ありきたりな奇跡は女の子に首飾りを残した
最初にもらったプレゼントだった
さて、あたしがあたしという、心身ともに女性として生を受けたことは、それ自体は特に特筆することも無い、有り触れている現象の一つにすぎないということは、既に自覚してだいぶ時が経つ。
もちろん、あたしのお母上とお父上と呼ぶべき人間の存在。年齢を重ねるごとに、実感のある記憶が忘却の彼方へと消えかかっている二組の男女。
彼らが出合い、結ばれ、その掛け合わせによって命が何事もなく無事に、健康に生まれたことは十分にこの世界での「美しい事」の一部に含まれているのだろう。
そのことに関してはあたしも、おそらくあたし以外の大勢の色々な人がすでに理解しているであろう事柄だ、多分。
そのはずなのに、と思う。
そのはずなのに、あたしと言う女はどうしてこんなにも、産道から取り出され肺呼吸を開始してから、かれこれ十数年。一体何を成して生きてきたというのか?
考えれば考えるほど、自分の人生における無意味さに絶望したくなる。あまりの望み薄に、不思議さまで覚えるほどだ。
………なんて、やたらとネガティブなことを考えてしまうのは、多分あの若い魔法使いに出会ってしまったからだろうか。
魔法使いの少女。彼女に出会い、決して穏やかには済まない様々な厄介事ののち、結局その魔法使いの少女[略して魔法少女と呼ぶことを、なぜか彼女はあまり好まない]と友好的な関係を結べたのは、先述したあたしの無意味な人生において、かなりの大事件だった。
「うら若きぺーぺーの乙女同士、それとなく仲良くしておきましょう」
と魔法使いはにこやかに楽しそうに言っていたが、あたしとしてはどうにも、「仲良く」と言う感覚があまりにも未知の領域過ぎて、いまだに己の内で納得が出来ていない。
人付き合いを心の内で嫌い続けてきた弊害が、実際の血の通ったコミュニケーションで出てくるとは。つくづく世の中と言うものは上手く事が運ばないものである。
しかしながら、こうして日々の「どうでもいい」と忘れてしまいそうな細々とした事象に心を配れるようになれたのは、ひとえに魔法少女[やっぱりこの呼び名の方が可愛い]のおかげと言えよう。
彼女との出会いのせいで今まで気にしてこなかった嫌なことも良いことも、肉体を以て実感できるようになってしまい、色々と面倒なことが増えた。
と同時に楽しいことも増えてしまった。
と言うわけであたしは、現在進行形で「友人」と呼ばれる存在の不思議さを噛みしめているのであった。
単に、今までの人生があまりにも無味無臭過ぎた、と言う見解も出来なくはないが。
そのようなことを考えながら、あたしは鏡を見つめていた。特に大した理由はなく、ちょっと休憩のつもりで鏡の前の椅子に座っていたのだ。
「おやおやおや、どうなさいましたかご主人様」
しかし鏡という物は不思議で、自分が思っている以上に使用者を鏡像に集中させる能力が込められているらしい。
特に必要性のない女子としての習性でつい前髪の調整に気を向けていると、後ろから突然人に話しかけられた。
あたしは瞬間爆発的に震えた心臓を押さえ、呼吸を整えながら努めて平静を装ってゆっくりと鏡から視線を外す。
見ると何時の間にそこにいたのか、ちょうど鏡にギリギリ映り込まない場所に、この町においてのあたしの直属の部下が立っていた。
背の高い彼はあたしの動揺を知ってか知らずか、どちらにせよいたって平然とした様子で、人形みたいな笑みをあたしに向けている。
「珍しいですね、貴女が鏡を見つめるのは。僕は思わず見とれてしまいましたよ」
「ああ、そう」
微塵も思っていないであろうことを、よくもまあそんなにもスラスラ滑らかにいえたものだ。
と、ちょっと昔のあたしだったならば、彼をネチネチ詰っていたところである。
しかし残念なことに、あたしにはもうそのような子供性は残されていない。
なのであたしは、まず彼に沈黙だけを贈ることにした。
「折角なので身を整えることをいたしませんか?」
何も言わないあたしに対して、彼が少しの間を取った後に提案をしてきた。
あたしは改めて彼を見る。
彼は今日も今日とて優美に、誇らしげに袖と裾の長い女性用作業服を身にまとっている。
そして表上の彼に与えられた、あたしのお世話を甲斐甲斐しく律儀にこなそうとしているのだ。
「ああいや、別に……」
反射的に習慣的に断りの言葉を向けようとして、ふと思いとどまる。
「ん?」
口を半開きにしたまま停止したあたしに、彼は表情を変えることなく様子をうかがってくる。
「どうしました? 急に黙り込んで」
くすんだビー玉みたいな彼の視線を他所に、あたしは再び鏡の方に体を向けて鏡台にあつらえられた引出しを開ける。
そしてその中にあった一つのアクセサリーを取りだす。
「これを」
「はい?」
急に目の前に掲げられた、首に提げるタイプのアクセサリーに対して、さすがの彼も戸惑いの色を唇の端に滲ませた。
動揺を感じ取りつつ、あたしは彼に要求をする。
「これを着けるのを、手伝ってくれない?」
シンプルで何の味気もない命令に、彼は一瞬沈黙する。
そしてすぐにいつもの笑顔を浮かべて、
「首飾りの装着ですね、承知しました」
うやうやしくアクセサリーを受け取った。細い金具がちゃりんと音をたてる。
「では、失礼します」
彼は早速あたしの首に手を回して、速やかな動作でアクセサリーを首に巻きつけてくる。うなじの辺りで留め具が組み合わされると、ペンダントトップの石の冷たさが胸元の皮ふに伝わってきた。
「有難う」
彼に簡単な礼を言って、あたしは鏡に映る自分の姿を見つめ直す。そこには相変わらず間抜けそうな、似合っていないアクセサリーを着けている女が映っていた。
「よくお似合いですよ」
彼は糊でパリパリ固めて作ったような笑顔で嘘をついた。
その顔を見ていると、あたしはつい秘密を教えたいという欲望に駆られかける。
だが奥歯を噛みしめて、欲求をぐっと堪える。
どのみちそろそろ移動を開始しないと。今日の仕事はまだ終わっておらず、何時までも鏡の前でのんびりしている場合ではないのだ。
あたしは無言で立ち上がり鏡から離れる。すぐ後ろに彼がついてきている気配を感じていた。
アクセサリーが胸の上で歩調に合わせて踊っている。
「実はこれは、あたしのお母様から貰った最後のプレゼントなの」
外に向けて歩きながら、言葉を喉の奥に仕舞い込んでおく。
この秘密は、まだ彼には教えたくない。
夏に引き続き、早起きがつらい季節になってきました。