七 警備兵団長ニール・マティス
翌朝。
静子とライベルは何時もどおり朝食を共に取っていた。
「大丈夫か?」
「うん。でもやっぱりこのお茶もいやだ。水に変えてもらってもいい?」
「ヘレナ。水を頼む」
静子が現れてから、ライベルの態度は変わっていた。高圧的ではなくなり、周りの使用人達は影で彼女に感謝していた。
静子の容姿を苦手とするものは多い。
漆黒の髪と目は、アヤーテ人が忌み嫌うカラスの色だからだ。
それは静子自身も感じていて積極的にライベル、エセル、パル以外とは言葉をかわすことはなかった。
使用人達の中で、王の氷の心を溶かした女性として、慕うものも増えてきていたが、静子もライベルも気がつくことはなかった。
「無理せず残せ」
「ううん。もったいないから」
静子は食事を残すことがない。一度無理に食べて吐いたことがあり、それでも全部を食べようとしたので、ライベルは彼女の食事を少し減らすことしていた。減らしたといっても十分な量で、前が多すぎたであるが。
ライベルも彼女に影響をうけ、食事をきちんと取るようになり残すことが少なくなっていた。
病み上がりなのに出されたものをすべて食べようとして、ライベルが見かねて彼女の皿から自分の皿にパンとハムを移す。
「俺が食べる。それならいいな?」
「うん。でも大丈夫?」
「ああ。最近、剣の稽古を始めただろう?だから多く食べることは筋力増強につながる。だからいいんだ」
「そうだね。体、動かすならいっぱい食べたほうがいい。今日も訓練するの?私も見ていい?」
「お前はやめとけ。パルを傍につける。今日一日はゆっくり休め」
「……わかった」
緑色の瞳が春先の緑のように優しい色を帯びて、静子は頷かずにはいられなかった。
☆
「なんだ?」
警備兵団長ニールは、突然部屋に入ってきた近衛兵数名に声を荒げる。
ニールは警備兵団に配属してから、実家に戻ることは少なく、もっぱら街にある警備兵団の本部の寄宿舎で寝泊りしていた。
今日は普段の疲れを癒そうとベッドに潜り込んでいた。そんなときに、予告なく数人の兵士が乱入してきたのだ。
視線も一段を険しくなる。
警備兵団は街の安全を守ることが第一で、常に危険と隣り合わせだ。近衛兵と違って殉死することも多い。そんなわけで、毎日喧嘩の仲裁等で体に生傷が絶えず、父のクリスナ譲りの金髪に青い瞳という王族特有の容貌も掠れ、王族とは思えないほど、野蛮な風貌になっていた。そんな彼に睨まれ、数人の近衛兵は立ち竦む。
「久々だな。ニール」
青ざめた顔の兵達をかき分け、細身の男が前に出た。近衛兵の制服を着ており、衿の部分に金色の飾りがついている。
「ダンソン。お前がなぜ」
ダンソン・ウィールはニールと同期で、近衛兵団副団長である。縮れた茶髪が特徴で、性格は狐のようだとニールは記憶していた。
「部屋を捜索させてもらう。礼状はこの通りだ」
王印が押された紙をニールに見せ、ダンソンはにやりと笑う。
「本物のようだな。何の容疑かはわからんが、勝手にしろ」
紙を手に取り、王の署名と王印を確認する。
罪状は書かれていない。
しかし、何も覚えのないニールは投げやりに答えた。
「それでは。捜索を始めろ!おっと、ニール。君は私と話でもしようか」
裸同然だったので、服を羽織ろうとベッドから体を起こしたニールをダンソンが剣の鞘で止める。
「何のつもりだ。剣を俺に向けるのか?俺は、第二継承権を持っているんだぞ」
警備兵団や街の人々に関して彼が権力を振りかざすことはない。町を巡回しているときも普通の態度で、自分の権力を笠にすることなどはなかった。
しかし、貴族達に関しては別で、彼は堂々と自分の地位を手に渡り合う。
「わかってるさ。そんなことは。しかし今回、君は王族殺害未遂で嫌疑をうけている」
「王族殺害?またライベルが命を狙われたのか。今度で何度目だ?お前たちの警備が甘すぎるからだ。それとも犯人はお前らの中にいるのか?」
「ふふふ」
怒らせようとしたにも拘らず、ダンソンは薄ら笑いを浮かべた。
「今度は陛下ではない。陛下のお子を狙ったものだ」
「お子?あいつ、子どもできたのか?ああ、そういえば愛妾を囲ったと聞いたな」
「とぼけるつもりで?まあ、運良くご懐妊されていなかったので、よかったがな」
「ふうん。愛妾は無事なのか?」
「君が心配するか?おかしなものだ。無事だ。だから、また君がおかしなことを考える前に動いたんだ」
最後は囁くように言われ、ニールは眉を顰めた。
「見つけました!」
「よくやった!」
部下の言葉にダンソンは鞘に入った剣を収めると立ち上がる。
「どういうことだ?」
ニールの目の前で、年若い近衛兵が白い粉の入った小瓶をダンソンに渡していた。
「この薬が、使われた毒と一致するか王宮で確認を取る。警備兵団団長ニール・マティス。お前を王族殺害未遂の罪で王宮内留置とする」
ダンソンが宣言し、彼の部下二人が恐る恐るニールに近づく。
「わかった。行ってやるよ。王宮なんて久々だしな。その前に着替えさせてくれな。まだ俺は王族のままだろ?礼儀っていうものがある」
動揺していないわけがなかったが、ニールは不敵に笑った。
☆
食事を終え、ライベルが退室した後、パルが本を手に持ってきた。彼女の持ってくる本は子供向けの、挿絵もある歴史書などで、国のことを知るには大変ありがたかった。
勉強嫌いの静子が読書しているなど、タエが知ったら驚くだろうと思いながらも、もう戻ることもないかもしれないと諦めも入ってきていた。
「シズコ様。あなたは、陛下の叔父上のことはご存知ですか?」
パルの助けを借りて一冊の本を読んだ後、彼女はふいにそう質問した。猫のような琥珀色の瞳を見ながら、静子の脳裏に浮かんだのは外務大臣のエセルだった。
「うん。外務大臣のエセル……様でしょ?」
「違います。先王陛下の弟君のことです」
「先王陛下の、弟君?」
「その方はクリスナ様といい、ご子息はニール様です」
余計なことを話すことがなかったパル。
唐突にそう話し始めたことに静子は戸惑いを隠せなかった。
しかし彼女はそのまま言葉を続ける。
「あなたに毒を盛ったのはニール様だと、陛下は思われております」
毒、という単語に静子は一瞬体を強張らせる。
あのおかしな痺れ、気持ち悪さを思い出し、毒は完全に抜けたはずなのに悪寒を覚えた。
「申し訳ありません。大丈夫ですか?」
「うん。でも、それをどうして私に話すの?」
「私は、あなたには正しい立場でいてほしいのです」
「正しい立場?」
パルの言葉に静子は首を傾げるしかなかった。
彼女は愛妾という立場を与えられた異国の普通の娘だ。そして王宮にライベルの恩恵で住まわせてもらっている。ただそれだけの立場だと彼女は認識していた。
「陛下は、あなたの言葉であれば信じるはずなのです。私はこれ以上血が流れるのを見たくありません」
「パル。どういう意味?」
「陛下に刺客を送ったり、あなたに毒を持ったものは、ニール様でもクリスナ様でもなく、エセル・キシュン様です」
「エセル、様。それはありえない!だって、ライベルの伯父さんで、ライベルがもっとも信用している人だもの。ありえない。パル。あんたは間違ってる」
「間違っておりません。事実です」
「私は信じない」
ライベルのエセルへの信頼はとても厚く、王宮で唯一彼が心を許すのもエセルだけだった。静子も彼に会ったが嫌な印象はまったくなかった。
「パル。あんたはきっと騙されている!エセル様は、絶対にそんなことはしない」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。パル。こんなこと話すのはやめよう。私はあんたとは友達でいたい。だから」
「友達?」
「うん」
「友達……」
パルはそう呟くと黙ってしまった。
使用人という立場であったが、勉強を教えてもらったり世話を焼いてもらったりしていたので、静子にとってパルは友達のように思えていた。
それが一方的であるのは自覚しており、彼女が黙ってしまって少しだけ後悔する。でも今さら後に引けずに静子は再び口を開いた。
「パルにとっては迷惑だよね。こんな毛色の違う私にそんなこと言われても。でも、私はパルのことをそう思ってる」
「……それは忘れてください。私は使用人の一人にすぎませんから」
「忘れない。いいよ。パルが迷惑でも私が一方的にそう思うだけだから」
静子は勝手に宣言して、別の本を開く。
「これ読んで。面白そう」
「……わかりました」
少し困った顔をしたパルだが、彼女に請われて本に目を落とすと読み始めた。
それからパルが再びクリスナやニールの話をすることはなかった。