二十八 対立
警備兵団団長ニール・マティスが自宅謹慎から解かれた。
――愛妾に触れただけで、自宅謹慎に処された。
――マティス家の養女に入ったのだから、触れるくらいは許されるのではないのか。
――クリスナ様の奥方は愛妾を守るために負傷している。
たった三日であったが、その話は王宮だけではなく、街中にまで広がっていた。
王宮では既に二つの派閥でこの件について小競り合いが起き、大衆においては多くがニールに同情的で、現国王への不満を更に高めることになった。
「どうしたらいいかな」
静子への処罰はまだ解けていない。
自室から出ることを禁じられ、既に五日が経過していた。
エセルのことを初めて疑うように言われた時は、拒絶してしまったが、今となっては疑いは確信に変わっており、パルにもそのことを話した。
パルはただ頷いただけだったが、同じ秘密を共有した気持ちになり、静子の胸の内が少しだけ救われた。
ライベルは短気であるが、静子には優しい。
だがエセルへの信頼は長年培われたもので、彼女もそれを理解しておりそのことを言い出せずにいた。
ニールの件の誤解はすでに解けており、彼が彼女に怒りを表すことはもうない。
こうして部屋に閉じ込めておくのは、安全性の面からとライベルに説明された。
――軽はずみな行動だった。
怒りのあまり、ニールに謹慎処分を命じて、王宮に混乱を招き、二つの派閥をいがみ合わせることになった。王宮内で嫌な空気が流れていた。
部屋にいてもその雰囲気は使用人を通して感じ取り、静子はエセルに怒りを覚える。
ライベル自身は深く反省しており、クリスナにも詫びをいれている。当人同士の関係は悪くないのに、外野がまるで二人の関係を壊そうとしている、そのような雰囲気が王宮に漂っていた。
もちろん、それを作っているのはエセルであり、静子は何もできない自分を歯がゆく思っていた。
「なんとかしないと」
考えることは苦手な静子。
しかしできることはないかと、必死に考える。
そんな時、扉が叩かれた。
「シズコ様。レジーナ様がお見えになっております」
「レジーナ様!?」
レジーナは静子を逃がすために怪我を負ったと聞いている。
それでしばらく王宮に来られないと連絡もきており、彼女は心配していた。お見舞いに行きたいとライベルに言っても取り合ってくれず、「回復している」の一言で片付けられていた。
「シズコ様。ご心配おかけしました」
扉を開けて現れたレジーナに怪我らしいものが見当たらず、静子は胸を撫で下ろす。
「ごめんなさい。私のせいで」
「謝る必要はないわ。それよりも我が愚息がとんでもないことをしたようで、ごめんなさいね。乙女に剣を向けるなんて、背中に傷でも付いたら、折檻するつもりだったわ」
悪戯っぽく笑われ、静子は本当に心の底から安心する。
それでもやはり怪我をしてないか気になり彼女は尋ねた。
お腹を蹴られたけど大丈夫と答えられ、静子は思わず青い顔になる。
「大丈夫よ。私は丈夫にできているの。伊達にあのニールの母親ではないのよ」
レジーナは彼女の両肩に手を添え、微笑む。
静子は優しさで胸がいっぱいになり、泣きなくなった。
「あらあら。どうしたの?本当、気にしなくていいのよ」
泣くつもりはなかったのに、堪え切れず涙が溢れ出てくる。
「ごめんなさい!」
彼女自身も驚き、子供みたいに慌てて手で目を擦る。
「だめよ。目が痛くなるわ」
レジーナは静子にハンカチを渡して、そのまま抱きしめた。
「大丈夫よ。心配しなくても。王宮の様子はおかしいわね。でもあなたが気に病むことはないわ」
「違う。あの、」
エセルのことを伝えようかと思う。だが、エセルの怒りは、元はといえばレジーナが先王ではなくクリスナと結婚したことから始まっていた。
(言えない)
「どうしたの?」
「なんでもない、です」
レジーナは優しかった。この優しさと懐の深さに先王も惹かれたのだと今はわかる。
(私は、私はなんだろう。どうしてライベルは私が好きなんだろう。もしかして私のせいで、ライベルは道を間違ってる?ニールのことをここまで嫌いになることはなかったのに)
クリスナには謝っているが、ライベルは直接ニールには会っていない。それも原因でふたつの勢力は対立を続けているのだ。
(そうだ。もしライベルがニールに会って、謝ったら?そうしたら、関係良好だと思われて、争いも止むかもしれない)
「あの、レジーナ様」
静子は顔を上げ、レジーナの緑色の瞳を仰ぐ。
レジーナとライベルの母エリーゼは本当に似通っていたようだ。レジーナのその顔、その瞳の輝きはライベルのものと酷似している。
「どうしたの?」
見入ってしまった静子にレジーナが問い掛け、彼女は言いかけたことを思い出す。
「お茶会を開きませんか?」
「お茶会?」
「あの、ライベル、クリスナ様、レジーナ様、ニール様の4人で」
「四人?五人でしょ?あなたも一緒よ」
「私も?」
「もちろんよ。仲直りのお茶会ね。いいわ。クリスナ様に伝えてみる。あなたのほうからも陛下にお願いしてもらえるかしら?」
「うん、もちろん!」
大きく頷く静子にレジーナは目尻を下げる。
「本当、可愛いわね。シズコ様は」
「え?」
「心配しないで。きっとうまくいくわ」
「うん」
レジーナに断言されると静子は心強くなる。
用は皆にライベルとクリスナが仲違いしていないことを見せ付ければ、問題は解決する。
彼女はそう単純に考え、ライベルをどう説得するか、頭を悩ましていた。
「元気になってよかったわ」
結局、今日は挨拶だけで終わり、レジーナは作戦を練る静子に微笑むと帰っていった。
☆
「案外思った通り物事はいかないものだ」
外務大臣の執務室で、エセルは羽ペンを弄ぶ。
予定通り、王派とクリスナ派の対立は深まり、民衆の不満も高まっていた。しかし、それだけではエセルの筋書き通り物事が動かない。
「最後の一押しが必要か」
もう一つ、何か事を起こす必要があるようだった。内乱まで持ち込むための、ことが。
「……ハイバン。いよいよ大きな事を起こすつもりだ。もう引き返すことはできない。お前はいいのか?」
エセルは天井に向かって言葉を漏らす。質問なのだが、答えは期待していなかった。
「俺の命はあなたに拾ってもらった。恩は最後まで返す」
だが、無口の男はどこから現れ、彼の問いに珍しく返した。
彼は羽ペンで遊ぶのをやめ、顔を上げる。
「この一年。あなたは、この時のために動いていた。しかし、あなたもそれで本当にいいのか?」
「何がだ?」
余計なことを言うことがない、ハイバン。
そんな男の言葉はエセルを苛立たせる。
「失礼した」
ハイバンは一言そう言い、影に溶け込むように消えた。
「私はこの時を待っていた。だから後悔などしない」
すべてを終わらせる。
早いほうがいいと、エセルは機会を窺う。
その機会は彼の手に転がり込もうとしていた。