三十 お茶の味
「お茶会ですか?」
「ああ。どうだ?」
王の執務室に戻ると既にクリスナが部屋にいて、書類の振り分け作業をしていた。
以前と異なりライベルはそこまでクリスナに苦手意識を持つことはない。最初は窮屈でたまらなかった執務室も今は居心地よく感じるくらい、クリスナに対して信頼感が生まれていた。
今回のニールの件も、クリスナから先に連絡があり、愚息のことを詫びてきた。その態度でライベルは冷静さを取り戻し、早期に謹慎を解くことにしたのだ。
お茶会のことを言い出すと、意外そうな顔をしなかったので、レジーナから既に話がいっていることがわかる。
「私たちは構いませんが、陛下はよろしいのですか?」
それはエセルのことを指しており、ライベルもその意味がわかり頷く。
「エセルにはすでに話を通している。お茶会には彼も参加する」
一瞬クリスナの表情が硬くなったのを彼は見逃さなかった。だが、エセルを優先する。クリスナを信用しているが、それはエセルの比ではないからだ。
「……それは楽しみです」
一呼吸置いてから、クリスナはゆっくり言葉を口にした。
「ありがとう。シズコも喜ぶ。日時はどうするかだな。早いほうがいいだろう」
「そうですね」
お茶会の狙いはただ一つ、対立する両派閥にライベルとクリスナの良好な関係を見せ付けること。
王宮内のいがみ合いは、悪化を辿っている。
早めに手を打つのが良策だった。
「三日後はいかがでしょうか?」
「三日後か。早いな」
予想よりも早い日程を出されて、ライベルが渋る。
「エセルに確認されたらいかかでしょうか?彼の都合が悪ければ別の日に改めましょう」
「そうだな。そうするか」
そうしてお茶会の話は終わり、クリスナは優先順位をつけた書類をライベルに差し出す。
案件一つ一つの有利な点、不利な点を上げた上、自分の意見を述べる。
彼との会話はライベルが知らなかったことを教えられることもあり、ある意味で授業を受けているようなものだった。
急ぎの案件に署名をし、午前のお茶を終わらせたところで、エセルが執務室に現れる。彼は呼び出しに応じたわけではなく、外務に関する案件を持ってきていた。
隣国エイゼンの不穏な動きを伝え、三人で意見を交換する。
結局、国境警備兵団に警備を強化させるように考えはまとまったが、その間にクリスナとエセルがやりあった。
クリスナは警戒すべき、使者を立てるべきだと言い、エセルはこれまでもこのような軍事行動はあったので、静観すべきという主張だった。
結局、ライベルとしても警戒することにこした事がないので、クリスナの意見寄りの答えを出した。
エセルが微妙に顔色を変えたのを見逃さす、少しだけ妙な罪悪感がよぎる。それまでエセル寄りの決断を下すことが多かったのに、今回だけはライベルがクリスナの主張に重きを置いたのだ。
エイゼンの王は先王と同年齢。その王太子はライベルよりも十三歳も年上の三十歳。初めて会った時は、彼がまだ十歳、王太子が二十三歳で、子供心にも皇太子の赤い瞳が蛇のようで、警戒心を起こさせた。それ以降何度も会ったが、その印象は今に至っても変わっていない。なので、今回は注意すべきだと、反射的に思ってしまったのだ。
「陛下。お茶会の日程は決まりましたか?」
思いに耽っていたライベルに、エセルは笑顔で聞いてきた。
その表情には笑顔以外見当たらず、少し安堵しながら答える。
「三日後、三日後にしたいと思っているが、早いか?」
「三日後ですか……」
エセルはそう呟き腕を組んだ。
クリスナは彼の表情を見逃さないようにと、目を皿にして見つめる。
「よろしいのではないですか。お茶の調合も間に合いそうです」
「そうか。よかった。クリスナ。そういうことで三日後に中庭で開く。見せびらかせるには丁度いい場所だろう」
「はい。そのように準備を進めます」
「私も精一杯、美味しいお茶の葉を調合しましょう」
「クリスナ。エセル。頼むな」
信用に値する二人の臣下の言葉を聞きながら、ライベルはお茶会の意義について考える。そして同時に、この機会に二人の関係が改善することを願った。
☆
「最後の一手は私自ら打つことにする。ハイバン、お前にも活躍してもらう」
前日と異なり、影に潜む男は言葉を返すことはなかった。
「クリスナは本当に先王に似ている。その苦しむ姿を見ることができると思えば、嬉しくてたまらない」
気が触れたと思われるくらい、エセルの声は興奮しており、彼は棚に置かれている茶葉が入った箱と瓶を取り出す。
「先王では結局成し遂げられなかった。代わりにクリスナで溜飲を下げる」
歌うように、彼は箱と瓶から色々は葉を選んでは、香りをかぐ。
「三日後。楽しみだな」
蝋燭の光に照らされた彼の顔は狂喜に満ちていたが、ハイバンは影からそれを見守るだけだった。
☆
「シズコ。お茶会は三日後に決まったぞ。明日、レジーナがお前の服を選びに来るだろう」
昼食は執務室で取ったため、静子とライベルが顔をあわせたのはその日の夕方になった。
「本当?よかった!」
蜂蜜茶を飲んでいた彼女は、カップをソーサーの上に置くと頬を緩める。
食事は既に済ませており、二人はそれぞれ食後のお茶を楽しんでいた。
「エセルが、お前に緑色のお茶を用意するといっていたぞ」
「エセル様が?!」
普段は気をつけているのだが、静子は思わずそう聞き返してしまう。
「気に入らないか?シズコは最近、エセルが苦手のようだ」
隠していたが既にライベルには気づかれていたようだ。
彼の緑色の瞳が陰り、彼女の胸に痛みが走る。
言ってしまいたいという、気持ちを抑え、誤魔化そうと試みた。
「エセル様は忙しい方のなのに、私のためにお茶なんか調合する暇があるの?私は蜂蜜茶があれば十分だよ」
「シズコ。エセルは随分楽しそうだったぞ。だから、気にする事はない」
楽しそう、その言葉に彼女はある可能性に思い至る。
エセルはお茶を調合できる。
思えば、一度飲んだことがある毒入りのお茶も、エセルが調合したものかもしれなかった。
「シズコ?」
口の中が乾き、あの時の毒の味を思い出す。
吐き気がこみ上げてきて、静子は口を押さえた。
「大丈夫か?パル、パル!」
「だい、大丈夫。なんでもないから」
傍に掛けつけ、パルを呼ぶライベルの腕を彼女が掴む。
「シズコ様!」
王の声を聞き、部屋に飛び込んできたパルも静子の傍に付いた。
「ライベル。パル。大丈夫。でもちょっとベッドで横になりたい」
「わかった。パル。念のため、薬師を呼べ」
王の言葉を受け、パルが動こうとするのを静子が止めた。
「パル、必要ないよ」
精神的なもので、少し休めばよくなるのを静子はわかっていた。
「だめだ。パル。わかったな」
「畏まりました」
しかしライベルはパルに命じ、彼女は頭を下げると退出する。
それから彼は静子を横抱きに抱える。
「ライベル。重いから。大丈夫。歩けるよ」
「今日は俺の部屋で休め」
だが、彼は彼女を制すると寝室まで歩き始めた。
「ライベル……」
「今日はもう休め。俺がずっと傍にいるから」
「だって、それじゃあ」
「俺がそうしたいんだ。お前が寝たら俺も寝るから」
「うん。わかった。でもちゃんと休んでね。ライベルは大事な体なんだから!」
「わかってる」
結局静子はライベルの言葉に甘えることになり、運ばれた先の彼のベッドで横になった。眠れないと思っていたのだが、彼に頭を撫でられているとすぐに睡魔がやってきて、話をするまもなくそのまま寝入ってしまった。
残されたライベルは少し悲しそうな笑みを浮かべ、静子の唇に口付けを落とした。