四十七 それぞれの思い
ニールが国境の砦に到着した翌朝、王宮から使者が早馬でやってきた。
馬を乗り換え、夜通し走り続けた使者は疲労困憊であったが、休むことなくニールと国境警備団長のナイデラに面会を求めた。
「俺が行こう」
「は?」
ナイデラと使者はニールの申し出に同時に声を上げた。
使者は自らの身分を思い出し非礼を詫びたが、ナイデラは呆れた顔のまま口を動かす。
「君は近衛兵団長で、第二継承権を持つ者だ。自分の立場を考えろ」
「だからこそ使者にはぴったりだろ。向こうも第二継承権を持つ俺を殺すほど度胸もなかろう。まあ、俺も簡単に殺されるような真似はしないけど。エイゼン王はアヤーテを侵略する気はない。三国と和平や協定を結んでいないのに、攻め込むような馬鹿な王ではないだろうしな」
「かと言って、君が行って何になる」
「俺はシズコ様の無事をこの目で確認したい」
「……そういうことか。馬鹿な男だな」
「なんだ。どういう意味だ」
「未来の王妃に惚れてもしょうがなかろうが。それこそ、内乱を起こす種になる。まあ、よくある王族の話だがな」
「よくある王族の話か。が、俺は陛下を裏切らないし、別にシズコ様をどうこうなりたいという気持ちはない。陛下とシズコ様の二人が好きなんだ」
こちらが照れるような言葉をニールが素面で言ってのけ、ナイデラは脱力するしかなかった。使者にいたっては聞いていない振りをしている。
「だが、俺は反対だ。近衛兵団長のお前が不在になると、砦にいる近衛兵とほかの警備兵の対立を止めるものがいなくなる。そうなれば、砦は騒がしくなる。俺はごめんだ」
「ナイデラ。頼む。使者殿も体力の限界で、エイゼンに直ぐ発つことなどできないだろう。俺ならすぐに出発できる。だから頼む」
「……わかった」
ニールの青い瞳は先王と同じ。つまり王家の瞳だ。その瞳に真摯に見つめられて断れるわけがなかった。深い溜息をついた後、ニールに向き直る。
「了解した。ただしお前が戻ってきたら、俺はしばらく休みをとるぞ。あと行く前に近衛兵達に話をつけていけ。わかったな?」
「ありがとう。恩に切る」
「現物支給で恩を返せな」
「わかった」
そうして、使者としてニールがエイゼンに入ることになり、本当の使者である男は4日ぶりの安眠を得ることになった。処分が下さられるかもしれない、そういう不満もないわけではなかったが、不眠不休で馬を駆り続け彼の疲労は限界に達しており、ニールとナイデラが打ち合わせを始めた時にはすでに机の上で深い眠りについていた。
近衛兵と警備兵に勧告という名の脅しを言い渡し、ニールはそれなりに格好を整え、アヤーテの砦を出発した。ライベルが託した密書はニールでも開けることができない。だが、国防大臣のシーズが傍にいるため、おかしなことは書かれていないだろうと予想し中身については心配していない。
父親に関しても意識が戻っていると使者から聞いていたので、今考えることはエイゼン王との会談だけだ。
シェトラの独断と予想しているが、そうではなくエイゼン王の意思であった場合、この会談は失敗に終わる。アヤーテの第二継承権を持つニールの命を奪うことはありえないが、静子の返還は難しくなる。
返還条件として、領地か何かの代償を求められる可能性もあった。
普段は頭を使わないニールであったが、馬上で彼なりに色々な可能性を考え込む。
そうこう考えているうちにアヤーテ領地を抜け、エイゼンの砦に辿り着く。厳めしい顔つきの門番の二人が槍を構え、詰問する。
「どちら様ですかな」
「私は、ニール・マティスだ。アヤーテの第二王位継承者である。エイゼン王に謁見を求めたく、エイゼンへ入国を問う」
「第二王位継承権?ニール・マティス様?!」
近衛兵団団長という肩書きもあるが、ここでは必要ないと継承権の部分だけを主張した。従者も連れず一人で、昨日まで殺し合いをしていた敵国を訪れるなど門番でなくとも、驚くしかなかった。しかも第二継承権を持つ王族がだ。
「しばし、お待ちください。確認してまいります」
馬を下りようとしないニールを咎めることもなく、門番の一人が慌しく門の内側に走る。残された一人は、顔つきが厳しいがニールよりも年若く見えた。
「ご苦労なこったな」
砕けた口調で突然言われ、門番は戸惑いを隠せない。しかしながら、槍を持つ手を緩めることはなかった。
そんな門番の背後で、扉が音を立てて開き始めた。片方ではなく、両扉が大きく開かれる。
「ニール・マティス様。よくお越しくださいました」
綺麗に剃られた頭で眼光鋭くニールを出迎えたのは、国境警備隊長のジム・ライト。その後ろに控える男はアヤーテ外務大臣であったエセル・キシュン。彼はジムの背後で、言葉を発することはなかったが、口元に笑みを湛えており、裏切りなどなかったように穏やかな表情をしていた。
☆
満月が王宮の池の上に映っていた。
ライベルは長椅子に腰掛け、夜空を仰いだ。
初冬を向かえ、風は切る様に冷たい。厚手の外衣に包まりながら、静子に思いを馳せる。
四ヶ月前、彼女が池に現れた時、ライベルは同じように夜空に浮かぶ満月を見ていた。
あの時唯一の心のよりどころであったエセルも不在で、彼はぽっかりと空に浮かぶ満月に孤独を見出していた。
「あの時と同じか。いや違う。違う!俺には……まだ静子がいる」
エセルはライベルの元から去った。けれども、ライベルにはまだ静子がいる。
今は隣国にいるはずの静子が。
「俺は絶対に取り戻す。取り戻さなければ!」
エセルの裏切りから立ち直れたのは静子のおかげだった。もし静子を失えば、ライベルは自分がどうなるかわからなかった。
王として生きると決めたはずなのに、たった一人の娘のためにライベルはすべてを投げうつかもしれない。そんな際どい精神状態で、彼は夜空に浮かぶ満月を眺め続けた。
☆
静子の部屋は二階のシェトラの部屋の隣だ。だが、彼は食事以外では彼女に会おうとしない。それが静子にとっては救いになっていた。パルとは会えなくなってしまったが、彼女は静子の切り札で、殺されることはないのは確かだった。また自害もできないように見張りがつけられているはずで、彼女が知らぬ間に死亡している。そんな可能性はなくなった。
「ライベル……。ごめん」
パルの命を救うため、静子はシェトラの妻になることを承諾した。それはライベルにとっては裏切りだ。
「事実」を知った時の彼の表情を思い、彼女は目を閉じる。
(でも、選択肢がないんだ。ライベル……)
夫婦になることがどういうことなのか、静子には正確に理解できていなかった。しかし、食事を共にするだけでないことだけは、わかる。そのうち、共にひとつのベッドで寝たりしなければならないのか、それを考えると悪寒がした。
彼に触れられると思うだけで、吐き気がする。
「嫌だ……。でも、」
震える手を窓枠に置き、彼女は夜空を見上げる。
今宵は満月で、煌々と光が部屋にまで注がれていた。
「ライベル……」
彼女はライベルに最後に抱きしめられた温もりを思い出すように両手で腕を抱えこんだ。




