階段を登ろうどこまでも
ある男と魔法使いの待ち合わせ
その町の空気と言うものは、住人とそれ以外の存在が感じ取るものとは全く異なっている。と言うのは男の経験に基づく持論である。
しかしながらこの、現在男が存在しているこの町は、内部者と外部者と多少の差異があるとしても、一貫して共通の項があるような、そんな気がしていた。
たとえばそれは
「雨ばっかりでジメジメしていて気持ち悪い」だとか、
「事故が多すぎる、子供を連れて引っ越したくない」、あるいは
「でも学校とか企業が沢山あるしな…」といった感じで色々あるかもしれない。[webサイトより参照]
でも男は個人的な、非常にプライベートな考えにおいて、これらの一般的な感想とは別物の感覚を町に抱いている。
そしてその感覚は常々男に嫌悪感を抱かせていた。つまり男はその町のことを、思考とは別物であるはずの肉体的な感覚。本能に近い形で町の空気を嫌悪していた。
つまり町の空気を、どうにもこうにも体が受け付けようとしていなかったのだ。
現地であり現場でもあるその町に、愛する人と共に暮らし、それなりの時間が経過したくせに。未だに、今更に「なんかやっぱり会わないわーこの町住みたくないわー」的な我がままを、まさか現実に露呈するようなことは、しないのだが。
ないのだが、それでもやはりこの町の空気は自分のことを拒絶していると、男は勝手町を擬人化して思い込んでいた。
どうしても、そう思えてならないのだ。
男はそんな町を歩いている。地面から生えている人口の明かりで、沼の色に染められている空間の中、一人階段を上っていた。
簡素な手すりが設置されている階段。男は手すりを使用しないで段をゆっくり踏みしめている。
登っている途中で幾度となく体のバランスを崩しかける。
男は溜め息を吐いた。まだまだ思考が神経が肉体が、右足の消失を受け入れきれず、その行動の一つ一つに不満を表しているようだった。
或いはただ単純に義足が合っていないだけだろうか。一応ながら病院で一通りのリハビリをこなせたのだから、まったく合致していないはずなのだが。
いや、と男は思う。今までのやたらとネガティブな感想たちは、全てこの会談の先に待っている彼女に会うことへの、それこそ本能的な拒絶から生まれているのだと、そう考えた。
男は予測する、俺が抱えている様々な弱み、待ち合わせている彼女はきっとそのことに気付かない。気付いたとしても何も言うことはないのだと。
彼女はそういう人間なのだ、人に対して人一倍興味があるくせに、それを感情に乗せようとしない。
だからこそ男は彼女の、若い若い魔法使いの前では弱みを見せたくなかった。男としての矜持か、あるいは子供じみた見栄なのか。どちらにせよ彼女の前では強くありたいと、どうしても願ってしまう。
その強みをばねに、男は階段の上でバランスを保っていた。ふらふらと倒れてしまわないように。
やがて最後の段に足が届く。階段の終わりが男の、限定されていた視界を広げた。
色彩の眩しさに男は目を細める。
狭まった視界、その先に魔法使いがいた。意外にも彼女はちゃんと、待ち合わせの時間に待ち合わせの場所まで来ていた。
階段の向こう、少し開けた空間。その一角に設置されている金属製の細い手すりに身を預けながら、とても集中した様子で文庫本を読み耽っている。
短く切られた黒い頭髪が町の空気とよく馴染んでいる。彼女の髪の毛は規則性に富んでいるが、しかしその黒色の中に混ざった僅かな、遠目体と白金色に見える毛髪だけはそれなりに街への対抗心を抱いている。
そんな感じの感想を、男は一つだけの風景から勝手に導き出した。それはただの思い込みではあったものの、確かな嫉妬心が込められていることを男は自覚している。
男は彼女に話しかける前に町へと視線を向けた。
沼の色、或いはエメラルド色。その空気の中に幾つもそびえ立つ灰色の建造物たち。
森に似ている、そのような感想が新たに男の中で生まれ、しかしすぐに消えて無くなっていた。
バサバサと羽音が聞こえてくる。見ると鳩が二羽、どこかから飛んできていた。
鳩はそのまま飛んで、町の何処かへと飛び去って行った。
人生初の松茸を食べました。キノコの味がしました。