18禁の映画
その日私は、近所のシネコンに一人で出かけていた。
特別観たい映画があったわけではない。しかしそこでは秋の収穫祭なる企画を開催しており、特別上映している映画は千円で観られることを知ったのだ。その日やっていたのは、トミー・リー・ジョーンズ主演の『ノーカントリー』という映画だ。
アメリカ西部、テキサスの町で一人の男が麻薬密売にからんだ大金を発見し持ち去った。危険な金を巡り、謎の殺し屋や警察が動き出す。しかし彼らの行く先には無数の死体が転がり、荒野は血に染まる――。
映画の紹介によると、まあ、そんな内容であることが分かった。
上映開始は昼の12時25分。およそ30分前に車を駐車場に入れると、まずはコンビニに向かい、トミー・リー・ジョーンズに敬意を表したわけではないが、缶コーヒーのBOSSを買った。本当は缶コーヒーは持ち込み禁止なのだけれど。
ところがいざ館内に足を運ぶと、その肝心の『ノーカントリー』の名前がどこにもない。
「『ノーカントリー』がノーエントリーだ」
そんな独り言を呟きながら、もう一度シネコンのスケジュール表を調べてみると、上映は昨日で終わっていることを知った。
この地球の上映スケジュールは、意外と短い、てな感じ。
しかし元々そんな映画好きではなく、ただの時間潰し程度にしか考えていなかった私は、本日より上映が始まった他の特別上映の映画を観ることにした。『イースタン・プロミス』という聞いたこともないタイトルの映画だ。
どのような内容の映画か、少しくらいは知っておきたいところではあるが、あいにく上映開始の時刻が迫っていたので、そのままチケット売り場に並んだ。
こうなりゃもう、何だっていい。プロミスだろうがアイフルだろうが、千円で観られりゃ何だっていい。
「イースタン・プロミス、大人一枚」
だが、半分捨て鉢な気分でチケットを購入すると、そこには小さな字で【R-18】と印刷されていることに気が付いた。もちろんそれは、免疫力を高めるトクホのヨーグルトなどではなく、その映画が18禁の映画だということを示している。
ジュ、ジュ、ジュウハチキン!
18禁の映画と知った私の胸は、俄かにざわついた。そう、それは残虐シーンが目白押しの恐怖映画か、激しい大人のロマンポルノのどちらかだろうと思ったからである。
ポッ、ポッ、ポルノ!
成人映画館などというものには入ったこともない純情少年だった私は、右手に持った缶コーヒーのBOSSを強く握りしめると、どくどくと胸の鼓動は他の人に聞こえるのではないかと思うくらい激しくなった。落ち付け、落ち付けと言い聞かせるほどに鼻息は荒くなり、疚しい気持ちから最後には人の目を忍ぶ忍者のような足取りでこそこそと6番シアターへ足を踏み入れた。
そしていざ上映が開始された。しかし映画はいつになっても大人のロマンポルノのごとき展開とはならずにやきもきした。やがて映画は、とある理髪店でのワンシーンとなった。
それまでにこやかに客と談笑していた理髪店の店主が、いきなり客の喉元を剃刀の刃で切り裂いた。そして客の喉元からは、ゴボゴボと音を立てながら鮮血が溢れ出た。
うわあっ!
不意を突かれて眼鏡は斜めにずれ、深く腰掛けたお尻はシートの上からズルズルと崩れ落ちそうになりながら、声にならない悲鳴を私は上げた。
は、外れた……。残虐シーン目白押し恐怖映画の方だったか……。
『イースタン・プロミス』は鬼才、デヴィッド・クローネンバーグ監督が2007年に製作したサスペンスアクションである。アカデミー賞にもノミネートされ、続編も作られたというからなかなか評判の映画らしい。
ストーリーは、ロンドンの裏社会で暗躍するロシアン・マフィアの男と、表の世界で小さな命のために奔走する女の運命を描いたものだ。鍛え抜かれた肉体を持つ主演のヴィゴ・モーテンセンは、その当時40代後半という男盛りだった。
その後もさすがに18禁の映画だけあって、殺人の場面では首を掻き切られたり目をえぐり取られたりというシーンが、スクリーン上に生々しく映し出される。
「ひいっ!」
斜め後ろに座っていたご婦人など、どうやら生々しい映像が苦手なようで、悲鳴を上げ、手で半分顔を隠しながら怖々とスクリーンを観ている。
そんなに苦手なら観なければいいのにと思うが、もしかしたら彼女もまた、ノーカントリーがノーエントリーでプロミスだろうがアイフルだろうが、の口だったのかも知れない。
映画はやがてクライマックスの場面となり、サウナで裸の男が格闘するシーンとなった。そこで私は、この映画が18禁であることの真の意味を知ることになる。
何故に格闘シーンの舞台がサウナでなければならないのか。何故に大人の男同士が裸でやり合わなければならないのか。
主演を務めるヴィゴ・モーテンセンはなかなかの男っぷりであったのだが、その彼が、自分のイチモツを惜しげもなくスクリーンに晒しながら刺客役の男を追いつめていく。それは、並み居る玉自慢の日本人男性が恐れ入りましたと膝を折り、ははあ、ははあと畳に頭を擦り付けながら敬意を払うほどの大層なモノであった。そう、これぞまさしく18金と呼ぶに相応しい。
「わおっ!」
生々しいのが苦手なはずの斜め後ろのご婦人も、ストーリーの息を飲む展開にか、それともぶら~んと垂れ下がったヴィゴ兄貴の巨大な18金にか、身を乗り出すようにしてスクリーンに釘付けとなっている。もちろん、刺客役の男性だって負けちゃあいない。負けず劣らずの18金をどうだどうだと言わんばかりに誇示しながら、ヴィゴ・モーテンセンの巨大18金に挑んでいく。
スクリーンには、それがまさかのローアングルで大写しとなる。サウナでしこたま汗にまみれた二つの18金は、てらてらと鈍い輝きを放ちながら、まるで闇夜に浮かぶ火の玉のように不規則に動き続け、時に交差し、時に離れ、時に激しく絡み合う。
あまりにも素早い動きと先の読めない展開に、私の目は翻弄され続けた。
いっ、いっ、一体……? どっちがヴィゴ兄貴で、どっちが刺客の、18金だ?
そ、そしてこれは一体……? 極悪非道の恐怖映画? 激しい大人のロマンポルノ? どっちだ? どっちなんだぁ~?
訳が分からなくなった私は、二つの揺れる巨大金的に目も心も奪われ、気が付くといつしか裸男の勝敗は決し、やがてエンドロールの幕は降ろされていた――。
お、終わった……。
エンドロールが終わった後も、しばらく私は脱力状態となり、だら~んとシートに寄りかかったまま立ち上がることが出来ずにいた。
初めて経験する18禁映画の迫力と生々しさを堪能し、自分が少し大人になったような気がした。
姉がしょっちゅう連れてくる姪っ子甥っ子は、私がいつまでも独り身であることから、まるで友達のような気安さで接してくるが、これからは、ふふん、俺なんかもう、18禁の映画だってへっちゃらな大人の男なんだぞぅ~と、少しは余裕のある態度で接することが出来そうである。
そして席を立つ観客たちはどの顔もみな、圧倒的な18金に酔いしれ、納得したと頷きながら6番シアターを後にするのであった。