五十一 ニールの意地
「シェトラ・エイゼン陛下。ご即位されたことを心よりお祝い申し上げます」
ニールは王室に入るなり、深々と頭を下げた。
「何があったに違いない」王室ーー血の匂いはまだ残ったまま、その汚れも完全に取れていない。しかし、彼は顔色を変えることなく、王の前に進み出て口上を述べた。
静子は久々に見る義理の兄の姿を視界に捉えた後、すぐに俯く。
――僕の許可なしに発言したら、あの使用人。どうなっちゃうかな?
ニールが王室に入ってくる前にシェトラに囁かれた言葉を噛み締め、静子はニールから顔を背けて続けた。罪悪感、羞恥心から彼を直視できなかった。
(無力だ。何もできない。結局、私もライベルを裏切ったと思われる。……裏切りには変わらない。でも本心ではないことを理解してほしい……)
泣きそうになる自分がいたが、シェトラに涙など見られたくなかった。自分を叱咤し、静子は時が過ぎるを待った。
「顔を上げて。君はニール・マティスだっけ?」
そんな彼女に対して シェトラに言われ顔を上げたニールが刺すような視線を向ける。
「アヤーテ王国、近衛兵団団長のニール・マティスでごさいます」
しかしながら彼は無礼にならないように質問には答え、軽く会釈する。
「君は従兄弟くんだよね。ライベルの。髪色以外は似てないね。まあ、いいか。そんなこと。そうだ。君はシズコの義兄にも当たるんだろ。結婚式には呼んであげるからね」
「シェトラ陛下。そのことに関して、義妹と二人で話をする機会を与えていただけないでしょうか」
「嫌だね」
「は?」
子どもっぽく答えられ、ニールは王族という仮面を思わず外してしまった。
「ははは。面白い。君、本当はもっと違う感じの人でしょ。無理しなくてもいいのに。シズコは僕のものになったんだから、だめ。話したければ僕の前で話して」
「……」
赤い瞳を細め、シェトラは笑い声を立てる。
それは不快そのものの声だったが、静子は黙ったまま、その横に立つことしかできなかった。
「それでは、お言葉通り。今、話させていただきます」
少しの沈黙の後、ニールは口を開く。
「シズコ様。俺はお前を裏切り者だとは思っていない。人質を取られているんだろう。その様子ではパルか」
(ニール!)
自分のことを信じてくれたことに感激して、静子はやっとニールに顔を向けた。
彼が優しく微笑んでいて、彼女は堪えきれなくなって涙を零す。
「……失礼だね。君。この国は誰のものか知ってる?」
「知ってるさ。お前の国だ。先王を、父親を殺して得た国か?」
「ニール!」
話すなと言われているが、ニールの言葉はシェトラの自尊心を傷つける。このままでは彼が危ないと静子は彼の名を呼んだ。
「俺は腹をくくった。シズコ様があんたの妻になるなど、そんな馬鹿げた知らせを持って帰れるわけがない。それくらいなら、ここで死んだほうがましだ」
「ニール!」
「ふーん。そう。だったら本当に死んでもらおうか」
「シェトラ!」
静子はシェトラの側から離れ、ニールの元へ走る。
「ニールは殺させない。絶対に」
「君のような非力な女に何ができる。異世界の娘なんて、でっちあげだろ」
「知ってたの?だったら、もう私に用はないよね。王になったんだから、自由にしてよ!」
「嫌だね。君は僕の妻になるんだ。僕がそう決めたから。エセル!」
シャトラが声を張り上げると、奥の扉が開き、エセルと数名の兵士が現れる。
「シズコ。逃げるぞ」
「だめ。パルがいるから」
「パルか。諦めろ」
「嫌。彼女は私の友達だから」
「それなら、お前は黙ってあいつの妻になるのか?」
ニールは怒りをあらわに静子に問いかけた。
彼女はそれに答えられず、黙りこくる。
「もういい。俺がお前を連れて逃げる」
「ニール!」
ニールは静子の手を掴み、走り出す。
近衛兵達が駆け出し行く手を阻むが、伊達に団長を名乗っていないニールは次々に突破していった。
「コスタ。あれをとめて」
「ハイバン。頼む」
近衛兵では埒が明かないと判断してしてシェトラとエセルが命じる。すると二つの影が動き、ニールの前に立ちふさがる。
「ハイバン!やっぱりお前だったんだな。エセルの飼い犬に成り下がるなんて!」
「戦いがいはありそうな相手だな」
ニールが感情を表に出すのに反して、ハイバンは無言を貫く。反対にコスタは久々に手ごたえのある相手だと軽口を叩いた。
「シズコ様。俺が二人を止めている間に逃げろ。わかったな」
「嫌だ。私は逃げない。絶対に」
「まったく!頑固な奴だな!」
がんと譲らない静子を説得するのを諦め、ニールは目の前の敵と対峙する。
「カラスの二人か。嫌な相手だ」
「へえ。あんたにはわかるんだ。そうか、ハイバンの知り合いね。ハイバン。俺がやる。そこで見物していて」
コスタはハイバンを制して、前に出る。
ニールは近衛兵から奪った剣を構え、攻撃に備えた。
☆
「……本当だな?」
「はい。しかし成功した暁にはドゴンをお譲りください」
「わが国にはデンデルを」
「わが国はジャリエントを」
「わかった。約束する。その代わり、力を貸してくれるな。あんな異形の者など、エイゼンの王座に相応しくないのだから」
カンデラ城が位置する中心都市の離れに、その者の屋敷はあった。
デビン・エイゼン。
王族の名をもったまま、隠居している壮年の男。
それはシェトラの叔父であり、ウォルターの弟。
ウォルターを追い落とし、王座に座ったその息子シェトラ。その情報は貴族社会をいち早く駆け巡った。
デビンもそうであり、いつかはそうなるのではないかと危惧していたため、驚きはしなかった。しかし驚きは別の形でもたらされた。
国境を接する三国からそれぞれ使者が訪れたのだ。
使者達は一つの提案をもってきており、デビンはそれにすぐ飛びついた。
三国それぞれと隣り合わせる領地を譲るかわり、王位奪還に力を貸す。
引退したといっても、まだ五十になったばかり。
王冠を目の前にぶら下げられ、無視するほど老いてはいなかった。
エイゼンには四十の領地があり、そのうち三つがなくなったところで、デビンには重要には思えなかった。
「この書面にご署名を。その後、我が国から精鋭を貸し出しましょう」
他国から力を借りる。
その本当の意味をデビンは真に理解していなかった。
三国の狙いは領地の一部だけではなかった。デビンに一旦力を貸し、その後にエイゼン自体を分割して支配する、それが三国共通の狙いであった