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生まれた頃からそのちゃんはわたしの面倒を良く見てくれていたから、わたしは彼女を実の姉だと勝手に思い込んでいた。
だから、そのちゃんのような真っ白な肌にクリッとした茶色がかった瞳をわたしが持っていないことに不満を覚えて貰われっ子なのだと勝手に落ち込み、母とそのちゃんを困らせたことがある。
そのちゃんとは全くの他人だとようやく気付いたのは、わたしが五歳の頃だった。
その頃、そのちゃんには年の離れた恋人がいた。
メガネをかけた線の細い男性で、「東京の人だ」と祖母が教えてくれた。
二人は一日の最後の上映が終わると、劇場前の広場で音楽をかけながらゆっくりとダンスを踊っていた。それをダンスだなんて言えるのかどうかなんてわからないけれど、二人は抱き合って緩やかにステップを踏むのだ。
雪の降るどんなに寒い日でもぽつんと立った街灯の明かりを頼りに、流行の洋楽をかけながらダンスを踊る。幸せそうな二人の笑顔と触れたら壊れてしまいそうな愛おしい時間にわたしは幼心に憧れを抱いていた。
けれど、男性はあるときを境にぱたりと姿を現さなくなった。男性がいなくても、そのちゃんはいつも笑顔だった。
「どうして?」
わたしは思い切ってそのちゃんに聞いてみた。すると相変わらず愛らしい笑顔で言うのだ。
「はるちゃんね、結婚するんだって」
「そのちゃんと?」
「ううん。別の人と」
その言葉が信じられなかった。
「どうして? そのちゃんが結婚するんじゃないの? そのちゃん、はるちゃんのこと大好きだったのに! どうして? どうして?」
意味がわからずに泣きじゃくるわたしを祖母はなだめた。
「仕方のないことなんだよ」
祖母の言葉にわたしは首を振る。
「だめだよ! そのちゃんははるちゃんと結婚しないといけないの! 離れちゃいけないの!」
「いいかい。よくお聞き」
ぐずるわたしに祖母は言った。
「あの子はね。そのかは決して『春』とは結ばれないんだ。なによりも強い運命の糸で結ばれているけれど、決して二人は添い遂げることは出来ない。だからこそ、そのかはここでずっと『春』を待つんだよ。何年だろうと、何十年だろうと。この先もずっと。だから、決してこの劇場は潰してはいけないよ。二人が出会う場所はここだと決まっているんだからね。いいかい。この先なにがあろうと、そのかと『春』の仲を決して邪魔してはいけない」
そのかは『春』のためだけにここにやってくるのだから。
「この意味がわかるかい?」
祖母の言葉に、幼いわたしはうなずくしかなった。そのちゃんと『春』の関係を邪魔すれば、そのちゃんにはもう会えなくなるだろうというのだ。そんなのは嫌だった。そのちゃんに会えなくなるのは嫌だ!
わたしはそう言って祖母と約束をした。
絶対にこの劇場を守り続けると。
それから三十年近くが過ぎた頃、ふらりと懐かしい人物が劇場に訪れた。『はるちゃん』だった。年をとって、すっかりおじいさんになっていた。
そんな『はるちゃん』に会ったそのちゃんは嬉しそうに、しわくちゃの手を握り締めた。全く年をとらないそのちゃんを見て『はるちゃん』は驚いたようだったが恐れることはせず、昔話に花を咲かせた。
そのちゃんは最終上映が終わった後で、あの頃と同じように広場で『はるちゃん』と踊った。足元のおぼつかない『はるちゃん』をそのちゃんがリードする。
あの頃の幸せそうな二人の姿がそこにあった。
『はるちゃん』との別れ際、そのちゃんは聞いた。
「幸せだった?」
戸惑うような表情を見せた後に、『はるちゃん』は言った。
「後悔もたくさんあったが、最後に君に会えて幸せだ」
その言葉に、そのちゃんは嬉しそうに『はるちゃん』を抱きしめた。
それから数ヶ月して、風の便りに『はるちゃん』が亡くなったことを知った。
「これでまた『春』はしばらくやってこないのね」
母が悲しそうに呟いた。
そのちゃんにとっての冬がまた何年も続くのだ。それはきっと厳しい冬なのだろう。