せめて台座くらい持ってこればよかった
面倒臭がってはいけない
これはあくまでもとある人間の勝手な、まったくの根拠もない持論なのであり、あまり真に受けるものでもないのだが。
平穏なる平坦で平行した平和と言う存在、概念と言うものはいつだって、前触れもなく崩れ去ってしまう物らしい。
緩やかに静かに、音もたてることなく、必要性がなくなったかさぶたが剥がれ落ちるように、ポロリと落ちて空気の中の塵と化す。
一度崩れたものは、もう二度と同じ形になることは叶わず、たとえ似たような形状を作れたとしてもそれはただの真似事、作り物、偽物でしかない。
にもかかわらず、変化というものはどうしてこうもずっしりと、その鋭角を平穏で平坦で平行している平和な日常に、悪意ある攻撃と言わんばかりの衝撃を人間にぶちかましてくるのか。
本日も一人、その毒牙に一人の少女が犠牲になろうとしていた。
少女はその日、と言うか今日もいつもの如く、普段の日常に染みついたほぼ悪癖に近い習慣で、本を読んでいた。
全力で全身全霊をもって他の全てのことをしばし暴挙の片隅に捨て置いて、読書に耽っていた。
海に近い、近すぎてほぼ海の中に取り込まれているといっても過言ではない、そんな感じの位置にあるとある人間の住み家。
あまり背の高くない大人の男が背伸びをして、それとない隙間ができる。天井の高さがその程度しかない空間にある、横長の柔らかい布素材で作られた座席部分。
潮風を吸い込む窓にぴったりと面した、本来ならば着席して使用すべき設備。
少女の寝床はそこにこしらえられていた。
本来の用途は異なる目的のために、無理やり作った寝所。当然のことながら座るための場所なので、体を横たえて落ち着かせられるスペースなどは酷く狭く、お世辞にも寝心地がよさそうとは言えもしないベッドであった。
しかし少女は悠々と、個々にはいない誰かにこの寝床の快適具合を揚々と誇示するかのように、思いっきりリラックスした様子で文章に熱中しまくっていた。
ぺらり、ぺらり、とページがめくられる。
少女は文庫本サイズの本を読んでいた。
昨日、馴染みの書店の新書コーナーで発見した、少女お気に入りの作家の文庫版。
本懐として出来ることならばハードカバー版を購入したいところなのだが、しかし住居のささやかさを考慮するとなると、手の平よりもサイズが大きい本を何冊も購入し配置することは困難を極めている。
それに、内容がほぼ一緒ならば形なんてどうでもよいではないか。
そんな感じの無意識なる言い訳を内包する少女の指先は、流れゆく現在の中で本の表紙を、安価な素材で作られたツヤツヤのカバー紙を包み込んでいる。
少女の限りなく黒に近い茶色の瞳は、休む間もなく酸性紙の上に細かく印刷された文字を追いかけ、貪欲に求め続けている。
長方形に似た形状の室内には少女が本のページをめくる微かな音と、そしてもう一つ。
部屋の天井から降り注いでくる、不規則な違和感のある明滅音だけだった。
ぶつん、ぶつん、………ぶつん。
なんということでも無い光の強弱。
静止画の一コマでしかない空間の一部分。
変化はそこからやって来た。
明滅の正体、つまりは部屋の照明として使用しているランタン。
内部に燃料ではなく、ある特定の反応を起こすと発光する功績が詰め込まれたタイプの、ごくごく単純で安っぽい造りの照明が一瞬にして、
バツン!
と光を失ったのだ。
「!?」
突然訪れた暗黒。さすがの少女でも瞬く間に読書から離れ、部屋に訪れた変化に驚愕した。
そして変化の原因をすぐに察知し、天井を睨むように凝視する。
沈黙、しばしの沈黙の後、
ランタンの光が申し訳程度に蘇る。
不安定で継続性の足りない、頼りなさすぎる光。
別にしばらくはこのまま放置しても一時間、あるいは今晩くらいは持つであろうが──。
ああでも。しかしなあ……。
少女は仕方なしにとでも言いたげに溜め息を吐く。
名残惜しそうに文庫本のページに栞を挟み、ベットの上で体を起こす。
ベットとは名ばかりの座椅子と、天井にぶら下がっているランタンは少女の腕の長さでは間に合わぬほどの距離がある。
だが少女は持ち前の、誰にも自慢できない面倒臭がりの気質から、ベッドと主張する椅子から体を出来るだけ話さずランタンに触れようと試みた。
嗚呼、嗚呼、哀れなる少女よ。この世に存在する変化と言う名の災厄は往々にして、油断からくるものとはまだ知らぬ少女よ。
哀れなる少女、彼女にも等しく喜ばしくない変化がもたらされた。
「あ」
ごくごく短い悲鳴の中、少女の脚部が無理な姿勢に耐えきれず、痛みを伴って均衡を崩した。
うわーっ! 倒れるーっ! 受け身もとれないままに倒れてしまうーっ!
……そのくらいの悲鳴でもあげられれば、まだ少女にも救いがあったかもしれない。
しかし現実は少女に何も与えることはなかった。
変化が、あと一秒と待たずに訪れるであろう、痛みを伴う変化だけが少女ににんまりと微笑んでいた。
私の面倒臭がりレベルは50を超えています。