生、苺だよ」
「フリーシェは苺が好きかい?」
「うん! 大好き!」
「じゃあ今度、おじさんにお礼をしないとね」
「うん!」
フリーシェは、この短期間で見違える程明るい性格へと変わった。というよりは、おそらくこっちが素なのだろう。前まではイフリートの影響で、心がすさみきっていたようだ。
「じゃあ早く帰って食べようか」
「うん!」
そんな会話を続けながら、二人は学校へと戻る。
フリーシェと向かい合って苺を齧っていると、ノックも無しに扉が開かれ、小脇に木箱を抱えたクロードが勢いよく入ってきた。今日も女性用の服を着ており、全身黒尽くしのタイトスーツだ。
「やぁおはよう! いい天気だね!」
「おはようクロード、それよりノックくらいしたらどうだい?」
「僕たちの間にそんなもの必要ないだろう? それより、これを見てくれ」
そういってクロードは抱えていた木箱を床に置き、そこから一着の服をとりだした。
純白と言っていいほどに白をベースにした灰色のハイネック。面の厚さはとても薄いが、それでもきめ細やかな繊維で透けることはないだろう。上下共につながった装飾で、おそらくオーダーメイドなのだろうとルイスは判断した。
「じゃじゃーん、君の服ができたよ」
「私の?」
「そうさ、教師なら教師らしい服装って物があるだろう? ほら、早く着てみてくれ」
急かされるままルイスは受け取った服を着て、姿見の前に立たされる。随分と体のラインが出てしまう服に、少々戸惑いながらもちょうどいいサイズ感に肩を回した。
「動きやすい服だね、高かったんじゃないか?」
「イフリートの討伐報酬をつぎ込んだからね、とても高いから汚さないでくれよ」
イフリートの討伐報酬は、平民の生涯年収、その数倍とも言われている。それをつぎ込んだ服とは。
「先生、すっごく似合ってるよ」
フリーシェが目を輝かせながらそんな事を言い、ルイスは照れながら頬をかく。
「うんうん、教師らしい服装になった」
満足げに頷いたクロードは、木箱からもう数着服を取り出し、フリーシェに手渡す。
「フリーシェ君にもプレゼントだ、大切にするといい」
「わぁ、ありがとうございます」
頭を下げたフリーシェは、服を大事そうに抱えて深々と頭を下げる。
一瞬見えただけだが、ルイスの服よりも高価そうだ。
「さて、君たちにプレゼントもあげたし。ちょっと本題に入りたいんだけどいいかい?」
「本題?」
「ああ、君たちに良い報せがあってね。今日新しい生徒が来ることになった」
「やっとか」
子供がフリーシェ一人では可哀そうと思っていたルイスにしてみれば、ある意味、丁度いいタイミングだ。
「そろそろ来る頃だと思うから、みんなで出迎えてあげよう」
クロードはそう告げ、懐から出した羊皮紙をルイスに手渡す。
「ここに書かれているのが、新しい生徒なのか?」
「そうだよ、その子はもう入学も決定している」
「そうか、わかった」
適当に会話を切り上げて、ルイスは羊皮紙に目を落とす。名前、年齢、性別、それといって問題はない。しかし備考欄に書かれていた文字に、少しだけ目を止めた。
『ハイエルフの半魔』
つまりこれから来る生徒は、自分と似たような境遇なのだろうとルイスは理解した。
「さて、じゃあ行こうか。ちょうどあっちも来たみたいだし」
クロードがそう言い、ルイスは窓から外を確認すると、一台の馬車がこちらへ向かって車輪を回していた。
××××
馬車が学校の前でとまり、中から現れたのは一人の青年だった。
年は二〇にも満たないと分かるほど若々しく、細い体つきと灰色にも見える白い肌、そして色が抜け落ちたかのような癖のある銀髪。瞳は赤く輝いており、その下には深く刻まれているであろう隈が目を引いた。
髪の間から見える耳にはピアスが三つほど輝いている。
「アンタが噂の教師ってやつか?」
その青年は馬車から降りると、ルイスの正面に立つ。
一八四センチであるルイスより、目線が少し低い。そして面と向き合うと目付きの悪さが、刻まれた隈と共にとても目立っていた。
そんな彼の顔に怯えたのか、フリーシェはルイスの陰に隠れる。
「初めまして、私が君の教師になるルイスだ。リリック君だね?」
「ああ、俺がリリック・ワーグナー。ハーフエルフだ」
リリック、彼はそう自分の名を告げた。
半魔と言ってもその定義は案外雑なもので、悪魔と人間の間に生まれた者を半魔と呼び、そして彼のようにエルフとの間に生まれた子も半魔と呼ばれる。ルイスに言わせれば、エルフは精霊の末裔であり、魔物に分類されているわけではないので半魔と呼ぶのはおかしいのだが。
「その肌、アンタ悪魔との子か?」
リリックはルイスの姿をまじまじと見つめ、そんな問いを投げた。
「半魔は嫌いかな?」
「好きじゃねえが、人間よりはマシだ……」
気だるそうな雰囲気でそう言ったリリックは、頭をかいてそのままフリーシェとクロードに目をやった。
「アンタは一度会ったな、ここの領主さんだろ?」
「久しぶり、僕の事を覚えていてくれたんだね」
「まあな、そっちの子供は何だ?」
ルイスの陰に隠れるフリーシェに顔を向けると、フリーシェはルイスの裾を掴んだまま完全に隠れてしまった。
実は人見知りな所があるのか、それともリリックの顔が怖いだけか。
ルイスがそんな考えを巡らせていると、リリックの舌打ちで目を戻した。
「まぁいい、俺の部屋はどこだ? 案内してくれ」
苛立ちを隠さない様子で、リリックはクロードを見た。フリーシェの態度が気に障ったのだろう、とても気怠そうにしている。
「ああ、君の部屋はもう用意してあるよ。うちの兵士に案内させよう」
クロードは付き添いの兵士にリリックの案内を任せ、学び舎の中に見送った。
この学び舎は案外広いので、寮につかってもまだまだ部屋は余っている。
「気難しそうな子だな」
リリックの姿が見えなくなると、ルイスは呟くようにクロードへ目を向けた。
「年は十八、彼も王都から連れてきた。って君に渡した書類でもう解っているか。なんにせよ頼んだよ」
「解った、努力する」
ルイスの返答に満足した顔を見せたクロードは、一度笑ってそのまま自分の城へ足を向ける。
そんな彼を見送った後、ルイスは一度溜息をついた。
(二人目の生徒はハーフエルフ、これは難題だぞ)
自分の足にしがみついていたフリーシェを連れて、ルイスもまた学校の中へと戻った。
部屋の扉を数回ノックし、リリックの部屋に顔を出した。
「やぁ、気分を害しちゃったのかなと思ってね」
「別に、あんなの慣れてる」
リリックは荷解きを続けながら、ルイスを見ずに返答した。
「一応言っておくと、フリーシェは君が半魔だからという理由で、怖がっていたんじゃない。それを伝えに来た」
「…………」
「肌を見て解る通り、私も君と似たような境遇だ。これから教師と生徒の関係になるんだし、仲良くしないかい?」
リリックは荷解きを止めると、目付きの悪い目でルイスを睨みながら口を開く。
「アンタに言いたい事が二つある。一つ、俺は強くなるためにここへ来た、馴れ合うつもりはない。そしてもう一つ、二度と俺を半魔と呼ぶな」
冷たくも怒りを混ぜた口調でリリックはそう告げると、ルイスを無理やり部屋の外へと追い出して、大きな音を立てながら扉を閉めた。
(しまったな)
ルイスは頭をかきながら、かける言葉を間違えたと後悔する。
ルイスのように悪魔の血を引く者や、リリックのようにエルフの血を引く者の中には、半魔と呼ばれる事を嫌う者もいる。
リリックは、きっとそうなのだろう。
「先生、大丈夫?」
ふと隣から声がして、目を向けるとフリーシェが心配そうな目でこちらを見つめていた。
「心配ないよフリーシェ、お昼ご飯を作りたいんだが手伝ってくれるかい?」
「うん、わかった」
ルイスは笑顔でフリーシェを連れ、台所へ向かいながらリリックの事を考える。
半魔として迫害を受けてきた者の心を開かせるのは、簡単な事ではない。
自分がそうだったのだから、よくわかる。
ルイスは首を捻りながら知恵を振り絞っていた。
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