六 お茶
「……おかしい」
翌日、ライベルの部屋で共に朝食をとっていた。
苦手な味であったが慣れると飲めるようになった茶を口に含み、その味に違和感を覚える。
苦味は同じ。しかし妙な甘味がして、次にしびれるような感覚が口の中を走った。
「飲まないで!」
静子は目の前でお茶を飲もうとしたライベルを慌てて止める。
「シズコ?」
彼は訝しげに彼女を見る。
「お、茶。おかしい」
唇の感覚がすでになくなっていた。
腹の底から何かがこみ上げてくる。
「シズコ!」
静子は口を押さえたが、吐き気を止めることはできなかった。
ライベルと使用人が傍にくるのがわかり、それを最後に彼女は気を失った。
☆
「どうなんだ?」
静子はベッドに寝かされている。
顔色は悪く、薬師がその側に控えていた。
「これは堕胎用の毒です。命には別状はありません」
「堕胎……。何のために!」
ライベルは命には別状がないと聞き安堵するが、青ざめた顔で眠る静子を見て、怒りで体が焼けそうなくらい苛立っていた。
「シズコ様が懐妊していた場合、それを邪魔に思う者がいるということです」
そんな彼の側でエセルが冷静に意見を述べる。
「ニールか!」
それを聞き、彼は吐き捨てるように従兄弟の名前を出した。
拳を握り締め、今にでも部屋を飛び出し、殴りかかるくらいの勢いだった。
「陛下。落ち着いてください。証拠を押さえるつもりです。このようなことが二度と起きないようにいたします」
拳に手を乗せ、エセルはライベルを平静に戻そうとする。
証拠がないまま、王とはいえ第ニ継承権者を詰問することはできない。
ライベルは拳を下ろし、息を大きく吐いた。
「エセル。頼む」
音量を落とし、少し落ちついた声で彼がそう言ったので、エセルは胸を撫で下ろした。
「はい。お任せください」
そうしてエセルは頭を下げるとライベルに背を向け、部屋を後にした。
☆
「……ライベル」
目を覚ました静子の視界にまず入ったのは、ライベルの整った顔だった。彼は彼女の手を握り締め、椅子に座ったまま、ベッドに顔を伏せていた。金色の髪は無造作にベッドの上に広がっている。
寝息を聞こえたが、手は力強く握られたままだった。
繋がった手から彼の優しさが流れ込んでくる気がして、静子は胸に痛みを覚えた。
毒のための胸のむかつきとは関係がない痛みで、彼女は胸を押さえる。
「起きたのか?」
「ごめん。起こした?」
「いや、構わない」
身じろぎしたため、ライベルを起こしてしまったようだった。静子はそのことを詫びたが、彼は体を起こすと微笑む。
美しい笑みに静子はまた胸が痛くなり、自然と胸元に手を当てる。
「胸が痛いのか?」
「うん」
「薬師を呼ばせる」
「必要ない。気分はいいから。多分それとは関係ない」
「関係ない?」
「うん」
体の不調ではなく、胸の痛みは心からだと静子は知っていた。
それがなぜ痛むのかわからなかったが。
「診てもらったほうがいいだろう」
「ううん。必要ないから」
「シズコ」
首を横に振り続ける静子にライベルは諭すように彼女の名前を呼ぶ。
「ライベル。大丈夫。ほら、もう痛くない。吐き気もしないし。あのお茶はなんだったの?腐っていた?」
「毒だ。堕胎用の毒だったらしい」
「毒?堕胎って?」
「子どもを下ろすという意味だ」
「知ってる。え?私、子どもがいたの?」
「いたのか?」
男女の理がわからない静子。
すっかり処女だと思い込んでいたライベルは彼女の発言に驚く。
「わからない。だって、私とライベルはしばらく同じ部屋にいた。だからいてもおかしくない」
「はあ?」
「だって、結婚した男女は一緒に住んだら子供ができるんだよね?あ、でも結婚してないから大丈夫か」
「………」
静子のお子様発言にライベルは頭を抱える。
しかし子供の作り方などを説明する気にはならなかった。
「大丈夫だ。俺とお前の間には子供はいない。お前のお腹にも子はいなかった」
「そうだよね。よかった。いたらどうしようかと思った。しかも毒なんか飲んじゃったし」
安堵して笑う静子をライベルは心から愛しいと思ってしまう。
だが、その気持ちを隠すように表情を硬くした。
「エセルが今犯人を捜している。検討はついている。俺のせいだ。すまない」
「ライベル。謝らないで。あんたは一番偉い人なんだから謝ったらだめだよ。無事だったから気にしないで。子供いなかったんだし」
静子は体を起こすと、慌ててそう言う。
ライベルとは普通に会話しているが、彼がこの国の王様で自分に謝るような存在ではないことを彼女は理解していた。
「しかし」
「いいの。でももうしばらくあのお茶は飲みたくない」
「わかった。明日から別の飲み物を用意する」
「よかった。できれば緑色のお茶がいいけど。そんなものないよね?」
「緑色?なんだそれは」
「あ、やっぱりないんだ。だったらいい」
「ニホンの飲み物か?」
「うん。まろやかでちょっと苦味があるけど、美味しいんだ」
「そうか。俺も飲んでみたいな」
「うん。ニホンに戻ったらお茶を送るよ」
「楽しみだな」
二人はそんな風に会話を締めくくったが、考えていることは共に異なっていた。
静子は日本に戻ることなど実際想像しておらず、ライベルは彼女を帰したくないと思っていた。
☆
「パル。先手を取られたか」
「申し訳ありません」
「エセルはニールに罪をきせるつもりだ。毒を実際に盛った者はわかるか?」
「はい」
「その者を至急に捕らえ、私の元へ連れて来い。私がエセルに会い、陛下に説明する。これ以上、誤解を広げると取り返しがつかなくなるかもしれない」
「かしこまりました」
パルは使用人の服ではなく、体に張り付いた黒い服を着ていた。顔も黒い布で覆い、一見男女の区別もつかないくらいだ。
彼女は一礼すると部屋から消える。
「相変わらず煙のような消え方をするな」
部屋に残された金色の髪の中年の男は、顎髭に手を添え感心したように呟く。
男の名はクリスナ・マティス。
先王の弟で、第一継承権を持つライベルの叔父であった。