六十 最期の時
「ラフラ副頭領!」
黒装束の長身の男を先頭に、金髪のむさ苦しい男、栗色の髪の女性ら数名が走ってくるのが見えた。
カラスの一人が声をあげ、再会を喜び合う……そういうわけにもいかず、彼らが足を止めたことを機に後方からの追っ手が襲い掛かる。
「パル!ニール!」
静子は二人の無事な姿を確認して、胸を撫で下ろす。二人もそうらしく、笑顔を交し合った。
「皆の者。優先順位はわかっているな!」
ラフラが声をかけ、とたんカラスが動きを変える。ライベルと静子を守るように体制を変更した。
「ラフラ。何のつもりだ?」
「あなた方を守り、無事に連れ戻すまでが我々の任務です。ニール様は自力で大丈夫ですね」
「当たり前だ!」
ラフラの回答、二-ルへの言葉。
それを聞き、ライベルの静子の手を握る力が強まった気がした。彼女はそっと握り返す。
(悔しい。そうだろうな。でもライベルは絶対にアヤーテに戻らないといけない。私のためにこんな危険なところまで来てもらったんだから)
「ライベル。私にも何か剣を貸して。小さいのでいいから」
「シズコ……」
「二人で戦おう。そして帰ろう」
「ああ」
ライベルは腰から短剣を一本抜くと彼女に渡す。それを受け取り、静子は前を向いた。
☆
「ハイバン!」
ライベル達の影が完全に消えると急にハイバンは攻撃をやめ、踵を返す。
「逃げるのか?」
「これ以上戦っても無意味だ。アマン。私はエセル様のそばに戻る。お前も仲間のところに戻ればいい」
珍しく饒舌にそう語り、彼は走り去る。
「助けられたのか?あいつに?そんなわけがないか」
ハイバンはたった五年しかカラスに在職していない。しかも五歳から十歳の子供期のみだ。しかし、その期間で、彼は立派な暗殺術を身につけた。アヤーテの軍に入隊してからは近衛兵に所属し、十九歳で外務大臣の警備を任されたくらいだ。
カラスにも彼の功績は伝えられており、その「死」に関しても一部の者は事実を把握していた。
「本当、昔からあいつは可愛げがなかった」
アマンはそうぼやくと、ライベル達の元へ走った。
☆
喧騒がすぐ近くまで聞こえていた。
「逃げないの?」
シェトラは王座に悠然と座り、エセルを見上げる。
「逃げても行く場所もないので。疲れましたし」
「疲れた……か。本当だね。僕も疲れたよ」
彼は両手を高く伸ばし、体操をするように首を左右に動かす。
そしてちらりと、エセルの傷口に目をやる。
「手当てしようか?僕はしたことないけどね」
「必要ないですよ。大した傷ではありません」
額いっぱいに脂汗をかき、すでに血は床の絨毯に赤い染みを作り始めている。立っているのが不思議なくらいの血の量だった。
「誰が先にくるかな?デビン?それとも」
「残念ながらアヤーテ王は来ないでしょう。シズコ様という餌を渡してしまいましたから」
「間抜けだね。君は」
「申し訳ありません」
「いいけど別に、今となっては」
あれほど静子を妻にすると豪語していたのにも関わらず、シェトラはまったく関心なさそうに呟く。
「陛下。お茶でも飲みますか?」
「いいね。あ、でも僕を陛下って呼ぶのはやめてよ。殿下でいいから。君にとって陛下はどうせ、やつのことだしね。あーあ。王になんかならなきゃよかったなー」
「そう、ですね。本、当」
ぼやくシェトラにエセルは言葉を詰まりながら答える。彼の眉間には皺がより、彼は自分の体を支えるように、王座の背もたれに手をついた。
「まあ、仕方ないか。僕ってそうやって生きてきたし。やりたいことは全部やってきた。後悔はないよ。エセルは、本当は帰りたいんだろう?」
「帰りたいですか?別に。こうして自分に嘘をつかなくていい場所にいるのはとても心地いいのですよ」
「そう。僕の前では嘘をつかなくていいのか」
「そう、ですよ」
「ふふ。そうか」
シェトラは心底嬉しそうに笑う。
「よかった。僕は最後に君と一緒でいることが嬉しいよ」
「そうですか?」
「うん。君は違うだろ」
「そう、ですね」
「そこは嘘をついてほしかったけど。まあ、いいよ。事実君はここにいるんだし。僕が眠るまでそこにいてくれる?」
「いいですよ」
「じゃあ。お茶をいただこうかな」
「ハイバン」
エセルが声をかけると、ハイバンが現れ、お茶の入ったポットと二つのカップが置かれた長方形の盆を差し出す。
「本当、ハイバン。ってすごいな。そういえば、コスタはどうしたんだろう」
「……おそらく先に行っているかと」
ハイバンがそう答え、シェトラが赤い瞳を細める。
「ハイバン。後は頼みます。計画通りに」
「計画通り。結局君は僕より上手だったわけか。でも、君はいいの?」
すでにお茶を入れる力も残っていないエセルに、シェトラは覗き込むように訊ねた。
「ええ。仕方ありませんから」
「……つまんないな。仕方ないって」
「そうですね。我々は結局負けてしまった」
「ふん。わざとだろ」
「………」
シェトラの言葉にエセルは答えず、ハイバンから渡されたカップを震える手でシェトラに渡す。
「いいよ。まあ。君は最後には戻ってきたんだし。後悔はしていない」
「時間のようです」
すでに兵士は扉の外まで迫っていた。
扉を叩き壊そうと、外から力強い音が響き、床を揺らす。
「じゃあ。エセル。ありがとう」
シェトラはエセルが息を飲むほど、穏やかに微笑むとお茶を口に含む。程なく薬は効き、彼はすぐに血を吐くと、王座から転げ落ちる。そうして、動かなくなった。
「結局、あの方にとって、死が一番の幸せだったのか……」
最期の笑顔を思い出し、エセルは床で倒れているシェトラを眺める。
「私にとっても、結局……そういうことか」
彼は王座の背もたれから手を離すと、最期の力を振り絞って真っ直ぐ立つ。そうして懐から金色のブローチを取り出す。
「陛下に、これを渡せ。それはエリーゼのものだ。それを胸にエリーゼのことを忘れるなと伝えろ。私は結局憎しみを超えることができなかった。許しは請わない。死ぬまで私を憎んでいて構わない、とも」
「畏まりました」
ハイバンは盆を持たない片方の手でブローチを受け取り、懐に入れる。
「最期まで。お前は本当に損な性格だな。全てが終わったら、お前は自由に、思うように生きてくれ」
エセルはハイバンからカップを受け取ると一気に飲み干す。
「くはっつ」
彼は苦しそうに喉をかきむしり吐血した後、シェトラに折り重なるように倒れた。
「自由か……」
ハイバンは主君の遺体をしばらく眺めていたが、扉が破られる音でわれに返る。そして、最後の仕上げに取り掛かる。
用意していた油を撒き散らし、火を放つ。
「なんだ?!燃えてる!」
「おい、火を消せ!」
「燃えているのはシェトラか?」
「誰がやったんだ!」
壊した扉から入ってきた兵士達は燃え盛る王座と火に包まれる死体を目に入れ、騒ぎ立てた。それを横目に、ハイバンは姿を消す。影のような彼に気がつくものは誰もいなかった。