竜平 8
崎村が入院している病院は、翌日学校で教師に聞いたらすぐに教えてくれた。地元で一番大きな総合病院。学校が終わってすぐ自転車を駆って、和真と待ち合わせた病院の前まで行くと、和真は既に来て居心地悪そうに門の前に立っていた。居心地が悪いのは、手に持った花のせいだ。和真は大きな向日葵を三本、新聞紙に巻いて手に持っていた。
「どうしたの? それ」
自転車を止めて開口一番に聞いた竜平に、和真は嫌そうな顔をした。
「お見舞いったら花だろ? 庭から切ってきたんだよ」
「ああ、おばさんの花壇……無許可?」
「無許可」
怒られるんだろうなあと思いながら自転車置き場に移動して自転車を止める。普段持ち慣れない花なんて持っている和真はそわそわと落ち着かなかった。
「竜平、自転車置いたらこれ代われよ」
「はあ?」
「花なんて恥ずかしくて持ってらんねーよ」
「ええ。俺も恥ずかしいよ」
「ばっか、俺なんて家からずっと恥ずかしかったんだぞ。学校のヤツに会わないかひやひやしたし」
そう言って花をぐいぐい押し付けるので、竜平は仕方なしにそれを受取った。女の子に花を持っていくだなんて、初めての経験だ。なんだか照れてしまう。
病院に入ると、空気が一気に変わった感じがした。蝉の声と熱気が自動ドアを境にピタリと止んで、代わりにひっそりとした雰囲気と冷房の冷気に包まれて、かいた汗が急速に冷えていく。どこからともなく漂う、薬品の匂い。
受付を通って教師から教えられた病室へと足を運ぶ。部屋は三階にあったので、階段を上って、冷たく光るリノリウムの床をぺたぺたと歩く。廊下を進んでいたら、あ、と和真が声を上げた。きょろきょろと周りを見渡してすぐそばにあった『給湯室』と書いてある部屋に竜平の腕を掴んでさっと入り込んだ。
「何?」
「武井たち! あいつらもお見舞いに来てたみたい」
「へえ。仲良いんだな」
「じゃなきゃ募金とか言い出さないだろ」
「で、なんで隠れてるの?」
「花とか持ってるの恥ずいし。しかも武井ってなんか恐いから、俺たちがなんか企んでるって気づかれそうじゃん」
気づかれもなにも、もし崎村への説得が和真の企み通り成功したのなら、募金の主催者である武井には説明しなければいけないのでは、とは思ったけれど言わないでおいた。竜平も、武井にはできる限りお近づきになりたくない。
同級生の女の子たちは、竜平たちの存在に気づくことなくすぐそばの病室に入って行く。少しして、病室から姦しい話声が漏れてきた。最初の頃は息をつめていた和真と竜平だったが、しばらくするとその緊張も解けてうんざりしてくる。
「げー。よくあんなだらだら話できんな」
足が疲れてしゃがみ込んだ和真がげんなりした顔で愚痴をこぼすので、同じくしゃがみ込んでいた竜平は同意を込めて頷いた。女の子たちの話題はドラマの話とか学校の噂話とかアイドルの話とか、尽きる事はない。病室のドアが開いているからか、きゃははは、と楽しそうな笑い声が廊下を反響して届く。
じりじりしながら待って、そろそろ本当に呆れ果ててしまった頃、ようやくその話にも区切りがついたらしい。
「じゃあね、かほちゃん」
「お大事にー」
声が響いたと思ったら間もなく、女の子たち数人のいまだに止まない話し声と足音が給湯室の前を通る音がした。それが小さくなって、また静かになると、和真は給湯室か頭を出して左右を確認した後、よしと呟いてそこから出る。
「あー、しんどかった」
伸びを一つしてから、ずんずんと進むので竜平も慌てて後を追う。
崎村の部屋の前にはきちんとプレートがかかっていて名前が書いてあった。三人部屋だけれど、他の二つのプレートには名前が入っていなかった。
「崎村果穂子って言うんだ」
和真が初めて知ったような口調でそう言った。
「なんで入らないの?」
「や。なんか緊張して。……ノックとか、した方がいいのかな?」
「あ。しようしよう」
そう言ってノックをしたら、中からはい、と声が聞こえた。か細い女の子の声だ、と竜平は思う。和真と目を見合わせて、それから竜平が引き戸になっているそのドアを開ける。病室内には右に二つ、左に一つベッドがあって、その左側の一つに女の子が掛け布団から上半身だけ出して座っていた。おそらく、その子が崎村だろう。そもそも、他に誰もいないし。
崎村は二人を見て怪訝な顔をした。予想していなかった来客に対してどういう態度を取れば良いのか分からないように戸惑っていた。一方、竜平たちも自分たちだけでの見舞いだなんて経験がないからどうすれば良いか見当もつかない。
「俺、同じクラスの北野なんだけど……知ってる?」
僅かの気まずい沈黙の後、慌てたように和真が隣で上ずった声を上げた。崎村はまだ戸惑ったような顔をしていたけれど、それでも一つ頷いた。「うん」小さい声が聞こえる。
「今日は崎村さんにお願いがあって来ました。……あ、まずこれ、お見舞い」
和真が緊張した動作で竜平の手の中の花を指したので、竜平もはっと気がついて開けっ放しになっていたドアを閉めて足を踏み出す。はい、と手の中の向日葵の束を差し出すと「ありがとう」という消え入りそうな小さな声が聞こえた。和真も近づいてきて、大分慣れ始めた声で話す。
「それから、こいつは竜平ね。高橋竜平」
「うん」
知っているからうん、なのか今認識したからうん、なのか。とにかく崎村は頷いた。
「それで、お願いなんだけど」
流石に和真の歯切れが悪くなって、戸惑っているのが分かるから、竜平は覚悟を決めた。これは自分のことなのだから、自分で言わなくては。
「俺と和真で、花火作ってて」
竜平が口を開くと和真はびっくりした顔で竜平を見た。竜平はゆっくりと続ける。
「こんなお願い崎村さんにするの筋違いだと思うし、図々しいんだけど、予算が足りなくなっちゃったから、募金のお金貸してほしいんだ。……返すのは、お年玉が入る頃になっちゃうかもしれないんだけど」
もちろん、その頃には花火大会は終わっていて、募金は意味を成さなくなってしまっている。
「募金って、君香ちゃんの?」
君香ちゃん? 一瞬考えて、すぐに武井のことだと気づく。確か、武井君香。
「うん。花火大会の」
「そのお金は、私のじゃないよ?」
「でも、崎村さんから言ってくれたら武井も説得できるかもしれないし」
和真が割って入ってきた。崎村は困ったような顔をして、イエスともノーとも言わず、質問を重ねてきた。
「打上花火って、作れるものなの?」
「作れるよ! 竜平なら。大人には内緒だけどね」
「内緒なの?」
「犯罪だから」
横から竜平が言ったら、和真が咎めるような声を出して竜平を呼んだ。崎村もぎょっとしたような顔をする。
「犯罪、するの?」
「いやだって、信号無視だって犯罪だよ?」
和真が慌てて取り繕うように明るい声を出す。
「花火大会の日に、俺と竜平で自作の花火一つだけ打ち上げるんだ。あ、じゃあさ。それ、崎村さんの為に上げるから。……この病室から、花火見えないの?」
「もしかしたらちっちゃく見えるかもしれないけど……」
「じゃあ、なるべく病院から見えるような位置で上げるから」
適当なことを和真が言うから、竜平は少し焦る。この病院から見えるように? 竜平が作っている4号玉は160メートルくらいまで上がるはずなのだけど、きちんと見えるだろうか? それに、打上場所だって、この病院から見えるような角度で、なんて選んでいる余裕があるのだろうか? そもそもきちんと上がるのだろうか?
竜平が頭を悩ませていることなんて全く気づかないで和真は話を続ける。
「俺たち、どうしてもこの花火完成させたいんだ。お小遣いとか全部つぎこんで、うまく行ってたんだけど、誰かの悪戯で作りかけの花火台無しにされちゃってさ。もうお金ないし、でも諦めきれないしと思って……かなり図々しいってわかってるけどさ。崎村さんがすごく花火大会に行きたいならしょうがないけど……」
「いいよ」
「へ?」
崎村の返事に、竜平も和真も一瞬拍子抜けしてその場に止まってしまう。
「いいの?」
「君香ちゃんがいいって言ったら。私からも、頼んでみる。私が、花火大会に行った事にして黙っていればいいんだよね?」
「え、でも……」
あっさりと了承されてしまうとそれはそれで戸惑う。顔を見合わせた二人に、崎村は相変わらず小さな声で言う。
「でも、一つ条件だしていい?」
「条件?」
「うん。代わりに、これから花火作りの報告に来て欲しいの。その日どんなことをしたのか、お話に来て欲しいの」
「それで、いいの?」
「うん」
それで、花火大会に行けなくなってしまっていいのだろうか? いざうまく行ってしまうと、それを望んでいたくせに何故だか困惑してしまう。どうしていいかわからない風の竜平と和真に、崎村はちょっとだけ、淡く微笑んだ。




