竜平 6
自分は今年の夏、どれだけ犯罪を犯すのだろう、と電車に揺られながら考えた。火薬取締法を何重にも違反していて、更に今度は窃盗。どろぼう、は誰でも知っている立派な犯罪だ。
親類だから祖父の家には何度も行っていたし、下っ端の使い走りの自分は片付けや準備をしていたから、物の場所は把握していた。その度に祖父の家に泊まるのだから、家の中も把握していた。花火の材料がどこに保管されているのか。その鍵はどこにおいてあるのか。
電車を降りると、空は夕暮れで赤く染まっていた。通いなれた祖父の家への道は去年以来なのにひどく懐かしい気持ちがした。懐かしいのに、罪悪感で一杯だから、心も足も重たい。それでも、迷う事はなかった。黒々と染め抜かれたような影を前にしながら、歩く。
古い日本家屋である祖父の家は、風通しが良いから夏場は寝る時間まで雨戸を閉めずに縁側の戸をあけておく。その風が通っていけるように家中の窓が開いている。そして、夕飯時は全員が揃って夕食を食べる。その時間帯は全員縁側に面した居間にいて、他の部屋は無人だ。祖父の部屋も、無人だ。
周囲に人通りがない事を窺ってから小走りで祖父の家に近づくと、竜平は背を低くしながら裏口の方に回る。裏口の生ゴミを入れるポリバケツの横に屈みこんで、家の中の様子を窺った。そのすぐ向こうは、台所になっていて、水を流す音、何かを炒める音が聞こえてくる。まだ夕飯は始まっていないようだ。竜平は息を殺して膝を抱えて、その場で静止していた。
心臓が耳元でがんがんと鳴っているようだった。胸に重苦しい石がつまってでもいるようで、息をするのも苦しかった。それでも、その場を動かなかった。がさり、と音がして体をびくりと強張らせてそちらを見ると祖父の家で半分飼っている猫だった。半分野良のその猫は竜平を見て驚いて逃げていく。それだけでもひやひやとする。
「できたよお」
台所から良く通る伯母の声が響いた。木の廊下を踏む騒々しい足音が聞こえる。
食器を慌しく運ぶ音。食器類のぶつかるかすかな音。グラスの音。いつもは自分はこの壁の向こう側にいて、夕飯だと駆けて来るのに、こんなところに一人で忍んでいるのは酷く奇妙な気がした。この家は家族が多いから、食事も騒々しい。そういえば、そんな騒々しい食事は久しくしていない気がする。
やがて台所の明かりが消え、静まり返った。竜平の心臓は、いよいよ早く鼓動を刻み、口から内臓が飛び出るのではないかと思った。音を立てないようにゆっくり立ち上がる。膝がきしきしと音をたてているような気がする。それさえ、恐ろしい気がする。忍び足で家の壁を伝ってそっと祖父の部屋を目指す。庭木の下を潜る様にして、身を潜めて前進した。日はもう殆ど暮れていて、真っ暗と言うには僅かに足りない濃紺の空が頭上に広がっていた。
Tシャツの摺れる音だけで身が縮んだ。何度も走って逃げだしたい気持ちに駆られた。それでも、なんとか祖父の部屋の下まで行き着いて、そっと手を伸ばす。そして、焦りを感じた。窓は必ず開いているものだと思っていたのだけど、きっちりと鍵までしまっていた。他の部屋からの侵入を考えなければ。こめかみを汗がつたう。動揺を必死でなだめながら頭の中にこの家の間取りを思い浮かべる。祖父の部屋に一番近いのは、その斜め前に位置する風呂場だ。方向転換をして来た道を戻り、家の周りを半周して風呂場に向かう。幸い、風呂場の窓は開いていた。既に誰かが入浴した後らしく、湯気が僅かに窓から流れ出てきていた。竜平は曇りガラスのその窓に手を伸ばして、元々開いている窓の隙間から手を差し入れて、ゆっくり音を立てないようにと気を使いながらその幅を広げる。窓が開ききってしまうと、腕を伸ばして力を込めて乗り越えた。そこまで来て、靴を履きっぱなしにしていた事に気がついて、慌てて上から振り落とす。土の地面の上に靴が落ちる乾いた音に、気づかれはしないかとひやりとする。少し静止しても家の中の物音に特に異変はなかったので竜平はそのまま窓枠を乗り越えて風呂場に侵入した。石鹸の匂いと、もわりとした熱気が体を包んだと思ったら、直後に靴下に水分を感じた。慌ててそれを脱いでポケットに捩じ込む。浴槽の蓋や風呂桶にぶつからないように注意を払い、濡れた床に足が滑らないように用心しながらそこを出て、祖父の部屋に向かった。祖父の部屋へは、廊下を通らなければいけない。廊下は、正に今夕食の最中である居間と壁一枚で接している。大所帯の賑やかな夕食の声を聞きながら、心臓が縮む思いで息を止めて通り抜けた。
祖父の部屋には頻繁に入るわけではなかったが、準備をする時などに鍵を借りに来ていたから、鍵のある場所は把握していた。祖父はいつも、入口向かって右側の箪笥の小引出しから鍵を取り出して、竜平に放って渡した。
今にも逃げ出してしまいたい気持ちを押し込めて、急がないように、足音を立てないように、ゆっくりと歩みを進める。箪笥までの距離は五メートルもない。大丈夫だ。でも、突然祖父は戻ってきたりしないだろうか。自分は移動にどれくらい時間を要しただろう? 緊張しすぎて時間間隔がわからなくなっている。まだ夕飯は終わらないだろうか? 家の人たちはまだみんな居間だろうか? 不安が胸に押し寄せる。でも、ここまで来たんだからやってしまわなければ仕様がない。なんとか箪笥までたどり着いて、引出しに手をかける。自分の手が震えていることに気がついたが、どうしようもなかった。震えた手を逆の手で押さえつける様に支えて、音を立てないように慎重に引出しを引いて中を探る。鍵は簡単に見つかった。竜平はそれを引っつかむと、慌てて引き出しを元に戻してその部屋の窓に向かった。硬い鍵を開けてる時、軋む音が響いてまた肝が冷えたけれど、居間からは相変わらず平和なテレビの音と会話が聞こえるばかりで、特に変わった様子はなかった。窓を開けて、跳び上がって窓枠に足をかけてよじ登り、そのまま地面に着地する。素足に枯れ木か枯れ枝の感触が痛かったが、贅沢を言っている場合ではない。振り返って窓を閉め、竜平は始めはそろそろと歩み、やがて駆け出した。花火の材料を入れている倉庫の場所は知っていたし、鍵を手に入れてしまえば後は容易かった。
真っ暗になった屋外は、竜平の身を隠してくれるのに丁度よかった。素足で駆けて、行き慣れた工場脇の倉庫に急ぐ。目的地に着いて、迷いもせずに鍵を使って倉庫の中に入る。人に見つかるのが恐くて明かりをつけなかったので、塗り込められたような闇の中で手探りだった。手探りでも、何がどこにあるかは大体覚えていた。必要な材料を手早く集めて、ポケットに入れておいたビニール袋に詰め込んで、それを抱えてまた倉庫を抜け出した。元のように倉庫に鍵をかけて、倉庫から盗んだものたちは工場の裏にこっそりと隠しておいた。これから、祖父の部屋に鍵を戻しに行くという大仕事が残っているのだ。
夜の暗闇に隠れる様にして祖父の家に駆け戻る。家にたどり着いて、再び裏口からこっそりと中の様子を窺う。予感はしていたが案の定、裏口の壁の向こう側の台所は夕食の片付けで立ち働く人の気配がした。夕飯時は終わってしまった。
竜平はそれを確認すると、諦めたようにそばにある藪の中に身を潜めた。明日の朝になって祖父が鍵のない事に気づく前に、なんとしても鍵は戻さなければいけない。その為には、ここで数時間、時間を潰すしかない。家の人間全員が寝静まるのを待って、また家に忍び込むつもりだった。
家に帰ったのは深夜を回ってからだった。家の鍵は閉まっていたので、自分で持っていた鍵で戸を開けて、音を立てないように家に入る。夕飯を食べてからこっそりと家を出て行ったから、両親は竜平がいつものように部屋にいると思っていたのだろう。
竜平は花火の材料が入った袋を握り締め、自室へと繋がる階段を静かに踏みしめて上る。部屋に入ると、ようやく一息ついてベッドに倒れこんだ。
寝静まったとはいえ祖父の寝ている部屋に忍び込むのは余程神経を使う事だった。今思い返しても、自分によくもまああんな事をする度胸があったものだと感心する。幸い、祖父は夕食時にいつものようにビールを飲んでいたらしく、深く眠って目を醒まさなかった。それでも、すぐ側で寝ている祖父を起こさないように身を硬くして、息をひそめてその部屋に侵入した時の事を思い返すと、今でもまだ心臓が早鐘のように打つ。何度鍵をそこいらに置いてそのまま逃げようと思ったか知れない。祖父が今にも目を醒ますのではないかとびくびくしながら耳を澄まし、一挙一動に注意を払って行動した。
竜平は、ベッドに体を投げ出して心臓の音を鎮めようとするうち、いつの間にか眠りに落ちていた




