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思い出にふけっていると、コンコンと誰かがチケット売場の窓を叩いた。
目を向けると白髪のおじいさんが立っている。目が合うと彼は手に持った箱を顔の位置まで持ち上げて軽く振った。
出入り口の扉を開けて中に招き入れる。
「こんばんは、天治郎さん」
「こんばんは。どうやら『春』がやってきたようなので手土産を持ってきましたよ」
そういって白い箱を指差した。甘いにおいがかすかに香ってくる。きっと焼きたてのマドレーヌだろう。
「ありがたいッス」
受け取ろうとする早川の手を避けるように、天治郎さんが箱を持ち上げる。
「言っておくが、これは君にじゃないよ。僕たちが待ち続けるそのちゃんとはるちゃんにだ」
「勘弁ッスよ、天治郎さん。洋菓子屋なんスから、余計に持ってきてくださいよ」
早川の言葉に、天治郎さんはニヤリと笑みをこぼす。
「そうはいかない。僕のありがたみをわかってもらわないとね」
「さすが天治郎さん。『春』の気配には敏感ですね」
「僕が一番乗りかい?」
「ええ、表のお蕎麦屋さんだってまだなのに」
「ここに『春』がやってくるとね、この寂れた商店街が一気に活気づくんだよ。それが嬉しくてね。みんなそのちゃんと『春』のために頑張っているのさ」
店じまいする商店が増える一方でそれでも商店街として踏ん張っているのは、誰もがそのちゃんの喜ぶ顔を見たいが為なのだろう。百年以上ずっとそうしてきたのだ。自分の代で途絶えさせてはいけないとみんな思っていた。
ここがなくなってしまったら、そのちゃんはもう『はるちゃん』に会えなくなってしまうのだから。それだけは絶対に避けたかった。
年を取ることのないそのちゃんと、何度生まれ変わっても導かれるようにここへやってくる『はるちゃん』が出会う場所なのだから。
映画の上映が終わると鳴海が二階席から降りてきた。
わたしたちの姿を認めて、照れくさそうに頭を下げる。
「いつもギリギリですみません」
「いいのよ。今日は君たちのための上映会なんだから。楽しんでくれたなら嬉しいわ」
しばらくして、そのちゃんが映写室から出てきた。フィルムの片付けもそこそこに飛び出してきたようだ。
「はるちゃん」
そのちゃんが鳴海を呼んだ。鳴海もまた、『春』の名を持つそのちゃんの運命の恋人だ。
そのちゃんに導かれるように二人は手を取り合って劇場前の広場に出た。外はチラチラと雪が舞っている。街灯の明かりの中で雪は光を孕んでキラキラと輝いた。まるで二人を祝福するかのように。
わたしは外に設置したスピーカーの電源を入れると、古い洋楽を流した。その音楽に合わせるように二人は抱き合ってステップを踏む。時折笑い声を上げながら、二人は楽しそうに踊り続けた。
すっかり体が冷え切った二人が劇場内に戻ってくると、そのちゃんは鳴海に聞いた。
「幸せ?」
鳴海は迷うことなくうなずいた。
「幸せだよ。この時間をありがとう」
そういう鳴海にそのちゃんは満足そうな笑顔を向ける。
いつか、鳴海はそのちゃんを置いていってしまうのだろう。でも、それはまだ先のことであって欲しい。しばらくは二人でこの幸福を抱いていて欲しかった。
それはわたしの勝手な願いだ。それでも願わずにはいられない。
世界で一番大好きな人とは決して添い遂げることは出来ないからこそ、ここでずっと『春』を待つそのちゃん。彼女がいつか心から幸せになれるように。
「わたし、絶対にここを残すわ」
「同感です」
隣の天治郎さんも同じ想いだということに勇気付けられて、わたしは決意を固くする。
先代も先々代もずっと守ってきたこの場所を決して潰えさせない。それはわたしのため。そのちゃんにはずっと笑っていて欲しいから。そのちゃんが『春』を待つ場所を絶対に守りたい。
「よし! 早川。年末の上映計画練り直すぞ!」
「ええ?! 今からッスか?」
早川が勘弁してくれとでも言うように声を上げた。
田舎町の小劇場は明日も営業しています。
了
最後までお付き合いいただきありがとうございました。