五十八 突撃
「貴様!」
「悪い、ね!」
諍う声がして、鈍い音。それから荒い息と共にコスタが現れた。
顔色は白いという表現が正しい。
血で汚れた手で、鉄の柵を必死に掴んでいた。
「……何があった?」
「はは。ヘマをした、んだ」
パルの質問に答えるコスタは、唇の端を少しあげて笑う。体にはいくつもの傷、折れた矢が何本も刺さっているのが見えた。
「俺さ、最後に言っておこうと思って、」
「最期……」
パルは眉を寄せて、コスタを見つめる。
「そ、そんな遠いところにいなくて、近寄ってきて、」
普段なら断るパルだが、彼女は素直に鉄の柵に近づく。すると、肩を掴まれ、引き寄せられた。柵が顔に当たり、不快感いっぱいで離れようともがく。しかし血がべっとりと体につき、彼がもう長くないと知ると、パルはそのまま柵ごしに彼に抱かれた。
「へへ。やった。やっと俺に抱かれた。柵が、じゃ、ま、だけど。ほ、んと。酷いよな。あんた、さ」
そこで言葉が途切れ、彼女は彼の顔を見ようとその腕を掴み、体を動かす。だらりと腕が垂れ、彼の頭が力なく垂れる。一気に重みがかかり、手を離しそうになった。けれども渾身の力を込めてその腕を掴んだまま、重さに耐える。そうしてゆっくりと床に横たえた。その時に金属音がして、鍵を見つけた。
「……コスタ」
彼が「カラス」に入ってきたとき、パルは十四歳。彼女は五歳の時から「カラス」に所属していたため、当時十五歳のコスタは年上であるが、後輩であった。だが、彼はそういうことをまったく気にせず、親しげに話しかけてきて、パルはいつも足蹴にしてきた。
いい印象はまったくなかった。今回捕まってますます印象が悪くなり、彼への態度も彼の言うように「酷い」ものだった。それは彼が「敵」であるから仕方ないことであるが。
手を伸ばし、血に染まった鍵を握り締める。
「悪かった。でもどちらにしても私は答えられなかった」
鍵を開け、牢から抜け出し、腰を落とす。コスタの開いたままの目と閉じて、彼の赤毛をそっと撫でた。
☆
戦いはまず城内から始まる。
裏切り者は殺すという言葉を恐れもせず、一部の近衛兵が跳ね橋を下ろそうと試みた。それを防ごうとする兵士は仲間の言葉で動けなくなる。
「お前は、あの蛇男が王でいいのか?あいつは国民を自分の玩具としか思っていない」
「俺は、戦う。あの王の下で国が守れるわけがない!」
戦おうとしているのは、仲間だ。同じ志を持ち、エイゼンを守るために兵士になった者たちばかりだ。
恐れをなして行動を起こせなかった近衛兵達は、自らを恥じて、反旗を翻した仲間に対して、抵抗をやめる。
「何をしているのだ!」
シェトラの私兵が駆けつけ、怒鳴りつけるが時はすでに遅かった。
一人の兵士が跳ね橋を上げていた鎖の留め金を外す。勢いよく鎖が解き放たれ、鈍い音をたてて跳ね橋が下りた。
「進め!」
デビンの号令で、馬に乗った兵士達が怒声を上げながら駆け出す。
シェトラの統治力のなさは街に反映されており、明らかに他国とわかる兵士達に一度は剣を向けた街の警備団であったが、王族であるデビンの声で、戦いは回避された。無傷で城まで辿りついた一行は、跳ね橋が下りるのを待ち、一気に城内へ流れ込んだ。
「我々も潜入する!」
カラスの指揮を執るのはライベルだ。
この時に事を起こすことはデビンに優位に働く。けれども確実で迅速に静子達を救出するには、この時を選ぶしかなかった。
それがエイゼンの崩壊につながってとしても。
黒装束の集団はデビンと三国連合の兵の間を縫うように、場内に進入した。
「繰り返すが我々の目的は王ではない!戦闘をできるだけ回避して、目的を達成する!」
ライベル達はシェトラとデビンにとっては「敵」だ。双方を相手にして勝つことは至難の技だ。しかし、彼らの目的は勝つことではない。
ただ三人を救い出し、城から脱出する。
シェトラとデビンが争う今、城から出れば追っ手はないはずだった。
「カラス」乱入で、城内はますます混乱する。近衛兵側、デビン側は「カラス」の存在をこの時まで認識しておらず、戸惑いの中、剣を振るう。そんな中、シェトラの私兵だけはすぐに切り替え、「カラス」も「敵」だと定める。
「俺は王妃の間に行く!」
「はい。我らも共に!」
「カラス」は二つの班に別れ、それぞれライベルとラフラが主導して動く。ライベル班は静子を、ラフラ班はパルとニールの救出をするため地下牢に向かう手はずになっていた。
ライベルと行動を共にする男――アマンは、「カラス」の中では五本指に入る実力者だ。ライベルの盾になるようにラフラから言い付かり、率先して彼の前を進む。
ライベルは城内の見取り図をすでに頭の中に叩き込んでおり、迷うことはない。だが、アマンの使命に従い、その後ろを進んだ。
☆
「シズコ様こちらへ」
城内が急に慌しくなった。
エセルが彼らしくもなく、扉を叩くこともなく唐突に入ってきた。
「私は行かない!」
怒声や悲鳴が王妃の間にまで聞こえてきていた。それは、「敵」が攻めてきたということ。彼女がエセルに従わなかったからといって、彼等がニールやパルに何かできるとは思えず、静子ははっきりと拒否する。
「あなたには選択肢はありません」
エセルは足早に彼女に近づくが、静子は持っていた短剣を彼に向ける。
「私はもう、あんた達の言うことは聞かない。戦いたければ勝手に。私はニールとパルを連れて逃げる!」
「威勢がよくなりましたね。でも、あなたに何ができます?」
短剣を恐れることなく、エセルはそのまま彼女との距離を詰めた。
「近づかないで!」
「刺せますか?私の背中を少し切っただけで泣いていてあなたが?」
「近づかないで!」
さらに近づいたエセルに静子は短剣を振りかざす。
しかし、彼はいとも簡単に彼女の手首を捻り、短剣は床に落ちた。
「さあ、行きますよ!」
「シズコ様!」
手首を掴んだまま、部屋を出ようとしたエセルの足が止まる。静子の後ろで震えていてはずのメリッサが床に落ちた短剣を拾い、彼を背後から刺していた。
「わ、私!」
「油断したな。私ということが!」
エセルは、剣先が血塗れた短剣を持ち立ちすくんでいるメリッサを足で薙ぎ払う。すると彼女は壁際まで飛ばされ、そのまま床の上で動かなくなった。
「メリッサ!」
駆け寄ろうとした静子は、エセルの力によって引き戻される。
「放して!」
「駄目です」
エセルの額に少し汗が滲み出ていた。彼の背後に目をやると刺された部分から血が流れ出ていて、服を真っ赤に染めていた。
「血が!」
「それが何か?心配?おかしな人だ。行きますよ」
脂汗を流しながらも冷笑をたたえ、彼は彼女を引きずるようにして王妃の間を後にした。