竜平 2
「とりあえず、花火を打ち上げていい場所ってのがある。花火の大きさによって、この範囲の空き地が必要だって言うのが法律で定められてるんだ」
「へえ」
竜平の説明に、和真は聞いているのだかいないのだか、理解しているのだかいないのだかわからない気の抜けた声で答えた。
二人は和真の部屋で作戦会議を始めたところだ。竜平の部屋でも良かったけれど、あいつがいると思うとなんとなく気が進まない。和真の部屋でも良いかと聞いたら和真は何の疑いもなく快諾した。
「で、一般人があげていい最高の大きさが14cm。14cm以内だと、4号玉が最高だな。だとすると、近隣の住宅密集具合とかにも寄るけど大体半径百五十メートルくらいの広さの場所を確保しなきゃいけない」
「ほう」
相変わらず身の入らない和真の相槌。
「でも、例えその場所が確保できても、地元の消防に届け出なきゃいけない。信号無視みたいにばれなければ問題ないけど、花火なんて目立つもん、無許可で上げてたら一発でばれる。かといって、どっちにしろ俺たちはガキだから馬鹿正直に消防に掛け合っても受け付けてもらえない」
「そうだな」
「っていうか、普通にどう考えても一発だけ花火なんて打ち上げたらバレバレだ。見つかる危険がすごく大きい。まあ、真っ暗だから逃げ切れるかもしれないけどな」
「大丈夫じゃねえ?」
和真の気楽な口調に、竜平はちょっと頭を抱えたくなる。楽天的過ぎる。
ため息を飲み込むように、出されていた麦茶を一口大きくがぶりと飲んだ。それから改めて諭す。
「ちゃんと考えろよ。犯罪なんだっての、これは。……とにかく、そのリスクを更に減らす方法があるんだよ」
「ほうほう。それは?」
「それはだなあ。河原の花火大会の日に、紛れて一発上げちゃう」
「……マジで?」
一瞬、和真が目をぱちくりとさせた。猫背だった背筋が思わずといったように伸びる。
河原の花火大会は、この辺りでは一番大きな花火大会で、竜平たちの地元では唯一の花火大会だ。毎年、和真も竜平も見に行っている。
「打上場所って関係者以外立ち入り禁止だよな?」
「俺、使いパシリだけどここ数年行ってるから大体場所分かるし。みんな忙しくて他人なんて見てる余裕ないし。見つかんないと思う」
「つーかそれ、危ないんじゃねえの?」
「俺が火はつけるから、お前は安全なトコで見てろよ」
「お前は?」
「俺は慣れてるから」
というのは大嘘で。竜平は火付けなんて一度もやったことがない。第一、最近の花火の点火は殆ど電気でやってしまうのだ。通常火付けなんてやらない。
「まあ、というわけで日にちは自動的に決まってくる。つまり、俺たちのタイムリミットは七月三十日だ」
その前日までに、全てが完璧に整っていなければいけない。
花火作りには天日で数日乾燥させる工程があるから、急いで取り掛からなければ間に合わない。
だが、素人が自分たちの手で花火を作ろうと思うと、予想以上に障害が多かった。まず、祖父の家のように全ての材料が万端に調えられている環境ではないから、材料を一から集めなければならい。
花火の球の外殻となる玉殻はボール紙か、最悪新聞紙を張り合わせて作ればいいけれど、一番重要な火薬はそうはいかない。まだ中学生の子供に火薬なんて売ってくれるところはないし、かといって火薬だなんてそう簡単に手に入らない。それをどうにかして手に入れる方法は甚だ地道な作業になるとは思うのだけど、一つしか考え付かなかった。和真にそれを話したら、何故か嬉しそうにおぉ、と目を輝かしたのだけど。
竜平は机の引き出しの奥のお年玉の残りと、続けていた百円玉貯金箱のお金と小遣いを全て持って、和真と近所のスーパーマーケットに自転車を走らせた。和真も同じくお金をかき集めてきたらしいけれど、和真の所持金はそれでも一万円ちょっと。竜平が三万円ちょっと。東京の花火大会に行くために無駄遣いせずにとっておいたのだけど、そこに未練はなかった。こっちの方がもっとずっと大切だ。
「竜平、結構貯めてるなあ」
「貸してもらうのにこんな言い方なんだけど、和真、貯めてないなあ」
そんな会話をしつつ、かき集めた全財産を手に、迷わず和真と玩具花火のコーナーへ足を運ぶ。シーズン商品であるそれは大々的に棚に並べられていた。
「安すぎるのは駄目だよ。っていうか、メーカー見て、カゴに入れる前に俺に確認して。ドラゴンとか、連発の打上のやつとかのが火薬量多いと思うからそういう系。あ、でもできれば単色のがいい」
竜平の指示に、和真は「注文がおおいなあ」と言いながらも応じて、意気揚々と花火コーナーを物色し始める。竜平も同じく花火に手を伸ばしては、ひっくり返してメーカーを確認し、大概は棚に戻して行った。狙いをつけているのは、老舗の花火メーカーが作っている花火だ。安い花火は外国産の、安くて質のあまり良くない火薬を使っている可能性が高い。値が張ってでも信用の置ける店のものが良い。しかも、あまり凝っていないシンプルなものの方が良い。たとえば、1本の花火で数回色が変わるものがあるけれど、ああいうのはやる側にしてみれば嬉しいサービスではあるけれど、今回はちょっとご遠慮願いたい。
三十分くらいかけて二人で花火を選び、それを半分ずつ分けて別々に会計をしたのはやましい心があるせいかもしれない。こんな大量に買って不審に思われたらどうしよう。なるべく、計画露見のリスクを減らそう、という。それでも結局、二人で一万円以上使ってしまった。レジの人の視線を避けるようにこそこそそわそわとしながらスーパーの外で待ち合わせて、安心感だか達成感でちょっとテンションが上がって意味もなく笑いあった。こんな大量の玩具花火、ちょっとお目にかかれないかもしれない。
「これ、全部やりたいなあ」
和真の言葉には同感できるけれどそれをしてしまえば花火作りができなくなるので却下する。和真はちょっと首を傾げて竜平に尋ねた。
「で、これで何作るんだっけ?」
「星……あ、買い忘れ思い出した」
「まだ買うのか」
「花火じゃないよ。洗面器とか」
「洗面器?」
「うん。お風呂の桶みたいなやつでいいと思うけど」
和真を待たせておいて、買った花火は自転車のカゴに残しておいて、竜平はスーパーマーケットにとって返してプラスティックの風呂桶を買い、家庭菜園のコーナーへ寄って菜の花の種を買い、ついでに製菓コーナーにも行って、「みじん粉」という竜平にとってはどんな料理に使うのかもよくわからない謎の粉も買った。
それらを持って再び自転車のところに戻ると、和真は自転車にまたがったままハンドルに頬杖ついて、手持ち無沙汰に通り行く買い物客を見ていた。買い物客の中の親子連れの、まだ小さな女の子が歩きながら食べているアイスクリームに気がついて、無意識だろうけれどそれを目で追っていたから竜平は少しだけ申し訳ない気持ちになる。花火作りにありったけのお金をつぎ込んでしまうから、これからしばらく和真は竜平とともに節約だ。男子中学生にとってはいつでも魅力的な栄養源である買い食いができない。
「お待たせ」
声を掛けると和真は振り向いて、竜平のビニール袋がかさばっているのを見て笑い出した。
「大荷物じゃん」
「かさばるんだよ。軽いんだけど」
二人はそのまま自転車に乗って、竜平の家に取って返した。家の中に入ったのは一瞬で、軍手と鎌とライターと糊とバケツを持ち出し、再び自転車で駆けて草むらに向かう。
草むら、というのは家の側にある用途の分からない空き地で、夏場には腰よりも高く成長した夏草に覆われてしまって、サッカーや野球をするにも使えないような場所だ。数年前、竜平は和真や他の友人たちと一緒にこの奥の方に『秘密基地』を作ったりしたものだった。
草むらの前に自転車を止めて、草を掻き分けながらそこを突き進むと、バッタが足元でぴょんぴょんと跳ねて逃げて行く。青々と茂る草が足に当たってちくちくと痛かった。
「よくもまあ、雑草がこんなに生えるよな」
「冬にはなんもなくなんのにな」
乱暴に進む道を手で掻き分け、足で踏みつけて進んで行く先は、記憶にある『秘密基地』の場所だ。秘密、なのだから人に見つかり難い奥の方に作った。
「多分、この辺」
前を行く和真が言って立ち止まったので、竜平も止まって周囲を見渡した。草、草、草、以外に見当たるものは何もない。
「やっぱ跡形もないな」
「だな」
諦めたように二人で顔を見合わせて、それから竜平は和真に軍手を渡す。自分も軍手を装着すると、二人でしゃがみこんで草を抜き始めた。
まず、始める事は『仕事場作り』からなのだから、先が思いやられるようだった。まだ夏本番ではないはずなのに、既に夏の太陽とも言うべき強烈な光が空から降り注いでいた。作業する二人はしばらくするとすぐに顔が汗まみれになり、服も手も足も汗でびしょびしょになった。しゃがみこんだ視線よりも高い草は青々と周囲を覆っていて、貴重な僅かな風さえも遮っているようで、熱がこもって蒸し暑い。こんな強力な生命力を持つ雑草たち相手をするのにこの暑さ。汗を拭いた腕や手の甲についていた泥で、すぐに顔は泥だらけ。汗は目に入って沁みてくる。それでも二人は、黙々と手を動かし続けた。