29話 魔人化
ルイスが闘技場からでた通路を歩いていると、抱きかかえていたアイニールが顔を上げた。
「申し訳ありません、ルイス。負けてしまいました」
傷だらけになってしまった顔で、アイニールは謝った。
そんなもの必要ないのに、むしろ謝らなくてはならないのはこちらの方なのに。
「謝らなくてはならないのは私の方さ、私がもっとうまく君を導いていたのなら、君はこんな怪我を負うことはなかった」
そう応えながらルイスは簡易的な治癒魔法を唱えた。
腰を据えなければ傷跡を全て消す事はできない。
この程度では精々痛みを減らす程度だろう。
「いいえ、私の未熟は私の責任です。それよりルイス、リリックの試合を見届けたいのですが」
「解った、少し移動しよう」
先ほどまで自分がいた特等席ならば、治療をしながら試合を観戦することも可能だろう。
小言を言ってきそうな貴族大臣はもういない。
そう考えルイスが進路を変えようとした時、視線の先に一人の男が立っているのに気付いた。
「——君は」
「一つ訊きたい」
青白い顔に細い四肢、かなり幼げな顔をした少年だ。
だがその気配はどこか独特で、ルイスにも覚えのない気配。
「えっと、羅刹君だったかな?」
そこに居たのは、本戦出場者である羅刹だった。
「お前、半魔なのか?」
羅刹は無表情のまま淡々と問いかけてきた。
仮面を被っているとはいえ、凝視すれば観察眼の高い者ならば肌の色はわかる。
「見れば解るだろう? それより何の用だい?」
ルイスの問いかけに、羅刹は何も答えずただゆったりとした足取りで向かってきた。
やがて距離が五メートルを切った瞬間、羅刹は口を開く。
「特に恨みはない、ただ俺が生きる為に――」
そして彼は、無数の掌をこちらへかざす。
「——お前を殺す」
××××
リリックは闘技場の中で足をブラつかせて準備体操を始める。
特に必要でもないと思うが、それでも少しだけ頭を冷やさなくてはならない。
しかし、リリックの心中には怒りしかなかった。
「クハッハッハ! 笑っちまうぜなぁ? お前も笑えただろ?」
「……何がだ?」
なぜなら、バイエルンがただニヤケ面のまま煽るようにしてくるからだ。
リリックはルイスに鍛えられたのもあり、ある程度までなら相手の力量を測る事ができる。
だからこそ、この男がアイニールを少しでも長く痛めつける為に手加減していた事を知っていた。
「いやあの女だよ、まったくお前みたいな半魔を家族とでも思ってんのかねぇ? お前を馬鹿にするとまァ怒るのなんのって、アレってお前の女か? だとしたらあの女は男の趣味まで悪いって事になるぜェ――なァ?」
自分から冷静さを奪うための言葉。
それを理解しつつも、リリックは睨みながら応える。
「……ごちゃごちゃうるせェんだよ」
「——はァ?」
「いいか? 不意打ちだなんだと騒がれるのも癪だから言うぜ? 俺はお前を正面から叩き潰す、最速最短で殴り倒す。小細工は無しだ」
リリックの言葉に、バイエルンはただ沈黙するだけだった。
だが受けた言葉を反芻し、やがてその顔から笑みが消える。
「ああ、そう……なるほどね。つまり半魔風情が俺っちの事を嘗めちゃってるわけねェ??? 上等だよクソが、あの女みたいに生半可な手じゃねえぞ? 俺が貯蔵する武器を全て使ってお前をミンチにしてやる、グズグズになるまで切り刻んで畑の肥やしにしてやんよォ!」
怒りに言葉を揺らがせるバイエルンを見て、リリックはただ笑う。
どれほどこの男が強い言葉を使おうが、心は一切乱れない。
なぜなら知っているから。
『では第二試合、リリック=ワーグナー対バイエルン=エボーチカの試合を開始しますッ!』
実況の声と共に、ジューナは片手を空に向ける。
そしてその手を振り下ろし、開始の合図とした。
「貯蔵解放≪ボックス・オープン≫」
先手を取ったのは、バイエルンだった。
彼の魔法で体から無数の武器が生えてくる。
「俺の持つ武器二千本、その全てでぶっ潰してやるよォ!」
そしてバイエルンは両手を振ると、切先が一斉にこちらを向いた。
四肢から放たれる無数の武具。
槍、剣、刀、手裏剣、苦無、矢、薙刀、鉄鎖、矛、鉄球、波刃。
数えきれないほどの武器が、一斉に襲い掛かる。
だが、その標的であるリリックの心はとても穏やかだった。
波風一つなく、ただ無に凪いでいる。
全ての感情はただ一つ、この男を倒すためだけに。
それ以外の全てを捨て去り、師から譲り受けた力を存分に振るう。
「魔人化――五パーセント」
その刹那――、
夥しい程の魔力の波が周囲を満たし、リリックの姿が変わる。
灰色の髪は小金色を交えたかのように輝き、魔力によって生まれた風が彼の前髪をかき上げる。
その目はただ一心に前を見つめ、彼は拳を作った。
瞬間大地を揺らす程の移動による蹴り。
爆発した大地に、彼の影はない。
既に彼は、敵の懐に潜り込んでいた。
「エルフの拳」
魔人化によって得られる様々な恩恵。
中でもとりわけ大きい魔力の増加。
その全てをただ一つ、体術のみに使う。
その威力を、
その力を、
その破壊を、
リリックは拳に乗せて、バイエルンの腹を打ち抜いた。
「ブオエェェ!」
肋骨を砕き、内臓を潰す感覚。
打ち抜く衝撃は周囲に波状の衝撃を残すのみ。
血反吐を吐きながらバイエルンは地面を撥ねて会場の壁に激突する。
だが、それで終わらない。
壁にめり込む敵に向けて、リリックは再び拳を握る。
爪で掌を噛み、力を一矢たりとも逃さぬよう。
ただ殺意だけを拳に乗せて。
「解放! 解放! 貯蔵解放!」
虚ろな目ではあったが意識はある。
そんな状態にまで追い詰められたバイエルンは、何度も叫んだ。
やがて彼の体から、無数の本身が現れた。
「剣山の鎧!」
まるで剣の山。
無数の刃が彼を覆うように広がっていた。
近付くだけで全てを斬られる。
それほどまでに多い剣の鎧。
「魔人化――八パーセント」
されど――リリック止まらず。
無数の剣をものともせず。
ただ握った拳を腰に当てて踏み込む。
そして無数の本身に覆われたバイエルンの顔を打ち抜いた。
「グアァアァ――!?」
ズタズタに引き裂かれた拳。
体を刺す無数の剣。
だがそんなダメージなど意に介さない。
合計十七本。
それがリリックに刺さった剣の合計である。
流れる鮮血、広がる傷跡。
されど、止まらない。
リリック=ワーグナーは止まらない。
「ま、待て!」
歯を折られ、鼻を潰され。
もはや両手を広げて助けを乞うことしかできない。
そんなバイエルンを、リリックは再び射程に入れる。
「魔人化——」
××××
一週間前。
「いいかいリリック? この力を使う条件、それは――」
自分の師であるルイスは、微笑みながら続けた。
「自分ではなく、他人のためにだけこの力を使うんだ」
「他人のため?」
どうして自分が得る力なのに、他人のためではならないのか。
リリックには不思議だった。
「魔人化の力は強大だ。百パーセントにまで上昇させれば、勇者すら凌ぐ力を得ると言われている。だからこそ、自分の為だけに使えば、きっとその力に溺れる」
そしてルイスは、笑いながら自分の肩を叩いた。
優し気な笑みと、そしてどこか悲しそうな瞳。
「魔人化によって得る力を自分の為だけに使ってはいけない、その力は誰かの身を守るために、誰かの誇りを守るために、誰かの夢を守るために。その一心だけのために使いなさい」
それが、魔人化をするための条件だった。
××××
師の言葉を胸にリリックはまた拳を握る。
健も肉も切れた拳だが、それでも握り続ける。
アイニールを傷付けた、この男を屠るために。
「——十パーセント」
そして放たれた拳は、バイエルンを打ち抜いた。
圧倒的な膂力。
拳はバイエルンの腹ごと会場の壁を壊す。
そして敵の肉体はそのまま壁を数枚ぶち破って消えた。
魔人化。
かつてこの力を手にした者は、勇者にすら比肩したという。
その伝説を知らしめるほどに圧倒的な差。
試合を見る勇者達ですら、その力を見て表情を消す。
師より授かった力。
誰かを守る時だけ使っていいと言われた力。
その力をもってして戦い。
そして立ち続けるのは――ただ一人。
「勝者、リリック=ワーグナー!」




