和真 1
結構昔に投稿用に書いて1次だけひっかかってあえなく落選したものです。講評貰ったんでそれに寄せて書き直そうかと思って寝かせたまま放置してましたがもう時効なので書き直すこともなくアップします。たしかに講評通り、地味な作品となっております…。華がない。
あと書いたのが結構かなりむかしなのでなんかこう…現代ならもっとスマホとか活躍してもいいんじゃない?って思う…。私が投稿してるの全般そんな感じですが。(最近書いてないから)
梅雨の合間の、珍しくよく晴れた日だった。教室の窓からは抜けるような青空が見えていて、薄っすらと白い雲がところどころにかかっている。和真は窓際の席なのを良いことに、そんな窓の外を、何を思うでもなく眺めていた。別に今は授業中ではないから、先生の目は気にしなくても良い。
今は帰りのホームルームの時間で、この時間さえ耐えきれば後はもう帰って遊ぶだけだから気が楽だ。だけど、そのホームルームに案外時間がかかっていていただけない。教室の前方にある教卓の前では三人の女子生徒が、熱心に演説をぶっている。いわく、体が弱くてほとんど登校することが出来ないクラスメイトのなんとかさんのためにクラスメイトである私たちが何かしてあげられる事はないだろうか、いや、あるはずだ! という提案と言う名の主張。クラスメイトであるなんとかさん、と言ったって、和真にはどんな子かもわからない。その名前を聞いてもパッと思い浮かばないし、そんなだから話した事だって勿論ない。なんとかさんは女子だから、女子である彼女たちはもう少し親しい間柄にあるのかもしれないけれど、ただ同じクラスメイトだからと言って、そのためだけにほぼ面識のないクラス全員までを巻き込もうとするのは大分大袈裟というか、彼女たちの自己満足だけのような……とは頭の片隅で思うけれど、そんなことを口に出そうものなら、なんて酷い奴だなんて非人道的なんだ人の心の分からない奴だな死ねクズと、そんなに酷く罵られるかどうかは判らないけれど、とにかく冷たい目で見られてこれからの和真の学校生活がしにくくなるような気がするのでここは黙っておく。黙って、欠伸を歯の奥でかみ殺しながら、窓の外を特に何の感慨もなく眺めていた。早く終われよこの女子っぽさ満々のホームルーム。
窓の外を眺めていると、既にホームルームが終わったのだろう、他のクラスの生徒達がぱらぱらと下駄箱から出て行くのが見えた。ぴたりと閉めた教室のドアの向こうの廊下から、姦しい声が薄い反響を伴って漏れ聴こえてきて、軒並み周囲のクラスの生徒たちは解散している事を知らせていた。だけども、前方の壇上に立つ女子達の、特に真ん中に威風堂々と立ちはだかる女子、生活委員の武井君香はびくともしない。両隣の女子たちが廊下の雰囲気を察して少し焦り始めても、武井だけは堂々たるものだった。ホームルームの時間超過なんて、全然気にしていない様子で、サイコロ片手に「よござんすかよござんすか」とでも言いそうな貫禄でクラスの皆様から意見を募る。和真だけではなくクラスメイトの大半がげんなりしているのに気づいていないのだろうか?
とうとう痺れを切らした誰か、和真からするところの勇者が「下校時間だし、その話はまた今度」を提案したところ、薄々察しはついていた事だが、武井は大変ご立腹した。
「下校時間と崎村さん、どっちが大切なんですか」
多分ここにいる大半は下校時間だ、とは言いたくてもなかなか言い辛い。何しろ議題は「病弱で」満足に学校にも顔を出せない「可哀想な」子の話なのだ。そんな事より早く帰ろうぜ! などと正直な意見を述べようものなら武井はきっと、なんという冷酷無比人の心を持たない青い血の流れているエイリアンかそもそも空気読めよ普通ここはクラス一丸になってその子の為に何かしてあげて美談にすべきところじゃないのかと、言葉と視線と態度をフルに総動員して発言した相手を攻撃するだろう。彼女の矛先が自分ひとりに集中するのは避けたい。例え武井の攻撃がなくても、議題が議題だけに、下手な事を言えばいわゆる「ジコチュウ」、自己中心的人間だと思われてしまうから、発言は憚られるところだ。
残る頼みの綱は担任の教師だけど、生憎このクラスの担任教師は生徒の自主性を重んじるとかなんとかで、生徒たちのホームルームに口出すことはしないで、教室の右後ろ角に満足気な微笑を浮かべて、腕組みしながら立っているだけだ。
見下ろす昇降口から出て行く人数がどんどん増えて、ついにまた段々と減って、ひと段落しても当クラスのホームルームは終わらない。うんざりして窓から目を戻して教室を見渡す。男子の殆どと、女子の半分くらいは和真と同じようにうんざりした顔をしていた。一部の女子は熱心な顔をして議論を戦わせていたけれど。
ふと、二列向こうの斜め前の席にいる友人の竜平の姿が目に止まった。しばらくの間竜平を見続けていたら、視線に気づいたのか竜平はこちらを向く。目が合って、竜平が視線で弱ったよな、といってくるから、和真も同意の意味を込めて頷いた。今日は部活動が休みだから、この後、和真は竜平と遊ぶ約束をしていたのだ。
肩掛けの鞄が前後に揺れるのが地味に鬱陶しい。禁止されているはずの買い食いのアイスを舐めながら、和真と竜平はようやくホームルームから解放されてのんびりと家への道を歩いていた。久しぶりのからりと晴れた屋外は、風が心地よくて気持ちが良かった。
「ち。当たんねー」
一足先にアイスを全て舐め終わった和真は、舐め終わった後のアイスの棒を見て残念そうな声を出した。ここに「あたり」と書いてあれば、もう一本なのに。
「和真は、当てないよなー」
「お前、よく当たるよな。運いいんだよな」
「まあね」
結局ホームルームの決着はつかず、職員会議のある担任の教師が流石に悠長に待っていられなくなる時間を待って、ホームルームは明日に持ち越された。号令係の学級委員の起立、礼、着席の声を最後まで実行しないで、鞄を片手にそそくさと教室を出た生徒は多く、もちろん和真も竜平とともにそうした。
「参るよなあ。明日もあのホームルームとかさあ」
「実感湧かないしな。そんなクラスメイトいたっけ、みたいな」
和真が突然出した話題に、竜平はすぐに答える。長い付き合いだから、話のテンポはつかめていた。
竜平は、それに、と迷惑そうに顔をしかめる。
「明日は学校終わってすぐじいちゃんのとこに行こうと思ってんだけどなあ」
「あ。もうそんな時期だっけ?」
「うん。そろそろ忙しくなるから、来るなら来いって電話があった。今年は、一個、俺の好きな色で好きな形の花火作ってくれるって約束なんだ」
和真はふうん、と呟いて、少し口を閉じた。
竜平の家は父親の経営する魚屋だったが、母方の祖父が煙火店を営んでいる。煙火、と言う言葉で表してしまうと、何を売っているのか中学生の和真には明確なイメージが湧かないけれど、首をかしげる和真に以前竜平が教えてくれた。煙火店とは、要するに花火の会社だ。竜平の祖父の家は昔から続く花火屋さんだった。竜平の話によると、従業員は十人ちょっとしかいない小さな会社だけど、花火大会などで見るようなちゃんとした打上花火を作っているらしい。
毎年夏が近づき始める頃、竜平の母親は電車で一時間ほどの竜平の祖父の家に泊まりこみで手伝いに行く。竜平も学校が休みの土日などを利用して、祖父の家に足繁く通うようになるのだ。これはもう例年の事で、昔から竜平と一緒にいた和真にとっては恒例の行事と言っていい。だから、同時に和真はこの時期になるといつも竜平と遊べなくなる。竜平は自分の持っている自由な時間の全てを花火に費やしてしまうのだ。その事に本人が特に不満を覚えていないのは明確な目的があるからで、これまた随分昔から竜平は、自分は将来花火を作る職人になるのだと宣言していた。元々同世代の友人たちの中では寡黙な方である竜平だから、誰にも構わずそういう宣言をしているというわけではなかったけれど、和真を始めとする仲の良い友人たちは知っていたし、竜平の両親や、竜平の「師匠」の祖父もそれを承知しているようだった。竜平の進む道はしっかりと見えていて、学校で先日行われた進路希望調査にも迷わず火薬の取扱い免許を取得できる工業高校を具体的に記入していた。漠然と「高校進学 普通科」と書いた和真とは違って。
「当たんなかった」
アイスを舐め終わった竜平がちょっと残念そうに棒を見て言った。
「よかった。またお前だけ当たってたらむかついたもんな」
和真がにやりと笑うのに、竜平は苦笑した。
「当たったら半分やるのに」
「くれたら貰うけど」
アイスを舐め終わると、自然二人の足は速くなる。これから二人で竜平の部屋に行って、ゲームをするのだ。目下のところ、和真はゲームやサッカーや野球や釣が一番楽しい。それらをなげうってでも、毎夏小汚い工場で下働きでこき使われに行く竜平の気持ちは、和真にはちょっと理解不能だった。
和真が竜平の家から帰ったのは夕方で、夏だからまだ薄明るかったけれど冬だったら真っ暗になっていたような時間帯だった。それから夕飯や風呂を済まして、濡れた髪のままTシャツとハーフパンツという気の抜けた出で立ちで、居間でテレビを見ながら単価六十円のアイスを食べていた。薄く開けた縁側の戸から涼しい風が吹いてくる。テレビではいつもの野球中継が流れていた。
「ちょっとぉ、カズマ、あんた昼間もアイス食ってなかった?」
和真より前に風呂に入っていた筈の姉が化粧水やら美容ナントカやら、髪の手入れなどを終えてようやく自分の部屋から居間に来たと思ったらさっそくそんな事を言い始めたので、和真はちょっと顔をしかめた。竜平と買い食いしながら歩いていたところを目撃されてしまったのだろう。
「いいじゃん」
「太るわよ」
「姉ちゃんじゃないんだから」
「あんた、ゲームばっかしててあんま運動しないじゃん。絶対太るって」
「俺は太らない体質なのー。どっかのブタと違ってー」
言ったと同時に背中を蹴られた。和真の「痛い」という抗議の声は当然無視して、姉は澄ました顔でテレビの前に座り込む。現役女子高生であるはずの姉は、前髪をピンであげて、中学の頃の長ズボンのジャージを鋏で膝丈に切ったものを履いている。どう見ても大変野暮ったい。風呂の後の色々な手間隙はホントに必要あるのか? 和真はそう思いながらも口に出せばまた無言の暴力が待ち構えていると分かっているからそのまま口を閉ざした。君子危うきに近づかず。
「お父さん、私8チャンネルが見たいんだけど」
「ええ?」
「ドラマが始まるの」
「野球見てるんだけど」
「つまんないじゃん、野球。ね、和真」
姉は先ほど和真を攻撃した事なんてすっかり忘れたような顔をして、和真にそう同意を求めてくる。その横で気の弱そうな父が情けない顔をしているのが和真には少し哀れに見える。見えるけれど、姉は気が強いし口も達者だから恐い。結果、聞こえなかったふりをしてアイスを舐め続けた。本当は、野球でもドラマでもなくてお笑い芸人の出ているようなバラエティ番組が一番見たい。
姉は和真の同意などはなからどうでもいいようで、父をせっつき続ける。野球は現在八回の裏で丁度良い具合に盛り上がっているので、普段から立場の弱い父にしては頑張って抗戦を続けていた。
そのやり取りを無視して野球中継を見るともなく見ていたら、廊下に設置してある電話が耳障りな電子音を鳴らした。居間から廊下は近いのだけど、和真はこれもまた聞こえないふりをして無関心を決め込む。チャンネルの攻防戦を続けている父姉は言わずもがな、出ようとする様子はない。コールが3回鳴ったところで、台所で夕飯の後片付けをしていたはずの母親の少し腹立たしげな小走りの音が聞こえて、電話の音が鳴り止んだ。
「はい、北野でございます」
居間と廊下を隔てる引き戸の向こうから、少し気取った母親の声が告げて、そのまま知り合いから来る電話でよくあるいつも通りの挨拶になった。
和真がそのやりとりに興味をなくした頃、チャンネル争奪戦にも終わりが来ていて、姉がリモコンを手に嬉々としてチャンネルを変えていた。そのさ中、突然廊下から「え!?」という、びっくりするほど大きな声が聞こえた。その場にいた和真も姉も父も一瞬びくりと動きを止めて廊下の方を振り返ってしまうくらい大きな声。だが、母親の声が大きかったのは最初の「え」だけで、後は妙に低い声で「そうですか」とか「ええ、はい」「勿論ですよ」と相槌を打つばかり。なんだかよく分からないまま、和真も姉も父も元の動作に戻って何事もなかった事になった。しばらくして、電話を切る音が聞こえた。母親はそのまま台所に戻るのかと思っていたのに、足音はこちらに向かってきて、引き戸を開けてのっそりと居間に入ってくる。テレビを見続ける和真や姉の背中に向けて、母は妙に低い声で言った。
「和真、美月、高橋さんのトコの虎太ちゃん、亡くなったんだって」
和真が最初に感じたのは「は?」という感想。何言ってんの? は?
そのくらい、中学生の和真にとって「死」とは遠い存在だった。
高橋虎太郎、和真の家族や近所の人間はみんな虎太ちゃんと呼んでいた人間は、和真よりも三つ年上の姉の同級生だった。中学はすれ違ってしまったけれど、小学校は同じ時期に通っていた事もあるし、家も割と近くだったから、小さい頃は一緒に遊んでもらった事もある。それに、姉の同級生なので時々和真の家に遊びに来ることもあったから、よく知っていることは知っている。けれど、和真にとっては虎太郎自身を知っているというよりは「友達の兄ちゃん」の認識が強かった。
虎太郎は和真の友達の、高橋竜平の兄だった。