三十二 明らかになる真実
本日の執務の予定はなかった。お茶会を終え、ゆっくりと静子を過ごすつもりだったのだが、エセルに話があると言われ、執務室へ移動することになった。
終始機嫌よさげな彼に対してなぜか不安な気持ちを抱きながら、国境付近の話などをエセルと話し合った。
そんな時、部屋に近衛兵の一人が飛び込んできた。
それはクリスナ達の馬車が何者かに襲われ、行方不明だという知らせであり、すぐにライベルは近衛兵団長を呼び出すように命じた。
落ち着かなく部屋の中を歩き回るライベルに対し、エセルはただ佇んでいた。
その様子に彼は妙な予感を覚えた。何度も否定をしたが、微笑みすら浮かべているような彼の表情にそれは肯定の色を帯びていく。
「陛下。おわかりですか?」
沈黙を破り、エセルが口を開いた。
声色は楽しげで、ライベルは凍りついたように動けなかった。
「私が、私がクリスナ様たちを襲うように指示を出したのですよ。あなたのためです。捕らえておりますが、いかがしますか」
エセルはライベルに近づくとそう囁く。目を見張る彼にエセルは目尻を下げる。
「私の妹であり、あなたの母――エリーゼはレジーナ様の代わりに無理やり嫁がされ、一度たりとも先王に愛されたことはなかったのですよ。それはあなたが一番ご存知のはずです。先王は一度でも、あなたを抱きしめたことがありましたか?愛情、目に見える愛情をあなたに与えたことはありましたか?エリーゼも同じだったのです。最後に私が見たエリーゼはあなたがお腹にいるには拘らず、すっかり痩せて、見る影もありませんでした」
エセルの言葉は刃物のようだった。ライベルの心を抉り、切り裂く。
ライベルはその事実を知っていた。しかし知らない振りをしてこれまで生きてきた。
「あなたが慕うクリスナ様は、何をしてくれましたか?ただ、先王から愛する者を奪い、逃げた。だから、エリーゼが王妃に望まれ、あなたが生まれた。クリスナ様が国を想う?そうでしょうか?そうであれば、彼はレジーナ様をあきらめるべきだった」
エセルは彼に対峙し、自らと同じ緑色の瞳に影を落として語る。
「陛下。私の王になってください。唯一無二の王になってほしいのです。先王と同じではなく、あなたとして。クリスナ様とニール様を反逆罪で処罰してくれませんか?そうしたら、あなたを脅かす存在はいなくなる」
おかしな話だった。本人たちにその気はなく、忠誠の誓いはお茶会で受けている。
しかも、すでにライベルは王だ。
エセルの仕えるべきアヤーテ王国第九代目王。
矛盾した台詞にライベルは何と答えていいかわからなかった。
「あなたは裏切り者だ。エリーゼは、先王とあなたに殺された。私はあなたを王として支えるつもりだった。しかし、あなたは先王のようになりたいと、」
エセルは狂ったように笑い出す。
近衛兵は王室から遠ざけられているようだった。
部屋には邪魔をするものが誰もおらず、エセルの笑い声だけが響く。
「エセル!」
「……陛下。クリスナ様とニール様に裁きを。そして完璧な王になってくださいませ」
「エセル!」
このような伯父の姿をライベルは見たことがなかった。
震えが起きるのを必死に堪え、エセルを凝視する。
「陛下。実はもう、あなたには選択肢がないのですよ。すでにシズコ様も私の手の内なのです。だから、あなたには、私の望み通り二人を反逆罪で処罰していただきます」
☆
「ここは?」
「目覚めたか。ニール」
すぐ隣で苦手な父親の声が聞こえ、ニールは仰天し、逃げようとした。だが、体が思うように動かせず、手足が縄で結ばれ、柱にくくりつけられていることに気がつく。
体を寄せ合うようにクリスナも同じ柱に結ばれており、捕まっていることより、そちらに脱力してしまった。
「どういうことなんだ。父上」
「どうもこうも。見事にエセルに一服盛られたらしい」
自嘲して答えたクリスナにニールは半ば呆れるしかない。
「馬車で眠りこけたところを襲われたか」
「恐らくそうだろう。レジーナの姿が見えないが、彼女はどうなっているのか。彼女はエリーゼ様に似ている。悪いようには扱われていないはずだ」
「そうだな。俺もそう思う」
部屋は天井も、壁も、床もすべて石造りの牢屋の一角であった。王宮の牢屋など一度視察しただけだが、様子が異なっていたので、別の場所だと考える。
「父上。これからどうなると思う?処刑か?」
「そうだろうな。こんな強引な手段に出るとは思わなかったが」
「嘘だろう!ライベルだって、さすがにおかしいと思うだろう。俺たちに反逆の意志はない。それはお茶会で披露しただろうが。それなのに、俺たちを処刑するとなりゃ、内乱が起きるかもしれないぞ」
「それだ。それがエセルの狙いだ」
「狂ってる。そうまでして、国を混乱させたいのかよ」
「ああ。そうだろうな。しかも滅亡まで考えている」
「どういうことだ?」
「国境側の動きがおかしい。エイゼンが機会をうかがっているかもしれない」
「はあ?都合よすぎるだろ?」
「それがエセルの本当の狙いだ。国の混乱に応じて、エイゼンが攻め入る。私たちはそれに応戦できずに、占領される」
「なんだよ。それは」
ニールは頭を抱えたくなったが、両手を縛られているため、俯く事しかできない。
「陛下がエセルの思い通りに動くとは限らない。しかし、エセルもそのことは理解しているだろう。だからシズコ様が利用されるはずだ」
「シズコ様が?」
「既に動いているはずだ。パルが付いているので心配ないが」
「パルか。でもあいつ一人じゃあ無理だろう。ハイバンが多分動くはずだから」
一度しか手合わせしていないが、黒装束の手合いがハイバンであることは間違いなかった。
「ハイバン。死んだはずの近衛兵か。エセルも本当に面白いことをする」
「父上?」
クリスナはなぜか悲観的でなく、ニールは首を捻った。
「パルには負担が大きすぎる相手か。シズコ様はエセルの手に落ちたと思ったほうがいいのだろうな」
「そんな簡単に言うなよ。確かにハイバンは強いが、あのじゃじゃ馬もうまく逃げてるんじゃないか?」
「そうだといいがな」
クリスナは苦笑しながらも、落ち込んでいる様子がない。それが不思議でニールは父に問いかける。
「何か策があるのか?」
「策はない。ただ手は打ってある。それがうまく働くかはわからないが」
ニールは一人で頷く父親にその「手」について、聞いてみたが、クリスナが答えることはなかった。
☆
目隠しされることもなく、静子は王宮の森の小屋に連れて行かれた。
口には布を入れられたまま、手足を縛り、降ろされる。
身動きができない彼女はただ、目だけを男たちに向けていた。
ダンソンが静子の傍に残り、ハイバンは小屋を出て行く。彼らの行動を一挙一動見逃さないように、必死に目を凝らす。
「シズコ様。そんなに見ても意味はないですよ。あなたはしばらくこの小屋に監禁されることになる。用が済めば開放されますけどね」
ダンソンは釣りあがった目を瞬かせ、唇の端を上げる。静子がダンソンの声を聞くのは今回が初めてだった。彼が副団長であることも知らなかったのだが、その服装から少しでも彼のことを知ろうと彼女は精一杯、唯一自由が聞く目で彼を観察する。
「しょうがないですね」
諦めない静子に対し、ダンソンは溜息をついたが、何をするわけでもなく、壁に体を預け腕を組むと明後日の方向を眺める。
そんな男から視線をはずし、彼女は状況を理解しようと試みた。
今までの流れからエセルが命じたことは予想できた。だが、その目的がわからず、静子は頭を悩ます。
人質の場合、相手に自分の要望を呑んでもらうために利用する。けれども、ライベルはエセルを信用しており、彼の希望は大概のことは叶う。人質など必要がないはずだ。
彼女の理解は少し間違っていたのだが、それを訂正するものもいない。なので彼女は悶々とそのことについて考えることになった。
☆
「何者だ?」
国防大臣シーズ・ブレイブは妙な気配を部屋に感じてそう声を発した。
「突然申し訳ありません。クリスナ様の使いのパルと申します」
パルは姿を見せると平伏し、身分を明かす。
「クリスナ様?」
「この書状を読んでいただけませんか?一刻の猶予もありません。もしお疑いでしたら、私を切り捨てていただいても構いません。但し、この書状は必ずお読み下さいますようお願い申し上げます」
パルはその琥珀色の瞳をまっすぐシーズに向け、両膝を床につけ書状を捧げる。
「……お前はシズコ様の使用人でもあったな。いいだろう。読もう」