和真 7
冷房のない自分の部屋は蒸し暑かった。できればリビングに避難したいけれど、プライドがそれを許さない。ドアを締め切って蒸し暑い部屋で汗をだらだらとかきながら、腹立ち紛れにあまり気分の乗らないゲームをやる。ゲームをすると母親に嫌がられるので、これはあてつけだ。
「あんた、お母さんと喧嘩したの?」
突然姉が断りもなく部屋に入ってきてそう尋ねた。
「うわ、暑。蒸し暑っ。よくこんなとこにいれるね」
部屋の入口で大袈裟に顔をしかめてそう言ってドアを開け放すので、和真は不貞腐れた顔のまま姉を睨んだ。
「なに、まだ拗ねてんの」
「どーせ母ちゃんに聞いてんだろ」
「うん」
「女ってやだな」
「でも、うん、あんたが悪いよ。もしトラのおじさんが悪いにしても、あんたが悪いよ」
「女って同盟組むのやだな」
「人の話聞けよ」
「どっちにしろ、俺、悪者じゃん」
「悪者にしてるんじゃないけどさ。あんたが竜ちゃん想いなのはわかるけど、トラが亡くなったばかりなんだから、気を使えって言ってるだけだよ」
和真はゲーム機から顔を上げて、姉を睨む。
「それじゃ、竜平の気持ちはどうなんだよ。虎太ちゃんは死んじゃったけど、竜平は生きてるんだぞ!? なんで竜平が死人の代わりしなきゃいけないんだよ。迷惑だ」
はあ? と姉の声に凄みがかかった。表情が一変して険悪なものに変わる。
「その言い方酷くない? トラだって死にたくなかったのに、魚屋自分で継ぎたかったのに」
蒸し暑いと非難したくせにつかつかと部屋の中に入って来て、和真が身構える暇もあらばこそ、思い切り振りかぶっての平手打ち。威勢の良い音がして、和真の頬が熱く傷んだ。
「あんま馬鹿な事言わないでよね」
呆然と見上げた和真を恐い顔で見下ろして、姉は足音荒く部屋を出て行った。乱暴に閉まる部屋のドアの音がけたたましい。
完璧に周囲は敵だらけ。四面楚歌で孤軍奮闘。
……奮闘?
和真はゲームを続ける気力もなくして、そのままベッドにごろりと横になった。もう何も考えたくなかった。どこかに一緒にいるであろう竜平と崎村の事も、竜平の父親の事も、自分の母の事も姉のことも。
目を閉じる。閉じた窓の向こうから、しつこく蝉の声が聞こえてきた。部屋の中は蒸し暑くて、じっとしていても汗が滲んでくる。家の中を動き回る家族の足音が響いてくる。でも、部屋の中には自分ひとり。
ハッと目を醒まして初めて自分が寝ていた事に気がついた。顔中にびっしりと汗をかいていて、身動きするとそれが流れた。体を起こすと、Tシャツがびったりと体に張り付いている。相当に気持ちが悪い。立ち上がって窓まで歩くと、フローリングの床がぴたぴたと足の裏にはりついた。
窓を開けると少しだけ熱気が外に逃げて行った気がした。睡眠をとったせいか、興奮していた気持ちが少し落ち着いた。タンスを開けて、下着から服まで全て着ているものを取り替えると大分さっぱりとした。
脱いだびしょぬれの服を部屋の床に放り出して、ベッドの下に頭を突っ込む。ついでに腕も突っ込んで、一昨日の夜からそこにおいてあったものを引っ張り出した。筒と、水を含んだ花火玉、をビニール袋につめたもの。どうしていいか分からず、隠していた。
花火玉のビニール袋を手に持って見つめる。
頭を整理する。たくさんのことがありすぎて和真の頭の中は色々な苛々でパンクしそうだったけれど、一つ一つほぐして考えればいい。
竜平が何も告げずに、しかも崎村と二人きりでどこかに消えてしまったのは大変腹が立つ。腹が立つのに、それでも竜平の父親のしたことを考えると、もっと腹が立つ。竜平の気持を想って、腹が立つ。煮えくり返るように。周りもみんな竜平の父親の味方のような気がして、更にその怒りは倍増だ。どうして、竜平だけが犠牲にならないといけないのだろうと、悔しくてたまらない。
結局、和真は竜平が好きなのだ。裏切られたと思っても、どこかでそれを信じ切れていないし。帰ってきたらきっと説明してくれるんだろうな、と思ってしまう。
何か竜平の為にできることは無いだろうか? あの父親と戦える方法は、ないだろうか?
考えると、一つだけ思いついた。もうひとつだけ、道は残ってる。
和真は立ち上がると、ビニール袋を持ったまま、家を出た。自転車にまたがる。そこには行った事はないけれど、駅名は知っているからきっと線路沿いに行けば辿り着けるだろう。
ペダルと漕ぐと、風が顔に当たって気持ち良かった。
辿り着いたのは煙火店を営む竜平の祖父の家だった。自転車で行くとかなり遠かったし、駅からの行き方も交番や道行く人に何人も聞いてようやく辿り着いた。着いた時には既に夕方になっていた。家のチャイムを押して、出てきた中年の女の人に目的の相手の名前を継げると、特に疑いもせずに家の中に通してくれた。竜平の祖父の部屋はこじんまりとした和室で、そこで花火大会の夜に暗がりで見かけた老人が老眼鏡をかけて平和に新聞を読んでいた。和真を見ると、老人は一瞬焦点を合わせるようにか目を細めた。
「何の用だ?」
連れてきてくれた女の人は老人と「夕飯は?」「いる」「分かった」という短い会話を交わしたかと思ったら、忙しそうにすぐにいなくなってしまった。部屋の障子を閉めて老人と二人きりになると、前に見た時の恐い記憶もあって息苦しい。老人の声も優しいものではなかったし。意気込んできたのも忘れて、おずおずと口を開く。
「あの、俺、竜平の友達なんですけど」
「知ってる」
「知ってるの?」
「知ってらあな」
あんなに真っ暗だったのに、あの花火大会の夜に顔を見覚えられたのだろうか。和真が驚いた顔をするのに頓着せず、老人はひとつ鼻を鳴らした。
「きったねえもん持ってきたな」
言われて和真は我に返って手に持っていたビニール袋の存在を思い出した。ここに来た意味も思い出した。
「これ、竜平が作った花火玉です。水入っちゃったけど、見てください」
和真が差し出すと、老人は片眉を上げて和真を見た。花火の夜に竜平が殴られていたことを思い出す。思わず身構えた和真の予想に反して、老人はぬっと手を伸ばしてそれを受け取った。
「ようやく返しに来たか。悪ガキどもめ」
言いながら、がさがさと音を立てて袋を開いて、中を見て唸る。
「これだけ水浸しじゃあわからんな」
老人はそれだけ言って、袋を側にあった卓の上に乗せた。
「これは俺が処分しておく」
それで、会話が終わりだというように口を噤む。でも、和真はそこから動かなかった。そこに立ちすくんだままなので、老人はまだ何か用があるのか、というように和真を見る。
なんて言おう。良い言い方なんてまるで見当がつかない。でも、言わなければ。部屋に沈黙が落ちる。老人は特にせかすでもなく、何かを促すでもなく、でも確かに、和真の言葉を待っているようだった。
和真が困っていたら突然、部屋の向こうから「おじいちゃん、お夕飯」と声がした。老人がその声に返事をして、卓に手をついてよっこらせと立ち上がる。行ってしまう! 和真が焦って口を開こうとするのを遮って、老人は言った。
「お前、今日はうちに泊まってけ。もう遅いし、あんな啖呵切ったんじゃあ、家に居辛いだろ」
「啖呵?」
「昼間、竜平ん家で怒鳴ってたろ。奥の部屋で聞いてたんだよ。四十九日が台無しだ」
台無しだ、と非難した割に老人はちょっと意地悪く笑った。
ぽかんとしている和真を促して「メシだメシ」と部屋を出る。
「俺もいいの?」
「こんな時間に来客があった時点で、うちの嫁は用意してんだよ」
老人に連れられて入った居間に、勢ぞろいした家族の席の中にきちんと空席が二つあったので、和真は目を瞬かせたのだった。




