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花火!  作者: 柚井 ユズル
20/28

果穂子 2

 気軽に返事をしてしまったものの、いざそれをすると考えてみると全く現実感のない話だった。病院を抜け出す、だなんて果穂子にはとうてい不可能に感じる。しかも東京だなんて! 一度も行った事のないその場所は、果歩子にとってテレビの向こう側にあるだけの場所だった。そこに自分が行くだなんて、それもこんな急に。想像さえ追いつかない。

だけど、何せ竜平は自分で花火を作って打ち上げようとしてしまう人だ。本当にやる気なのだろう。そうすると、困るのは洋服だ。果穂子は普段ベッド在住だから外を歩けるような洋服や靴を持っていない。そこら辺を、竜平は知っているのだろうか? ちゃんと考えてくれているのだろうか? それに、お金はどうするのだろうか? ただでさえお金がなくて果穂子に借りに来たような身だというのに。

 気がつくと、そのことばかりを考えていた。夕食を済まして、消灯時間になってベッドに横になっても、ずっと胸がドキドキとしていた。ちょっと前にトイレに行くふりをして花火大会の日の夜の時の様に窓の鍵を開けてきた。あの時だってドキドキしたのに、今日は段違いだ。ちょっとした音でもびくりと反応してしまう。ベッドで横になりながら、何度も寝返りを打っては時計を確認した。

 ノックの音がした時、とうとう来た! と更に心臓が跳ね上がるようだった。小さな声で返事をして、慌ててベッドから起き上がる。竜平はスポーツバックをひとつ抱えて入ってきて、それを果穂子のベッドの上に無造作に置いた。

 「男子の服でごめん」

 その言葉に、きちんと洋服の事は考えてくれていたのだとちょっと安心する。

 「高橋君の?」

 「うん。小さめのサイズのにしたつもりだけど、大きいかも」

 「ありがと」

 「外で待ってるから、着替えたら出てきて」

 「わかった」

 淡々と会話して、竜平は部屋の外に出て行く。薄暗い中で、果穂子は心臓の音をなだめるように、息を半分止めているような息苦しさで服を着替えた。言われたとおり、赤いTシャツは大きめだったし、カーキ色のハーフパンツは八分丈のようになってしまったけど、とにかくなんとか着れた。こんな、男の子のような活発な格好は似合わないだろうなあ、と自分の長い髪を見て思う。パジャマを畳んでベッドの上に乗せておいて、同じく竜平が鞄に入れておいてくれたスポーツシューズに履き替えた。これも、少しブカブカだったけれど、紐をきつく縛って固定する。

 「お待たせ」

 「ん。じゃあ行くか」

 ドアを開けて見せても、特に服装に対するコメントはなかった。すぐに竜平は歩き出すから、果穂子は慌ててその後を追う。

 和真だったら、もう少し気を使ってくれそうなのに、と心の中で密かに比べてしまう。そんな果穂子の気も知らないで、竜平はすたすたと早足で歩いていく。

 病院を、窓から抜け出すのも大変だった。果穂子は窓によじ登った事なんてないのに、竜平は簡単にそれによじ登って通り抜けてしまって、果穂子に同じ事を要求する。

 何度か腕を引っ掛けてみて体を持ち上げようとしてみるけれど、全然うまくいかない。窓の向こう側で待っていた竜平はやがて分かり易い大きなため息とともに、もう一度窓を上って上から手を差し出す。

 「掴まって」

 「でも」

 「いいから」

 少し苛立った声に身が竦む。早く、と促されて恐る恐る両手を差し出すと力任せに引っ張られた。

 「痛い」

 「足を壁にかけて自分でも登ろうとしろよ」

 果穂子の意見はまったく無視してそんな命令をする。心の中で一瞬覚えた反発心は押さえ込んで、果穂子は言われたとおり足を踏ん張る。ぐい、と体が引き上げられて、窓わくの上にようやく上りきった。竜平は果穂子の手を離すと、素早くそこからまた跳び下りる。足音もしないほど静かに滑らかに。まさか、自分も同じ事をしなければいけないのだろうか? 促すような竜平の視線はたぶんそれを物語っているが、果穂子はあえてそろりそろりと足を下ろす。窓枠を両手でしっかりと掴んだまま、まず右足をおろし、右手を今足をかけていた場所に移動し、左手も同じ風にする。そうして、両手で窓枠からぶら下がっている状態になったのだけど、まだあと少しの距離で足が届かない。背後の竜平の気配に気持ちが急かされる。今にもため息が聞こえてくるのではないかと、気が気ではなかった。やっぱり頷くんじゃなかった。なんで自分はこんな無謀な事をOKしてしまったのだろう? 最初の最初からこれじゃあ、先が思いやられる。きっと竜平も自分を誘ってしまった事を後悔している。

 情けない心持ちで、それでも跳び下りる勇気が出なくて窓枠を掴んだままでいたら、唐突に両脇の下をつかまれた。驚きで両手をパッと離してしまうけれど、そのまま落ちる事はなく、果穂子はゆっくりと地面に足がつく。幼児のように抱えられて下ろされてしまった。恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

 「いくぞ」

 竜平はなんでもない顔でさっさと歩き始める。果穂子は慌ててその後を追った。


 竜平に指示されて、竜平の自転車の後ろにへっぴり腰で立ったまま二人乗りで駅まで行った。二人乗りなんて初めてだから、駅に着いた頃にはもう、へとへとになっていた。いつバランスを崩して倒れるかと、全身をがちがちに硬直させて竜平の肩を掴んでいたからだ。

 竜平はそんな果穂子を気遣う様子なんてまるでなしに、切符を二枚買って果穂子に一枚渡す。

 「良かった。終電間に合った」

 ちょっと安心したようにそう呟いて、それから果穂子を振り返って無表情に戻った。もしかしたら、一瞬だけ和真と一緒にいるつもりになっていたのかも、となんとなく果穂子はそう思った。あの二人はいつも一緒にいて、片方が一言えば相手はもう十わかってしまうような雰囲気だった。

 終電の登り電車はすいていた。二人でがらがらの電車の座席に座る。同じ車両にいるのはサラリーマン風のおじさんが一人と年齢不詳の赤いミニスカートの女の人が一人。電車に乗るのも久しぶりな果穂子には物珍しくも、居心地の悪いものだった。真っ暗な中に家々の電灯が明るい夜の街並みが窓の外を走っているのを目で追う。竜平は何も話してくれない。だから、果穂子も無言だった。和真なら、絶対にこんな風に気まずい思いはさせないだろうな、と思う。

 「結構かかると思うし、夜だから。寝れるなら寝て。体弱いんだろ」

 突然話しかけられて背筋を伸ばしたら、そんなこと言われた。言っている間、こちらをちらりとも見はしない。

 「寝るって、ここで?」

 「うん?」

 「座りながら? 寝るの?」

 聞いたらやっと竜平はこちらを向いて、まじまじと果穂子の顔を見下ろした。

 「どんだけ箱入りだよ」

 「……寝てみる」

 「無理なら無理でいいけど」

 「寝る」

 竜平の言い方が失礼だ、と思う。むかっときたので絶対に寝てやる、と思った。でも、座ってなんて寝れないとも思った。首が痛くなりそう。でもとりあえず目を閉じてちょっと俯いてみる。目を閉じると、電車のがたんがたんという振動と音が体の中で反響するようだった。

 目を閉じて明日の朝の事を考える。毎日朝は検温をするのに、明日はそれをサボる事になるのだろう。朝、ベッドの中の果穂子がいないとわかったら、看護婦さんたちはどうするだろうか? 大騒ぎするのだろうか? 家族はきっと大慌てで果穂子を探すだろう。花火大会まで連れ戻されずにいられるだろうか? なんだか、駆け落ちみたいだ。全然こんな人、好きじゃないけど。少女漫画とかに描いてある男の子はもっとみんな優しい。ぶっきらぼうだって優しい。この人は全然優しくない。自分のことばっかりしかやらない。今だってきっと、果穂子に責められたから自分のやった事を償う為、ただそれだけの為に果穂子を連れ出した。

 竜平にはもちろん、和真からも聞いたわけではないけれど、果穂子は二人の事情を薄々察していた。クラスメイトの「高橋竜平」の兄が亡くなった、という話は見舞いに来ていた女の子たちから聞いていたし、そのお兄さんが魚屋さんを継ぐはずだった、というのも誰かが話していた。和真の話だと「花火職人になる修行をしていた」はずの竜平が、何故今この時期にいきなり花火を作って上げようだなんて暴挙に出たのか、これだけの条件が揃えば容易に推測できた。でもそれは、竜平一人の事のはずで、それに和真が何故あそこまで熱心になるのか。和真には本来全く関係ない事なのに。そのことで、果穂子は竜平をすごく羨ましく思う。竜平にはただ「友達のため」というだけであんなに骨を折ってくれる友人がいる。見返りを求める事もなく、恩を着せるでもなく、当たり前のように尽力してくれる友人がいる。自分は、もっていない。


 「もうすぐ着くぞ」

 右斜め上から声がしてハッと目を開けた。視界が斜めで、始め自分がどこにいるのか分からなくて数回そのまままばたきした。それから自分が竜平の肩に頭を乗せている事に気がついて、慌てて頭を上げる。ごめん、と謝ったら「別に」と返された。

 電車はゆっくり速度を落として駅の構内に入って行った。周囲の風景は夜だけど、電気の灯りで明るくて、にょきにょきと立ち並ぶ周囲のビルが良く見えた。初めて来る東京。写真やテレビで見たことがある風景が本当に目の前にある。

 竜平に促されて電車を降りて、広々としたプラットホームに立った。どのくらい寝ていたのか知らないけれど、眠る前と起きた後ではまるで別世界にいるようでくらくらと眩暈がしてしまいそうだ。竜平は初めてではないのかもしれない。果穂子を促して、エスカレーターへと向かう。

 「これから、どこ行くの?」

 「もうちょっと乗り換えて、神田まで出て漫画喫茶探す」

 「漫画読むの?」

 言ったらちょっと呆れたような視線が返ってきた。

 「ホント何にも知らないんだな」

 果穂子がちょっと困惑した顔をすると、面倒くさそうに「朝まで時間潰す」と言った。

 朝まで時間を潰すって、やっぱり漫画読んで潰すってことじゃないの? そう思ったけれど竜平が面倒くさそうだから口を噤んだ。また呆れた顔をされるのも癪に障るし。

 夜遅いのに人がたくさん行きかう駅の、迷路のような構内を竜平は時々ちらちらと看板を見上げながらすいすいと歩いていく。果穂子は何度もその姿を見失いそうになりながら、小走りでその背中を追いかける。

 「ちょっと……」

 とうとう耐え切れなくなったのは数回人にぶつかって本当に竜平の姿を見失いそうになった時だ。三回呼びかけても声は届かなくて、大きめの声で「高橋君」と名前を呼んでようやく振り返った竜平は、自分は特に何も悪い事はしていないといった平然とした顔で「何?」と聞いた。

 「追いつけないの。もうちょっとゆっくり歩いてくれない?」

 竜平はちょっとびっくりした顔をして。それから「そうか」と言った。

 「分かった」

 「お願いします」

 「ん」

 それからは、竜平はちょっとだけゆっくり歩いてくれたから、果穂子はなんとかついていけた。それでも充分速かったけれど。

 都会の女の人は服装がお洒落だ。よりにもよって男物のTシャツとハーフパンツの自分の姿を恥ずかしく思う。夜だというのに駅の構内はとても明るい。こんな遅い時間にみんないったい何をやっているのだろう? 時々酔っ払った人の騒ぐ声や笑い声、時には怒り声もどこからか聞こえてくる。周囲を歩く人はみんな周りに無関心で、果穂子がこうやってきょろきょろ観察しているように周囲を見渡したりはしていない。

 竜平について階段を降りて、長い道を進んで、また階段を上がったら、またプラットホームだった。少し待ってから来た電車に乗り込むと、遅い時間にもかかわらず混雑していた。竜平は果穂子の手を引っ張るようにしてそれを掻き分けて乗り込んで、奥の方のすいている所へと移動した。息苦しいし心細い。誰かの酒臭い臭いがして恐い。この中で頼れる人は竜平一人だから、果穂子は必死にそれについて歩く。

 息苦しいまま我慢していると、竜平がまた連れ出してくれて、ようやく電車の外に下りられた。吐き出されるような勢いで外に出て、新鮮な空気を吸って大きく吐く。周囲のサラリーマンたちに混じって、竜平は果穂子の手を引いて歩き出した。

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