竜平 14
花火大会終了のアナウンスが遠くから聞こえてきた。業者の人間が後片付けをしている気配と音が聞こえる。和真はゆっくりとシャベルや、川に浸された筒と花火玉や、釘や金槌を集め始めた。くしゃみがひとつ。それは、パンツ一丁で濡れたままずっとそこにいたせいだ。竜平はそれを聞くと立ち上がって和真の手から荷物を受取った。
「警備員が行ったら戻ろう」
竜平の声は静かだった。窺うような和真の視線を避けて、静かに片付ける。筒の中に詰めていた土を地面にあけて、中の針金を抜く。びしょ濡れの花火玉を菓子箱に詰める。いまだ降り続ける雨はその場を濡らしていた。片付けが終わってしまうと、橋の下から煙雨に煙る風景を眺めて、業者と警備員とが去るのを待っていた。
警備員がいなくなってから、河原を歩いて戻って服と靴を元通り身につけ、言葉少なに帰り道を歩いた。雨のせいで服も靴も濡れて重たくなっていた。身に着ける時に絞りはしたものの、傘も持っていないからすぐにまた元に戻ってしまった。
花火大会後の混雑はもう収まっていて、駅に着いた頃には簡単に電車に乗れた。濡れ鼠のままドアの脇に大荷物で立ち尽くす。人目を引きそうだったけれど、もうどうでも良かった。
地元の駅について、自転車を回収して。和真がちょっと困った顔をしたので竜平から言った。
「崎村さんのところだろ? 行こう。待ってるかもしれないし」
和真がちょっとホッとした顔をした。竜平は頷いて、自転車の向きを病院の方向に向ける。
約束どおり、崎村はこっそり窓を開けておいてくれたようだった。荷物は自転車の上に置きっぱなしにして、二人はよじ登って窓を抜け、夜の病院の中に侵入した。真っ暗なリノリウムの廊下のところどころに非常階段への誘導灯の緑色に浮き立つように明るい光が反射していて不気味だった。そこを、足音を立てないように注意しながら進む。通いなれた廊下も階段も、いつもとは別物のようだった。崎村、と書いてある病室をノックすると中から微かに返事が聞こえた。起きている。竜平は取っ手に手をかけて、それを開いた。
電気の点いていない暗い病室で、崎村はいつものベッドに腰掛けて、窓の外を見ていた。その背中に向かって、竜平は進んで行く。和真に言わせるわけにはいかない。自分で言わなくては。
「崎村さん、ごめん。花火、あげられなかった」
こちらを向かない背中に声を掛ける。こちらを向いてしまう前に、一気に言ってしまいたい。
「雨のせいで、上がらなかった。せっかくお金貸してくれたのに……」
「嘘つき」
呟くような、でもはっきりとした声が竜平の謝罪の言葉を遮った。
「私の為に花火上げてくれるって言ってたのに。見えなかった。嘘つき」
崎村がこんな事を言うとは予想外で、竜平は思わず目を見張った。これは本当に崎村だろうか? あの大人しい崎村がこんな刺々しい言葉を吐くだろうか?
崎村はこちらを振り返る。暗がりの中でその目だけが不穏に輝いているように見えた。こんなに存在感のある崎村は初めて見た。
「私だって本当は花火大会行きたかった。花火見たかった。我慢して、私の為にあげてくれるっていう花火で満足しようとしたのに。嘘つき」
「その、本当にごめん」
「言葉だけ」
「え」
「もういらないよ、そういうの。口先だけの謝りとか、キライ。……帰って」
「でも……」
「帰って。二人とも、大嫌い」
「崎村さん」
横から和真が口を挟もうとしたけれど崎村は首を振って頭から布団を被ってしまった。二人は途方に呉れたようにしばし立ち尽くして、それからそろそろと病室を後にした。
和真と気まずい思いのまま別れて、竜平が家に着いたのは深夜を回っていた。暗い家の中を通って自分の部屋に入り、濡れた服を着替えてベッドに倒れこむとどっと疲れが襲ってきた。脱力感と、体の中の何かが抜け落ちてしまったような喪失感。火が着かなかった時に突如込み上げてきた怒りはもう過ぎ去っていたけれど、代わりにやるせない無力感と苦々しい思いだけが拭い去れなくて、焦げ付くようにわだかまっていて胸が苦しい。むしゃくしゃする。
「失敗したのか?」
突然顔を覗きこんできたそいつに、竜平は怒りを覚えて思い切り蹴りつけた。案の定、足はそいつの体を通過して宙を蹴るばかりだったけれど。
「なんだ。ダイエットか? 空中自転車?」
「死ね」
「いやいや残念ながらもう死んでんだよね」
「どっか行けよ」
「やだぽーん」
癇に障る顔でにやにや笑っている顔が見ているだけでも不快で、竜平は体を横向きに向けた。
「失敗して不貞腐れてんの? そんなの、始めから分かってた事なのに。子供だなあ」
挑発に乗る気力も、もう湧いてこない。すごく疲れているし、寝てしまおう。こいつの言葉が聞こえないくらい深く深く、眠ってしまおう。
「成功してたら逆に諦めきれないぜ? これできっと良かったんだよ」
横になると、崎村の批難が耳に蘇る。嘘つき。和真には申し訳ないことをしてしまった。気に入っていた崎村に嘘つき呼ばわりされて、今頃ショックを受けているのではないだろうか。せっかく竜平の為にあんなに頑張ってくれた和真に、自分は結局恩を仇で返してしまった。崎村だって、自分がこんなに花火に執着しなければ希望通り花火大会に行けたのに。大きな花火を真下で見る事ができたのに。あんなに綺麗なものを一度も見たことがないというのは可哀想だ。申し訳ない。全部自分のせいでうまくいかないのかもしれない。自分さえ我侭言わなければこんな結果には……。
「ち。青いな。本当に落ち込んでやがる」
面倒くさそうな声が聞こえた。けれど、それはもう竜平が眠りに落ちる直前だった。竜平はそのまま、身動きもせず眠りに入って行った。
翌朝、正確に言えばもう昼ごろになる時間帯に竜平は目を醒ました。起き上がって、昨夜和真に頼んで預けたままだった花火玉を処分するために取りに行かなければと緩慢な動作で仕度をし始めて、机の上に乗っかっているチケットが目に留まった。ずっと存在を忘れていたそれ。机の上に出した覚えなんてないそれ。
東京で開催される花火大会の抽選で見事当選して、振込も終わっている。有料席のチケット。開催日は明日の夜。
もしかしたら、ヤツの嫌がらせかもしれない。いまだ花火に未練を残している竜平への。
でも、そう考えるよりも竜平はそれをまず引っつかんでいた。鞄に入れて、大慌てで仕度を始めた。




