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花火!  作者: 柚井 ユズル
3/28

和真 3

 「今日、竜ちゃん来てたね」

 夕飯時に家族で食卓を囲んでいたら姉が言ったので、和真はちょっとむっとした。むっとしたのは、姉の発言に対してではない。こんな発言一つでいちいちむっとしているようなカチンと来やすい性格なら今頃とっくに和真は家庭内暴力に走っている。もっとも、それを許すような母と姉だとも思えないけれど。

ムッとしたのは竜平が来た時の母の態度を思い出したからだ。母は竜平の姿を見ると駆け寄って行って、まあまあ竜ちゃん、今度の事は大変だったわね。大したことはできないけれど、おばちゃんにできることあったら何でも言ってね、竜ちゃんも虎太ちゃんの分までお父さんとお母さんに……云々やりだしたのだ。全く何も分かっていない、と和真は思う。一刻も早くそれをやめてほしくてじりじりしている和真の目の前で、竜平は和真の知らない人のような顔で母にお礼を言っていた。それは、どこか小慣れた態度だったから、もしかしたらこういう態度を取るのは和真の母が初めてではないのかもしれなかったけれど。

 「遊びに来てたんだよ」

 母が何かを言いかけたのを遮って、ハンバーグが口の中に入ったまま、和真は姉にそう答えた。答えたあとに急いで口の中のものを飲み下す。

 「へえ。トラの事、何か言ってた?」

 「知らない」

 「なに、知らないって」

 「聞いてない」

 「なにその言い方」

 和真のどこか不貞腐れたような口調が姉の癇に障ったのだろう。つっかかってくる。

 「いいだろ。別に」

 「なに怒ってんの。感じ悪―」

 姉は面白くなさそうにそう言って、それから和真に当てつけるように母親の方を向く。

 「竜ちゃん、大丈夫そうだった?」

 「思ったよりしゃんとしていたわよ」

 母と姉の会話が、何故か胸の中でもやもやと溜まっていく。和真は乱暴に口の中に夕飯を押し込み、一刻も早くその場から立ち上がろうと頑張った。


 数日経っても、竜平の態度は特に変わらなかった。そして、和真にとっては意外なことに、竜平は、その後も毎日和真と一緒に遊んだ。テスト前期間で部活がないのを良いことに、学校の後はいつも遊びまわっていた和真と他の友達と一緒になって遊んだ。和真にとっては、虎太郎の死は既に少しずつ遠のいていて、実を言うと忘れ始めていて、現実なんかとっくに取り戻しているけれど、家族である竜平にとってはそういうわけにもいかないのかもしれない。今年は、祖父の家に行く事はしないことにしたのかもしれない。

 和真は、そういう納得の仕方をした。おじいさんの家に行かないのかとは、本人には聞かなかった。

 梅雨はまだ明けてはいなかったけれど、夏は色が濃くなっていた。日に日に気温は高くなっていて、制服のシャツの背中が汗でべったりと張り付いて気持ち悪い思いをすることが多くなった。思う間もなくプール開きが始まって、いよいよ夏になったという気分になった。授業以外で竜平とプールに行く事は、いままでなかったのに、今年の夏は初めて竜平も一緒に休日に市民プールに行った。

 「竜ちゃんと、最近よく遊んでるね」

 プールから帰ってきて、疲れ果てて縁側に面した畳敷きの居間でごろりと横になっていたら、タンクトップにショートパンツ姿の姉がアイスを片手にそう言いながら縁側の柱に背を持たせかけるように座った。

 夕方近くなってようやく微かな風が吹いて、縁側に下げた風鈴がちりんと一つだけ音を立てた。

 「最近じゃねえし」

 姉のアイスを物欲しげに見たものの、姉はその視線を分かっているのに和真にそれを提供してくれる気はなさそうだった。チョコレートのかかったバニラアイスに、無造作にかぶりつく。和真は諦めて、寝転んだまま視線を縁側の外に移した。空は夕焼けの後の柔らかな藍色に染まっている。空気を読まない蝉が一匹だけどこかでじぃ、と長く鳴いて、そして静かになった。居間にあるつけっぱなしのテレビのバラエティ番組の音だけがよそよそしく和真の耳に届く。

 「竜ちゃんさ、お魚屋さん継ぐって言ったらしいね」

 姉はテレビの方を見ながら、アイスを食べながら、そう言った。まるで普通の世間話のような口調で言った。ちょっと、耳を引く噂話程度の関心の薄さで。佐伯さん家の犬に子供が生まれたらしいよ、とか。今日の夕飯はカツ丼らしいよ、とか。あんたの大事に取っておいたケーキ腐ってたよ。というのと同じような口調だった。

 「は?」

 和真は一呼吸遅れて寝そべっていた頭を上げて姉を見上げた。和真の驚いた顔が伝染したかのように、姉の顔も驚いた顔になる。

 「なに。あんた知らないの。めっちゃ仲良いくせに」

 「うっせーよ」

 単純に驚きで言っただけであろう言葉まで嫌味に聞こえて、不機嫌に言い返して、ぱたんと上げていた頭を落として黙り込む。姉の可愛くない、という非難の声も当然無視だ。

でも、そのままじっとしていられたのは、数分だった。すぐにのっそりと立ち上がって、無言で居間を出て行く。数分後には、竜平の家に向けて自転車を漕いでいた。思い切りペダルを踏み込む。何かを振り払うかのように、何度も何度も。サドルに腰を落ち着ける事はせずに、前屈した姿勢で、全力のスピードを出して、ペダルを踏む。踏んで、踏みつける。風が耳元を吹き抜けていく音も、耳に入らなかった。風が勢い良く半そでのシャツの首元から入って、袖や裾をはためかして抜けて行った。

 高橋家に着いた時には日はほぼ暮れていて、夜直前の独特の薄明るさの中で和真は乱暴に自転車のスタンドを降ろし、駆け足で玄関まで行ってチャイムを鳴らした。誰かが出てくるのを待つ間もじりじりした。急に動きを止めたからか、汗が顔中に噴出してくる。それを袖で乱暴に拭いながら待っていた。

 屋内の玄関の電気がついた明るさがドアの近くの摺りガラスの窓から見えたと思ったら、足音と共にドアから竜平の母親が顔を出した。和真の顔を見ると、ぎょっとするくらい暗い顔にぎこちない笑顔を浮かべて、いらっしゃいと言った。和真は一瞬言葉を詰まらせてから、慌てて用件を切り出す。

 「竜平は?」

 「上がって。部屋にいるよ」

 「おじゃまします」

 乱暴に靴を脱ぎ散らかして、竜平の母親の横をすり抜けるようにして二階の竜平の部屋へと上っていく。見慣れたドアの前で声をかけたらちょっと間があって、それから「入って」と許可が聞こえてきた。

 慣れ親しんだ場所だからいつもは遠慮無しにずかずかと入っていくのに、今日は何故だか戸口付近に立ち止まってしまった。背中越しに見る竜平は、珍しくドアから見て正面に位置する机に向かって座って携帯ゲームをやっていた。

 「何?」

 椅子ごと振り向き様に聞かれた言葉に、突然我に返って返答に困った。いざここに来てみると、急に頭が真っ白になって、なんと切り出せば良いのか分からなくなった。顔から汗が更に噴き出している気がする。何度か頭の中でこじつけの訪問理由を考えようとした結果、結局思いつかなくて事実をそのまま述べた。

 「魚屋継ぐって聞いたから」

 竜平は納得したようにああ、と言った。でも、言っただけだった。特に自分から何かを説明してくれる様子はなかったので、和真は言葉を重ねなければいけなかった。

 「なんで?」

 「え、継ぐ人がいなくなっちゃったからだけど」

 「でもお前は、花火職人になるんだろ」

 「やめた」

 「なんで?」

 「だから、魚屋継ぐ人いなくなっちゃったから」

 「じゃあ、花火はどうすんだよ」

 「やめたってば」

 なんで、と聞いたらもう一周するだろうか? 和真が聞きたいことは全然違うのに、どう聞いていいのか分からなかった。欲しい答えはどうやったら返ってくるんだろう? 自分の質問の仕方が悪いのだろうか? 全速力で自転車を漕いできたから、酸素が脳味噌に回らないのかもしれない。なんで、しか思いつかない。でもまたなんでと聞いてもきっと同じだ。どうしよう。

 「それだけ?」

 立ち上がって、目の前に立ちはだかって竜平が言うので、竜平が帰って欲しいと思っている、と和真は気がついた。

それだけ? 用事はそれだけ? 全然用事を達成してないのに、本当に聞きたいことは聞けていない気がするのに、言葉でそう追い出されそうになっている。

それはダメだ。どうにかして聞きたい事を聞かなければ。和真は声に力を入れて抵抗を試みる。

 「お前、あんなに花火職人になるって言ってたのに」

 どれだけの夏の時間を費やして、夏の楽しい時間を全部諦めてそれを花火作りに注いできたと思ってるんだ。それをそんな簡単に諦めてしまっていいのか? それに、どれだけ花火の話をする竜平が楽しそうだったか……。言いたいことはたくさんあるのにどれもクサい気がして、恥ずかしくて上手くいえない。結局、なんでだよ、しか言えない。

 でも、その「なんでだよ」、と言う前に突然目の前がチカチカした。それが何だか理解するよりも悶絶するような痛みが右頬から広がるのが先立った。呆然としていると、今度は胃の真上辺りに竜平の膝が打ち込まれた。内臓が一瞬圧迫されて、息が出来なくなる。苦しくて、咳き込んで、自動的に目から涙が滲み出て、床に四つんばいになって腹を抱えた和真を竜平は助け起こしもせずに見下ろしていた。その目が驚くほど険しいのを、咳の合間に見た。怒りに燃えた目だ。

竜平はそのまま、なにも言わずに部屋のドアを閉めた。

 和真はしばらくその場に息を殺して四つんばいになっていたが、ようやく呼吸が楽になると、立ち上がってドアの前にたちすくみ、やがてのろのろとその場を離れた。

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