和真 6
テレビをつけて、大して興味もないお昼のバラエティ番組を見ながら横になってしばらく時間を過ごした。母親が入ってきて、リビングのテーブルの上にめんつゆとガラスの取り皿と箸を並べだしたから、お昼ご飯はここ連日と同様そうめんなんだな、と思った。
姉がリビングに入ってきて、顔をしかめて和真を見下ろす。
「ちょっと寝っころがってないでよ。暑苦しい。なんかあんた、びしょびしょだし。やだ。それ、汗?」
苦情に耐えかねた事よりは、もう昼食のそうめんを食べる気でいたので和真は身を起こしてテーブルに向かった。姉が「無視すんなよ」と和真を蹴りつけたところで、母親がガラス容器に入ったそうめんを持ってくる。めんつゆを注いで、薬味の小ネギとしょうがを入れて、食べ始めると母親が「崎村さんたちは、どうしたの?」と尋ねてきた。
「知らない」
「知らないって。竜ちゃんいたの?」
「いなかった」
あら、と母親は何やら甲高い声を上げた。
「じゃ、まさか。やっぱり崎村さん家の娘さんと」
「え。何なに? どんな話?」
姉が好奇心丸出しで首を突っ込んでくる。
「竜ちゃんと女の子がふたりで家出しちゃったんじゃないかって話よ。あんた寝てたかもしれないけど、朝からその女の子のお母さんとお父さんがうちに来て、行方を知らないかって大変だったのよ」
「へえ。やるじゃん竜ちゃん」
和真は不機嫌を態度にだけ表して乱暴にそうめんをかきこむ他は、特に二人に関わらない事に決めた。まったくもってこれだから女は……。なんというデリカシーのなさ。
「やるじゃん、じゃないわよ。今日虎太ちゃんの四十九日なのよ。高橋さん家も大変なのに、よりによってこんな日に」
「ああ。まあね。……あれ。でも、なんでその人たちうちにきたの?」
「和真も仲良かったみたいなのよ。その崎村さんって子」
「へー」
姉は実にいやらしい、にやにやとした顔で和真を見た。和真は努めてそれを無視することに決める。
「もしかして。カズ君、竜ちゃんに好きな子とられちゃった?」
これだから女は!! なんてデリカシーのない!
「だからさっきからこんなあからさまに不機嫌なんじゃない? 拗ねてんの?」
「無視するし! 図星だ図星」
流石に見かねた母親が、やめなさい美月、と咎める。姉は口先だけは「はあい」と可愛らしく返事をして口を閉じたけれど、表情は相変わらずのにやにや笑いで和真を見ていた。それが鼻に付いて腹立たしい。
和真はできうる限り急いでそうめんをかきこむと、乱暴に席を立った。
自室に引きこもって数時間。和真は再び母親に呼ばれた。不機嫌を理由に部屋を出ることを拒否する。それを無視して母親はずかずかと部屋に入ってきて、和真の腕を引っ張り立たせた。
「馬鹿言ってないで、早く来なさい」
「なんでだよ」
「竜ちゃんの家行くのよ」
「竜平帰ってきたの?」
「来ないからよ。あんたどうせ何か知ってんでしょ。今、竜ちゃんの家お寺さんからも帰ってきて、崎村さんのご両親と一緒に話し合ってるそうだから。あんたにも話聞きたいって」
その言葉に、朝から感じていた苛立ちが更に募った。
「知らねえよ。俺、関係ないじゃん」
「とりあえず一緒に来なさい。崎村さんたちそんな簡単に納得してくれないみたいだし」
「行きたくねえ」
「いいから来なさい」
怒鳴る母の背後で、姉がアイスを舐めながらにやにやと二人の様子を観察しているのが目に入って余計に癪に障った。姉の言いたいことだなんて、その表情だけですぐに分かる。姉の予想通りになっている事が面白くなくて、和真は乱暴に母親の手を振り払って言った。
「分かったよ。でも、絶対後悔するからな」
むしゃくしゃするまま母に連れられて訪れた竜平の家の居間で、和真は目を疑った。そこにいたのは崎村の両親と竜平の両親だけではなかった。和真のよく見覚えのある担任の教師と、もう一人、武井君香が肩を強張らせるようにして正座している。
母親に背を押されるようにして和真は空いている場所に乱暴に座った。挨拶もしなかった。隣に座った母親が睨んでいるが気にしない。担任の教師はしかめっ面で背筋を伸ばして座っていて、いつもの気安さはどこかに置いてきてしまったらしい。和真が目の前に座っていても、にこりともしない。武井もそれに倣うかのように迫力のある真面目顔で正面を見つめていた。
「何度もごめんなさいね」
言ったのは崎村の母親で、疲れきっているような声だった。竜平の父親はむすっと黙り込んでいるし、崎村の父親もぎすぎすとした空気を隠しもしないで厳しい顔で座っているし、竜平の父親の隣に座る竜平の母親はおどおどと困った顔で俯いていた。
「でも本当に、何か少しでも心当たりがあれば教えて欲しいの」
「知らないってば。俺だって驚いてるんだから」
「でも、おかしいわよ。じゃあなんで急にあなたたち、お見舞いに来出したの? 今まで果穂子とはほとんどしゃべった事もなかったんでしょう? 何の目的で来ていたの?」
「それは、クラスメイトだから」
「嘘ね?」
強く言われて、和真は黙る。大人たちの目が自分に集中している。居心地がすこぶる悪かった。なんで自分はこんな目に遭っているのだろう? 苛立ちが更に募ってやっていられない気持ちになる。
「北野。武井さんが教えてくれたんだ。お前、募金のお金を高橋と使ってたんだって?」
担任の教師が和真に向かって言う。それに薄っすらと責めるような調子が含まれているのを敏感に感じて、和真は武井を睨み付けた。
「チクり魔」
和真の言葉に、和真の母親は隣からやめなさいと怒鳴ったし、教師も「北野!」と名前を呼んで和真を責めた。でも、和真は止めなかった。
「どうせお前は、俺とか竜平との約束よりも、大人たちに良い子って思われた方が大事なんだよな」
「あ、あんたたちがいけないんでしょ! こんな大事件起こして果穂子ちゃん巻き込んで」
武井は心外だという顔で、自分は何も間違った事はしていないという主張に声を張り上げた。
「何が大事件だよ」
「大事件よ! 果穂子ちゃんは、体が弱いのよ!? どうせあんた達が果穂子ちゃんを上手い事言って丸めこんだんでしょ。私に、その……お兄さんの借金返す為だとか言って騙したみたいに」
その言葉に、和真は更に憤慨した。
「なんだよそれ。人聞き悪いな」
「本当の事でしょ。大人しい果穂子ちゃんにどんな無理言って承諾させたのよ」
「偉そうに、自分だけが崎村さんの味方みたいな言い方だよな。でもお前、じゃあ知ってんのかよ! 崎村さんが好きな食べ物知ってる? 好きな花知ってる? 崎村さんの家の犬の名前知ってるか?」
「はあ!? 何言ってんのよ?」
「知らないだろ! お前らがお見舞いしてるの見たことあるけど、お前らずっと自分の喋りたい事喋ってばっかじゃん。崎村さんぜんぜん話してないじゃん」
「それは、果穂子ちゃんが大人しいから……!」
「俺たちには喋った」
和真は声に力を込めて言う。
「俺たちには、そういうこといっぱい喋ってくれたんだよ! お前は、なんもわかってないくせに、偉そうに言うな! 崎村さんの為だとかいって、自分の気持ち押し付けてるだけのくせに」
言った瞬間、母親に頭を叩かれた。和真が振り返ると、母親が恐い顔をして和真を睨んでいた。
「やめなさいって言ってるでしょ。いいから、崎村さんの質問に答えなさい」
反抗的な目で母親を睨みつける和真に向かって、崎村の母親はもう一度呼びかける。
「ねえ、お願い和馬君。本当の理由を教えて? その、募金とかに関係あるの? 二人の駆け落ちのためのお金だったの?」
全然違う。全くもって見当はずれだ。大人たちはなんて馬鹿なんだろう。
「北野、お前が高橋の事を想ってるのはわかるけど……」
担任教師の言葉も全く見当外れだ。今回の二人の失踪に関しては、和真はなにも関係がない。それどころか、何も知らされていない。和真自身にだって寝耳に水の話なのに。それなのに、ここでは和真一人が責められている。部屋中の大人たちの視線が和真だけに集まって、みんなで和真を責めている。
竜平だって同罪なのに。むしろ、竜平が全ての原因なのに……。
腹が立ってきた。もう、どうにでもなれ。「うっさいなあ」
一つ大きく怒鳴って。それから乱暴に言う。
「竜平と花火を作ったんだ。それのお金が足りなくなったから、崎村さんに崎村募金使わしてくれってお願いに行ったんだよ」
「花火?」
竜平の母親が、驚いたように問いかけてきた。和真は大きく頷く。
「そう。募金のお金を使う代わり俺たちは崎村さんの為に花火上げるって言ったのに、雨が降ったせいで失敗した。俺たちはそれで崎村さんを怒らせて、それからあとは、俺は知らない。会ってない。募金の金は殆ど花火作りに消えたから、駆け落ちに使える金なんて竜平はもってないと思うけど」
まくしたてるように言ったら、全員が呆気に取られたように和真を見ていた。
「果穂子が怒ったの? あの子、あまり怒ったりしないわよ?」
最初に口を開いたのは崎村の母親だった。半信半疑の様子でそう尋ねる。
「花火大会行きたかったのに、嘘つきって怒られた」
「そんなこと、一言も言ってなかったわ?」
「知らないよ」
和真が噛み付くように言うと、崎村の母親はようやく黙った。それを待っていたかのように口を開いたのは竜平の父親だった。
「竜が隠れて花火作ってたのは知ってたけど、カズ坊、お前も共犯か」
「そうだよ。俺がやろうって言ったんだ。でも、やんなきゃよかったよ」
あんなことしたせいで、崎村には怒られるし、こんな目に遭っているし。なのに元凶である竜平は和真を裏切るし。恩を仇で返された気分だ。甚だしく後悔。
和真が苦々しい気持ちを隠しもしないで言うと、竜平の父親はへっ、と笑った。その笑い方は、決して心地よい類のものではなかったけれど。
「賢明な感想だな。ありゃあ犯罪だ。よくねえ。あんな草むらに置いといたら、いつ爆発するかもしれねえしな」
草むら?
一瞬何のことか判らずにちょっと頭を巡らす。そして、作業場の事に思い当たった。昔の秘密基地を再利用した、和真と竜平しか知らないはずの秘密基地。脳裏にあの日の光景が過ぎった。水浸しの作りかけの花火玉。無残に散らばった材料たち。項垂れた竜平。あんなに大切に心を込めて竜平が作っていたものが、跡形もなく流されてしまった。
「おじちゃん、知ってたの?」
「知ってたな」
「水ぶっかけたのも、おじちゃん?」
「……そうだな」
不貞腐れていたのに。竜平に対して怒っていたはずなのに、それでも腹が立った。気がついたら立ち上がって叫んでいた。「卑怯者!」
「竜平はおっちゃんの為に花火師を諦めるって決めたのに。なんでそんなひどいことすんだよ! 竜平はあんなに花火師になりたがってるのに」
隣に座る母親が和真の名前を厳しい声で呼んで、止めなさいと怒鳴った。けれど止めなかった。拳を握り締めて竜平の父親の方に半身を乗り出した。
「虎太ちゃんが死んじゃったのは可哀想だけど、竜平は竜平じゃん! なのに、竜平が魚屋にならなきゃいけないってのがそもそもおかしいんだよ。別に継がなくてもいいじゃん魚屋。なんで竜平が花火師諦めてまで継ぐ必要があんだよ。全然やりたくないのに」
「俺が魚屋継げって言った覚えはねえよ」
竜平の父親は、低い声で吐き捨てるように言う。そのぎらぎらとした目で、怒っているのだと和真にはわかったけれど、引かなかった。拳を握り締める。
「そんなら、おっちゃんが一言竜平に言ってやればいいだろ。魚屋にならないでいいって。お前は花火師をやれって。竜平がそれをやりたいって分かってんだから。分かってて、黙ってるなんて、卑怯じゃないか。大人のクセに、竜平に我慢させて」
突然、鋭い音がして和真の頬が傷んだ。母親に平手打ちを食らったのだと理解するまでに数秒かかった。先ほど殴られた時とは比べ物にならない鋭い痛みが、母親の渾身の力だと物語っていた。
「止めなさいって言ってるでしょう」
和真を殴った手を逆の手で握り締めた母親の声は震えていた。
呆然としたのは一瞬。すぐに和真もカッと頭に血が上る。
「なんでだよ。俺、間違った事は言ってねえよ」
母親は和真の言い分は聞き入れなかった。和真の腕を力任せに掴んで立ち上がると、残りの六人に手短に詫びの言葉を言って部屋を後にした。和真の抵抗も反論も無言で威圧して、家まで辿り着くと一言。
「お父さんに後でちゃんと怒ってもらうからね」
それだけ言って、和真を置き去りにしてそのまま乱暴に台所に消えてしまった。
和真は一度、玄関の壁を力任せに蹴りつけて、それから自分の部屋に閉じこもった。




