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花火!  作者: 柚井 ユズル
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竜平 3

 家に帰ったのは日が暮れてからだった。竜平は手に持った大量の玩具花火を隠すこともなく、家の中に入って行った。どちらにしろ、両親は自分が帰ってこようが出て行こうが、何をしていようともあまり意識はしない。竜平が何時に帰ってきても、朝何時に出て行っても同じだ。家の中はまるで宇宙のように静まり返っている、と宇宙になんて行った事がない竜平は思う。でも、宇宙には空気がないから音が伝わらない。本当に静かだと学校で習った。その話と、今の家の中の状態は似ている。しん、と暗くて、ひんやりと寒くて、音を立ててもどこかに吸い込まれてしまうかのようにいつも静まり返っている。

 兄が死んで以来閉めていた店を今週から開けたから、父はまだ店にいるのだろうけれど、この時間帯には母は家の中にいるはずだ。だけど、その母も特に顔を出したりしない。台所か居間か、もしくは仏間にいるのだろう。台所仕事をしている音も聞こえないから、きっと仏間。竜平は考えるでもなくそう推測しながら、階段を上がって自分の部屋に向かう。自分の部屋の押入れの中に花火を隠してしまうと、すぐに立ち上がって階下に舞い戻った。

 台所に続くドアを開けて、そこに人の姿がないのをやっぱり、と確認してから仏間に顔を覗かせる。もう暗くなっているのに電気も着けていない仏間で、仏壇の前に正座する母親の丸まった背中が見える。仏壇には真新しい木の箱が据えてあって、その中には葬式の時に焼いた兄の骨が入っているのは、竜平も知っている。

 「母ちゃん」

 竜平が声を掛けると、母親はゆっくりと振り返って「ああ」と言った。

 「夕飯ね。今用意するよ」

 まるで竜平の用事はそれしかないのだろうと決め付けているような。自分の義務であるそれをしたらまた解放されてここに戻ってこられる、とでも言うような。

 竜平が体を斜めにして入口を空けると、母はその横を擦り抜けるようにして仏間を出た。母の出て行った空っぽの部屋を、竜平は一度だけ見つめる。暗い仏間の正面に仏壇があって、そこには真新しい兄の写真が飾ってある。暗い部屋で、白い木箱だけが浮き立つようにその存在を主張しているように見えた。

 ぱたん、と障子を閉めて竜平は台所に戻る。母は既に作ってあったのであろう肉じゃがを盛って、ごはんと味噌汁、漬物などをテーブルの上に並べていた。父はまだ帰っていないから、母と竜平と兄の分のご飯と箸が並べられて、兄の写真が仏間から持ってこられて食卓に置かれる。

 特に会話もなく食事を始めた竜平と母は、竜平の「ご馳走様」で食事を終える。竜平は部屋に戻るとドアをしっかり閉めて、またベッドのマットレスの下から本を取り出した。明日の作業の為にも、きちんと調べておかなければ。

 しばらくの後、階下で父が帰宅したのが玄関のドアの開閉の音で知れた。けれど、相変わらず家の中はしんとしていた。


 テスト期間が終わったので部活は再開されたけれど、毎年夏は竜平が休むのを知っている部活のメンバーは竜平が休み始めても、またかという反応だった。和真を付き合わせるのも悪いし、実際作業は竜平が行うことが多かったから、翌日は竜平が一人で草むら奥の作業場に行った。一日経ったらもう元通りに直立している生命力の強い雑草たちを呆れた思いでまた掻き分けながら草の中を進むと、ぽっかりと茶色の地面が広がった場所がある。そこが、昨日和真と作った作業場だった。半径五メートルくらいの円形に、ひたすら草を引っこ抜いて行ったから昨日は帰ってからも手と腰が痛かった。竜平は持ってきたものをその場に放ると無造作に座り込む。家から内緒で持ってきたプラスティック製の紙コップを数個広げて地面に置き、それから昨日買った玩具花火の一つに手を伸ばした。

 昨日、草刈を終えた後、和真に一通り火をつけてもらってそれを観察してどの花火がどんな色のものかは確認していた。買った花火は普通の炎の色らしいオレンジ色と、手持ち花火のもので赤、青、緑のものがあった。それを、それぞれの色毎に分けてそれぞれ別にしておいてから、スタンダードなオレンジ色のものの山に手を伸ばし、中から一つを手にとって丁寧にその包装を剥がし始めた。周囲を覆っている包装の接続部を外して、一番左端の紙コップの上にそれをかざして軽く叩くと、ぱらぱらと中から黒い粉が落ちる。包装と残った棒などは、持ってきたビニール袋の中に放り投げて、また新しい花火に手を伸ばす……。

 暑い中の屋外でやっていることだから、汗がひっきりなしに溢れてきた。不快さはあまり感じなかったけれど、花火と火薬をにそれが混じらないようにだけ、ひどく注意しなければならなかった。明日はタオルを持ってきて頭に巻いておこう、そう心の隅にメモをしておいた。手は相変わらず黙々と動かし、その色が終わればまた紙コップを変えて、別の色の花火を剥く……。

はっと気がつくと、いつの間にかその色の花火は全て剥ききっていた。どれだけの時間をその作業に没頭していたのか分からないけれど、少し日が傾いて涼しくなっていた。周りの音も聞こえないほど集中していた事にちょっと驚いて周囲を見渡して、いつの間にか強張っていた体を少し伸ばしてみる。目の前には4つのコップがあってそれぞれに黒い粉が半分にも満たない量だけれど入っている。竜平は持ってきたものの中からサランラップを取り出すと全てのコップの上にそれをかぶせて上から輪ゴムで止める。そして、油性のマジックでコップ自体に「黄」「赤」「青」「緑」と記入して、それらを丁寧に持ってきた学生鞄の底に並べた。学生鞄の底は厚いプラスティックの板が張ってあるから、ある程度固定される筈だ。更に、上からセロハンテープで固定して動かないようにしてから、恐る恐る持ち上げる。ひっくり返らないのを確認してから他の荷物をかき集めて、草を踏みつけて作業場を出て自分の自転車に戻った。日も落ち始めたこの時間じゃ、この後の作業はもう無理だと分かったから、今日はもう帰ろう。

 帰りながらも考える事は花火の事ばかり。ファーストフード店でテイクアウトでドリンクを買った時にこぼれないように入れてもらう入れ物。あれが便利かもしれない。厚紙を買ってきて家に帰ったらあれを作ろう、などと考えながらゆっくりと自転車をこいで家に向かった。夕暮れの藍色の空にが目に心地よかった。

家に帰ると、そっと風呂場に行って火薬を抜かれた花火の残骸の中に水を一杯に入れて濯いでから、ビニール袋の入口を縛って部屋に戻った。これは、明日公園のゴミ箱に捨てておくと決めて部屋に戻ると、まるでずっと前からそこにいたかのように例の男が竜平のベッドに寝そべって、隠してあった花火の本をぱらぱらとめくっていた。

「お疲れ。精が出るねえ」

そいつは部屋に入ってきた竜平に軽く手を上げてそう言った。

「ホントに花火作る気なんだ? 無理じゃない? そんな夢物語、上手く行くと思ってんの? やめろよ、危険だぜ」

 いつもの如く余計な、耳障りな事を生き生きと言う。死んでるはずの人間が生き生きとはこれいかに。

竜平は無視して机の引き出しからボール紙を取り出すと、定規で線を引いて、先ほど考えていた紙コップ立ての作成を始める。

「完璧なる無視かい。良い度胸してんなあ。……そういえば、今日親父が部屋に入ってきたぜ」

「え?」

 思わず反応してしまった竜平ににやりと笑いかけて、そいつは言う。

「お前がまだ花火に未練のこしてないか、確認しに来たんじゃねえ?」

「いつ?」

「お前が帰ってくる前。夕方ごろかな? 押入れとかちょっと漁って出て行った」

「押入れ……」

 幸い、花火作りに使う材料等は一式持って行ってしまった後だし本類は目に付き難い奥深くに隠してあるから見つかってはいないだろう。素早く頭の中でそんなことを考えて竜平は胸をなでおろす。それを見計らったようにそいつは口を開いた。

「なーんてな」

「は?」

「嘘だよーん。親父が今お前なんかそんなに気にしてるワケないじゃん。俺の事処理すんのにいっぱいいっぱいでお前の事なんか考えちゃいねーよ。騙されてやんの」

かっと、竜平の頭に血が上る。そいつは楽しげに鼻歌を歌いながら、手に持っていた竜平の本を放り投げた。ばさりと、床に本が落ちる。

竜平はしばらくそいつのことを睨んでいたけれど、やがてまた顔を元に戻して作業を再開し始めた。

兄の死以来、めっきり無口になってしまった父親の姿を思い浮かべる。昔気質の頑固親父という気質の父親なのに、あの日から父の背中が小さく見えてならない。兄は父と仲が良かった。変な言い方だけれど。竜平も同じく父の息子である事には変わりが無いのだけど。父は竜平よりも、兄のことを可愛がっていたように思える。兄は休日によく父と釣りに行ったりしていたし、母の実家に入り浸って花火花火と言っている息子よりも、自分の跡を継ぐと言って同じ趣味を有している兄の方により大きな期待を寄せていたのであろう事は簡単に想像できた。それでも、竜平が魚屋を継ぐと言った時、僅かに嬉しそうに見えたのだ。少しだけ、項垂れていた顔が上がった気がしたのだ。それにつられるように、母の張り詰めていた空気も少しだけ和らいだ気がした。だから、竜平は魚屋を継ぐのだ。

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