4.その姓、なにモノ?:姓の由来その1(親子関係)
さて、当たり前のように「姓」を取り上げて書いてきましたが、古代から中世前期までは「姓」(ファミリー・ネーム)にあたるものが存在する文化は少数派でした。
ゲルマン系やノルマン系、サクソン系、ケルト系などの、現在の西洋諸国の主流である民族文化においては「姓」という概念はあまりなく、重要なのは「氏族名」(ゲール人の「クラン」など)でした。
とはいえ、西洋世界において「姓」に類するものが登場したのは、古代ローマ時代です。
ローマの英雄「ユリウス・カエサル」(ジュリアス・シーザー)
彼の本来の姓名は「ガイウス・ユリウス・カエサル」です。
古代ローマ人の氏名は「個人名」+「氏族名」+「家族名」の三部構成。このうち、最後の「家族名」が現在でいう「姓」に近いものです。
カエサルの場合、一番目の「ガイウス」が固有名、二番目の「ユリウス」が氏族名、三番目の「カエサル」が家族名です。
『ユリウス氏族である、カエサル家のガイウスさん』ということですね。
古代ローマは共和制前期の頃から、この「氏族」が幅をきかせておりました。特に上流階級においては、どの氏族出身かである意味将来が決まるほど。表記では二番目に来る「氏族名」はアイデンティティの一つだったのです。
その一方で、個人名にはあまりバリエーションがありませんでした。
もともと『同じ氏族の、同じ名前の人間を区別するため』に「家族名」が使われ出したくらいでして、固有名のバリエーションが少なかったのです。そのこともあって、実は共和制ローマの頃は「個人名は頭文字だけで書くのが公式表記」だったりしました。
家族名が登場した以降も、同姓同名がかなり多く、親子や兄弟で同じ名前というのも多かったのです。「ガイウス・ユリウス・カエサル」も同時代に複数人いたそうです。
よって著名人などになると、「添え名」と呼ばれる[公式のニックネーム]を持つことになりました。これは基本的に最後(四番目以降)につきます。
カルタゴのハンニバルとの戦いで有名な「スキピオ」の場合。
正式名称は「プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル」です。五つに別れるのは、後ろ二つが「添え名」など生来の氏名ではないから、ですね。
「アフリカヌス」が“添え名”で、彼は養子(小スキピオ)も有名人であり「プブリウス・コルネリウス・スキピオ」の同姓同名で添え名も同じのため、区別として「マイヨル(Major/大)」がさらにつきます。
ローマ初代皇帝「アウグストゥス」は本来“尊厳者”を意味する「添え名」でしたが、後に家名(三番目)として世襲されています。
彼の全姓名は最終的に「ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス・アウグストゥス」ですが、生来の姓名は「ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス」でした。
元は『オクタウィウス氏族のトゥリヌス家のガイウスさん』だったものが、カエサルの養子として後継指名されたことにより『ユリウス氏族のカエサル家のガイウスさん、昔の氏族名はオクタウィウスで、アウグストゥスの敬称付き』に変わったのです。原型をとどめるのは固有名だけです。
なお「添え名」はニックネームみたいなものなので、同じ人物であっても活躍次第で次々に変化していったり、増えたりします。上記の「大スキピオ」は、父も同じ姓名(プブリウス・コルネリウス・スキピオ)でした。「アフリカヌス」の添え名は、ザマの戦いでカルタゴを破って後の尊称です。同姓同名だった従弟は「ナシカ」の添え名をもって区別されていました。
ちなみに。
古代ローマにおける女性の固有名は「無い」といっていい状態です。
基本的に、女性は「○○氏族・○○家の娘」という意味の名称で呼ばれ、これが固有名の代わりをしていました。「ユリア」はユリウス氏族の娘(なので、カエサルの娘もユリア)、「アグリッピーナ」はアグリッパ家の娘という意味です。同姓同名だらけになります。
その区別のために「母子の場合は、大小で区別」(大アントニアや小アントニア)したり、「生まれた順番で区別」したり、父母の氏族名などをアレンジして追加したりしていました。
たとえば、先述のカエサルの娘ユリアは、通常「ユリア・カエサリス」つまり『ユリウス氏族のカエサル家の娘』と称されます。
また初代ローマ皇帝「アウグストゥス」の娘も「ユリア・カエサリス」ですが、カエサルの娘ユリアは既に亡くなっていたので、別の名称では呼ばれませんでした。
一方、皇帝アウグストゥスの娘ユリアの娘(アウグストゥスの孫にあたる)も「ユリア」でしたので、一般的には母の「ユリア・カエサリス」を「大ユリア」、娘の方を「小ユリア」と呼びます。もしくは、孫ユリアの方は、父の氏族名「ウィプサニウス」と家名「アグリッパ」を加えて「ウィプサニア・ユリア・アグリッピーナ」と呼ぶこともあります。
……面倒くさいですねえ。
* * *
それでは、ローマ以降はどうでしょうか。
先に記したように、ゲルマンやケルト、フランク、デーンなどの民族は部族社会です。
「氏族名」を意識することはあっても『○○家の人間』という意味での「家族名」は持ちませんでした。よって、ローマ帝国崩壊後において「家族名」は再び使われなくなります。
北欧伝承などで『○○と△△の子、□□!』という名乗りを目にしたことはないでしょうか。
当時、固有名を名乗る際には、「自分の親は誰か」ということを頭に冠して名乗るパターンが原則でした。たいていは父親だけですが、場合によっては祖父の名も付けたり、母方が由緒正しい場合は母の名や母方祖父の名を冠することもあります。
『××の末裔、○○の子、□□!』
とか
『××の娘△△の子、□□!』
とか、ですね。家系図を名乗るようなものです。これは西洋に限らず東洋でも見られる文化です。
時代が下ってくると、この形の代わりに「直接的な血族の呼称」を名乗るようになりました。「姓」の登場です。
では、彼らはどんな「姓」を付けたでしょうか。
伝統を重んじた……といえば格好良いのですが、そのまんま『○○の息子』や『△△の娘』を意味する姓となったものが多くあります。
表現は言語によって大きく異なりますが、有名どころでは以下のようなものがあります。
【マック△△/マク△△】(Mac/Mc)
:スコットランド系。マッカーサー(MacArthur)ならアーサーの息子。
【オ△△】(O’△△)
:アイルランド系。オニール(O'Neal)ならニールの息子。
※Mac/McとO’の場合、次に続く英字の頭は大文字になります。またO’の「’」は必須です。
【フィッツ△△】(Fitz△△)
:ノルマン系。フィッツジェラルド(Fitzgerald)ならジェラルドの息子。なお、庶子が独立家名を名乗るケースで使われることが多かった。“フィッツロイ(Fitzroy)”は、そのまま「王の庶子」を意味する。
【△△セン/△△ソン】(△△sen/△△son)
:デーン系やノース系。アンデルセン(Andersen)ならアンデルスの息子。
※ただし、北欧やアイスランドでは現代にかけて「親子で姓は変わっていく」習慣があるため、ややこしい。
厳密には「姓がない」文化と言えます。
「ヨハン・アンデルセン」の息子は「○○・ヨハンセン」と名乗ります。なお娘だと、父の名にドッティル(dottir)を付けて「○○・ヨハンドッティル」になります。
※アイスランドでは現在においても、このルールは現役です。やめて欲しい。
《別バージョン》
【△△ネン】(△△nen)
:フィンランド系。もとは「小さい」という意味で、一族の出身地名に由来した「△△地方の子」の意味。ハッキネンやコルホネンなど、△△ネンで終わる姓なら、だいたいフィンランド系。面白姓として有名な「アホネン」も同様。
【イブン・○○/ビン・○○】(ibn・○○/bin・○○)
:アラビア系。○○の息子。
※なお、アラビア系では“○○の息子”を先祖代々つなげるので、「××・イブン・○○・イブン・△△」みたいな名乗りも多いです。正確には姓ではなく名の一部であり、アイスランドと同様「姓がない」文化です。
よって異世界ものの場合はともかく、現実社会を舞台にする作品の場合、姓によっては「その人物の出身国」が分かってしまいます。
フランス系の人物に「マック~」という姓は相応しくありませんし、同じくイタリア系の人物に「~セン」という姓も変です。
特に「名前として用いる名称(の語幹や由来)」との組み合わせには注意しましょう。