果穂子 1
今日は元気がないのね、と看護婦さんに言われて、果穂子は「そうかな」とちょっと笑ってごまかした。昨夜自分の放った言葉を考えると、自己嫌悪で憂鬱になる。どう考えても八つ当たりでしかなかった。とてもむしゃくしゃしていて、誰でも良かった。ただ、誰かを傷つけたかった。たまたま、二人が謝罪してきたから、それに乗じて批難しただけ。自分はなんて嫌な女の子なのだろう。
別に、花火大会は元からすごく行きたいわけではなかった。ただ、それをする事でお節介気質の武井君香の気がすむのならいいと、勢いに押されるように頷いてしまっただけだ。それなのに、まるで自分がすごく花火大会に行きたかったような言い方をして、二人を悪者扱いした。
むしゃくしゃしていた原因はいくつかあるような気がする。一番大きな原因は多分、花火大会の前日に妹が浴衣姿を見せに来た事。自分の行けない、行った事のない花火大会に行くんだと言って楽しそうに笑ったこと。母親も、果穂子といる時よりも楽しそうに見えたこと。果穂子はそれを見て可愛いね、と言った。いってらっしゃい、と笑った。本当はそんな事、微塵も思っていないのに。思っていた事は全然逆の事だ。ずるいずるい。やっぱり私も行きたかった。私だって可愛い浴衣が着たい。みんなと大騒ぎしながら屋台で買い物がしたい。でも、それは言えない。自分の体が弱いせいで何かと母親は自分にかかりっきりになっていて、妹がそれについて不満を持っているけれど我慢しているのは知っている。母親が様々な事を犠牲にして自分に付き添っているのを知っている。だから、自分は我侭を言ってはいけない。良い子じゃなくちゃいけない。だから、笑わなくちゃ。いってらっしゃい、と良い子の顔をして言わなければいけない。自分のせいで、家族に負担を強いているのだから。悪いのは、自分なのだ。
でも、自分が何をしたというのだろう?
体が弱いのは、自分のせいだろうか? 自分だって、みんなのように学校に行って友達と遊びたいのに。体育の授業や運動会やマラソン大会に出たいのに。走り回ったりプールに行ったり、花火大会にだって行きたいのに。好きでこんな体に生まれたわけじゃないのに。
病室の時計を見るともう夕方近くで、今日は二人は来ないだろうと、更にやるせない気分になる。
お昼ごろにドアがノックされた時、自分の酷い言葉も気にせずに、二人が来てくれたのかと思った。けれど実際は違って、それは武井君香率いる数名の女子だった。君香以外はみんな、昨日果穂子が花火大会に行ったと思っているから、花火大会の感想を聞きに来たのだ。みんなの期待を裏切らないように果穂子は微笑んでお礼を言って、彼女たちの相手をする一方で君香が複雑な顔をしているのを知っていた。君香は君香の尺度でしかものごとを図れないから多分果穂子が君香と同じにそんな嘘をつくことを不本意に思っている、と思っている。でも、果穂子にしてみればそんなもの、どうでもいい。嘘をつくことなんて慣れている。いつも、君香相手にだってついている。「ありがとう。私こんな良い友達持てて幸せだよ」
昔は、果穂子だってこうして見舞に来たり「崎村さんのために」、と何かしてくれる人に素直に感謝できたのに。ここでの生活が長くなるにつれ。ずっとベッドの上にいるにつれ、考え方がひねくれてしまった。自分でも嫌だと思うのに、気づくと捻じ曲がった事を思ってしまう。
わたしが、こう言えば満足でしょう?
ドラマのようなシーンを演じて浸っているのでしょう?
あなたたちが好きなのは、私じゃなくて病弱な友達に優しくする自分なんでしょう?
目の前にいる自分がこんなことを考えているなんて知ったら、彼女たちはきっと失望して二度と見舞になんて来ようとは思わないだろう。自分だって本当はこんなこと考えたくないのだ。でも、考えてしまう。彼女たちの行動は親切の押し付けだ。感謝されるのを期待しての。
だから、自分はあの二人にお見舞に来て欲しい、と思ったのかもしれない。自分の方から頼みをきいてあげるのだから、お見舞いはその「代償」なんだから、お見舞いに来て「もらっている」わけではない。実際、あの二人の態度にはお見舞に来てやっている、という態度は微塵もなく、普通の友達のところに遊びに来て話しているような気軽さがあった。果穂子にはそれが嬉しかったし、平等に扱われている気がして嬉しかった。
交換条件を出した時は、自分でちょっと自分にびっくりしてしまった。よく知りもしない男の子たちに、なんて大胆な事を言ってしまったんだろう!
だけど、すごく仲が良さそうな二人を見て、羨ましかったのだ。お見舞いに来る女の子たちと自分の間に交わされる上辺だけの、心のこもっていない会話と違って、二人は本当に仲が良いように見えて、自分もそんな仲に入れて欲しいと思った。入りたい、と思った。それに、和真は屈託なくて優しかったし。
果穂子は二人が来る時間が楽しかったし好きだった。なのに、なんて酷い事を言ってしまったのだろう。
女の子たちが帰って、果穂子はまた一人になった。白い壁を見つめて、自分はなにをしているのだろう、と思う。自分は要らないのではないか、と思う。何にも使いようがない、家族にとって負担になるだけの人間なのに不満ばっかりで感謝もしない。消えてなくなってしまいたくなるけれど、死ぬのは恐いから結局ベッドの中にいる。
病室のノックの音が聞こえて、果穂子は小さく返事をする。戸が開いて入ってきた人物に、期待していたくせにちょっと驚いた。竜平が、静かに戸を開けて近づいてくる。いつも一緒の和真は、と思ったけれど見当たらない。和真には嫌われてしまったのだろうか、と果穂子は不安になる。嫌われて当然なのだけど、優しく色々な話をしてくれた和真に嫌われるのはやっぱり胸が痛む。
竜平は果穂子の目の前に立って、いつもの通りあまり表情のない顔でこちらを見た。いつもにこにこして明るい和真と違って、竜平はいつもこうやって無愛想だから、果穂子は少しだけ竜平が苦手だった。竜平が笑うのは和真に向かってだけだったし、話しかけるのも主に和真に向かって、だった。
「どうしたの? 高橋君」
相手が喋らないので、沈黙には耐えかねて果穂子は尋ねる。自分から来たくせに、促されて渋々と言うように竜平は口を開いた。
「本当に、花火大会、見たい?」
「え?」
嘘が見透かされているのかと、一瞬背筋が寒くなった果穂子に向かって、竜平は感情の窺わせない顔のまま続けた。
「本当に見たいなら、連れて行く。明日東京ででっかい花火大会があって、俺、抽選で当たったんだ」
「え、何? 東京?」
話について行けなくて、果穂子は混乱する。目の前の男の子は、いったい何を言っているのだろう? どういうつもりだろうか? 自分を責めるために来たのではないの?
「行きたかったんだろ?」
違うの? と竜平は重ねて聞いてくる。
本当に、花火大会に連れて行ってくれる気だ! ようやくそれを飲み込んで、果歩子はびっくりした。まさかこんな突拍子もない事を言われるなんて。
確かに、花火大会に行きたかったとは言ったけれど、それを本当に真に受けてしまうなんて。
「行きたいけど。でも、東京って。……お医者さんに許してもらえないかも」
「うん。だから、夜内緒で抜け出そう」
「抜け出すの?」
「昨日みたいに窓開けといてくれたら迎えに来るよ」
「そ、そう……」
あまりのことに呆気に取られている果穂子に、竜平は「どうする?」と尋ねる。
「別に行きたくないんならいいんだ」
そんなこと言われても、困ってしまう。本当は、昨日の言葉は全部八つ当たりなのだ。花火大会に行ってみたいとは思っていたけれど、あんな風に責めるほどじゃない。それに、病院を抜け出す、だなんてできるのだろうか? 第一、そんな事をしたら大騒ぎになるし、東京に行くまでの道中に体調が悪くなってしまうかもしれないし。
色々考えて、止めたほうが懸命だと分かっているのに。果穂子は気がついていたら答えていた。
「行きたい」
「そう」
竜平は別にそれで喜ぶわけでも面倒くさがるわけでもなかった。じゃあ、夜迎えに来るからまた窓開けておいて、と無表情に淡々と言った。




