四十五 王として
「エイゼンに行くぞ」
「馬鹿なことはおやめください!」
静子がシェトラに浚われたことを早馬でライベルに知らせてから二日後、彼は恐るべき早さで戻ってきた。ろくに睡眠も取らず駆けてきたので顔色は悪く、追随するものも同様の顔色だった。ニールが同行していれば、無理やりにでも寝かせたはずなのだが、知らせを受けた時点で、ライベルはニールに八百名の兵士を連れ、国境に向かうように指示をしていた。国境側ではまだ戦闘が続いており、増援は必要と判断したことだった。それに比べて、王宮はシェトラの私兵が完全撤退したと連絡があったので、少ない兵で構わなかったのだが、ニールに懇願され二百の兵士を連れ、ライベルは王宮へ急いだ。
王宮はクリスナが重傷を負ったこともあり、混乱の色が濃かったが、シーズが指揮を執りどうにか機能していた。クリスナは目を離せば無茶をしようとするので、絶対安静と薬師の監視の下、ベッドで養生させられている。
疲れきったライベルを迎えたシーズは、まずは休むことを促したが、静子を拉致され冷静さを欠いている彼が聞くわけがなく、今後の対策を練るためにシーズと対立していた。
全ての報告を受け、ライベルはエイゼンに行くことを願った。当然ながらシーズは反対をし、睨み合いは続く。
「ここは使者を立て、エイゼン王に打診すべきだと考えます」
「それでは遅い。何かあったからでは遅いのだ!」」
「今回のエイゼンの王太子の行動は、不可解な点が多い。シズコ様を拉致した目的も不明です。しかしながら殺害する目的ではないはずです。そうであれば既にあの場で殺されていたはずですから」
シーズの言葉にライベルの視線が険しくなる。けれどもそれを受け流し、彼は言葉を続けた。
「向こうから要求があるまで待つのも手ですが、こちらから王に使者を立てるのが妥当でしょう」
「くそっつ。船で追えないのか?まだ三日であろう。奴らはまだ海上のはずだ」
「残念ながら我が国が保持する船は小型で、小隊が乗り込むほどの大きさではありません。また速さの点で追いつけるとは思えません」
淡々とした返事に、ライベルは怒りをぶつけたい気持ちに駆られるが耐える。脳裏では他に方法がないかと考えをあぐねた。
「陛下。パルを密偵としてつけました。うまくいけば帆船に潜り込めたかもしれません」
「パル、か」
単なる使用人と思っていたパルが「カラス」の一員で、クリスナの配下だと聞いたのは、まだ新しい。クリスナと和解した際に教えられ、さすがにいい気分はしなかった。だが、静子のパルへの信頼、またパルの静子への態度を見て二人がいい友人であることを知り、溜飲を下げた。
「陛下。お願い申し上げます。ここは堪えてください。アヤーテ王国のために。王太子の目的がシズコ様の拉致であれば、国境の争いも陽動の可能性があります。そうなるとすぐに戦いも終結するでしょう。それを大きくして国家間の戦争にしてしまえば、犠牲が増えるばかりです」
「……わかっている。わかっているが、シズコが、」
「シズコ様はお強い方です。どうにか切り抜けるはずです」
「シズコ……!」
シズコの心根は強い。感心するほどだ。彼女はか弱い娘でもない。しかも最近は護身術もならっているのを知っている。だが、付け焼刃にすぎぬ上、女性の力だ。
強引に何かされれば、抵抗することはできないだろう。
けれども、ライベルが今、王としてできることは使者を送ることだけだった。
「わかった。使者を送ろう。準備をしろ」
ライベルが苦渋の決断を下すと、シーズが深く頭を下げた。
☆
「ほら、美味しいだろ?」
静子の目の前に座るシェトラは朗らかに笑う。
しかし彼女は答えることはなく、ただ黙々と食べ物を口に入れる。
本当はクリスナに死傷を負わせた男など仲良く食事などしたくなかった。だが、彼女はそうせざる得ない状況に追い込まれていた。
拉致され帆船に連れてこられてから、すぐにパルが助けに来た。共に逃げようとしたが、シェトラの私兵は精鋭ぞろい。二人はすぐに捕まり、王太子の前に晒された。
シェトラはパルを痛めつけ、静子に条件を出した。
――生かしてほしい?そうだったら、僕の言うことを聞いてくれる?
パルは「私のことは捨ておいてください」と懇願した。だが、彼女がその願いを聞くわけがなく、その条件を飲んだ。
帆船に連れてこられてから三日、静子はこうして真向かいに座り、食事を共にすることを強制させられている。
「つまんないな。何か感想はない?」
シェトラは今日も彼女に話しかける。静子は完全に無視をしてパンを口に入れた。彼女の精一杯の抵抗は、話さない、顔を見ないという「無視」をすることだった。初めは断食も考えたが、逃げる機会がいつ回って来るかわからない。そう思って、体力をつけるため、食べるようにしていた。
「しょうがない。パル。パルだっけ。あの子の指でも切って調理してみる?そしたら何か話したくなるかな?」
「や、やめて!話すから。何を話せばいいの?」
シェトラは人を傷つけることに抵抗がない。笑いながらクリスナとパルを傷つけているのを見ている静子は慌てて口を開いた。
「やっと口を利いた。三日ぶりかな。もっと素直になってよね。僕も人間なんて食べたくないからさ」
シェトラは赤い瞳を細め、薄い唇を左右に上げる。
「ね。君、君の住んでた国について聞かせてよ。退屈なんだよね。いいでしょ?あ、話したくなかったら、わかってるよね?」
「わかってる。話す。何から話したらいい?この国とは違いすぎて何から話していいかわらかない」
国のことといわれても、静子は川安村の田舎出身だ。しかも、アヤーテとは大きく異なった国だった。国の成り立ちから話したらいいのか、田舎の話をすればいいのか、彼女にはわからなかった。
「そうか。そうだね。だったら、僕が質問するから答えてよ」
「わかった」
自分のこと、日本や川安村についてシェトラに話したところで、ライベルの不利になるとは考えられなかった。脅されていることもあり、下手に話を作って怒りを買うよりも、正直に自分のことは話さそうと、静子は頷いた。
「まずは君の名前。シズコっていうの?それだけ?」
「その通り。谷山静子という名前」
礼儀なんてこの男に必要ないと静子はぶっきらぼうに答える。
「ふうん、タニヤマシズコね。長いから僕もシズコって呼ぶね。次は、君の国の名前。なんていうの?」
「日本。大日本帝国」
「ニホン。ダイニッポンテイコク。また長いね。これはニホンだけで十分だよね。じゃあ、次に、どうやってきたの?」
赤い瞳が探るように彼女を覗き込む。
「異世界の娘」なんてでっち上げだった。日本から来た普通の娘であり、本当であればライベルの妻――王妃なんてなれるわけがなかった。エセルが言い始めたことなので、既に情報が漏れている可能性もある。しかしながら、自らそれを言い出す必要もない。かと言って嘘もつけないので、ありのままの情報をそのまま伝えることにした。
「……王宮の池に浮いていたって、ライベルが言ってた」
「池に浮いていた?それ、すごい。可笑しいね」
何が可笑しいのかシェトラは笑い出した。
「僕の母上、池で死んじゃったんだよね。ああ、こっちは自殺だけど。池に浮いていたって言ってなあ」
笑いながらそう語るシェトラに静子は言葉を失う。
自らの母親の死について笑って話す人間を彼女は知らなかった。
何が可笑しいのか理解ができなかったが、一つ気が付いたことがあった。
彼の目が笑っていないことに。
笑い声が軽快で、よく見なければわからない。しかし、彼は笑っている振りをしているだけで、本当に笑っていなかった。
「……なんでそんな振りをするの?別に悲しければ悲しめばいいのに。意味がわからない」
静子が思わずそう口にしてしまい、シェトラが動きを止める。
「可笑しいからだよ。悲しい。そんなわけがないだろう」
彼にしては珍しく怒気を含んだ声に、少しだけ彼女は怯えた。だが、負けるわけにはいかないと、怯えを隠して睨みつけた。
「つまなくなっちゃった。昼食はこれで終わり。シズコを部屋に戻して」
「はい」
部屋の隅で控えていた男――コスタは返事をすると、静子の手に縄をかける。シェトラは彼女が部屋を出るまで背中を向けたままだった。




