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一 水面の満月

「静ちゃん!危ないったら!」

「大丈夫だって!」


 森の中、二人の娘の声が甲高く響き渡る。

 どちらも黒髪に黒目。目元がそっくりで、姉妹のように類似している従姉妹同士だった。

 少女の一人は静子。漆黒の髪を頭のてっぺんで結び、日に焼けた肌は小麦色で、年頃の娘にも関わらず、木に登り始めた。

 根元で心配そうに従姉妹を見上げているのはタエ。眉間に皺を寄せ、胸元で祈るように両手を合わせている。


「静姉ちゃん!俺、もういいから!」

 

 そんなタエの隣で声を上げたのは、彼女の弟の信夫。丸刈り頭で、姉の着物の袖を掴み、泣きそうな顔をしていた。


「もう少しだって!」


 不安げな姉弟に構わず、静子は両足を枝に乗せ、片手で蔦を掴み、葉先にもう片方の手を伸ばす。彼女は木の葉に絡まった信夫の模型飛行機を取ろうとしていた。


「取れた!」


 静子は模型飛行機をしっかり掴むと、勢いよくそのまま飛び降りる。


「着地成功!」


 手を水平に伸ばし、体操選手のように綺麗に地面に着地して、彼女は胸を張った。


「静ちゃん!」

「静姉ちゃん!」


 二人は胸を撫で下ろし、無茶をする従姉妹に駆け寄る。


「ほら、信夫」

「ありがとう!」


 模型飛行機はタエと信夫の父親が東京に行った際に買ってきたもので、なくしたとわかれば折檻されるに違いなく、少年は静子から飛行機を受け取り、頭を下げてお礼を言う。


 

「静ちゃん!なんて無茶するの!鬼が出たらどうするの?」


 しかし、タエのほうは異なり、怒りの形相で静子を叱り飛ばす。

 彼女が怒るのは当然だった。怪我をする過ちも犯した上、村人が鬼の木と信じる木に登ったと知られれば、親どころか村人から何を言われるかわからなかった。

 

「鬼?そんなの迷信でしょ?タエらしくないよ」


 それに対して静子はタエの怒りに納得がいかず、そう言い返す。

 タエは静子と同じ年だが、彼女よりもしっかり者で姉のような存在だった。義務教育を終了し、小学校に行く必要がなくなってもタエは町にいくと学校に立ち寄り先生から本を借りていた。貧しいせいもあったが、それよりも女性という点で彼女は中学校に上がることができなかった。

 静子は聡明な従姉妹を尊敬しており、そんな彼女が「鬼」の存在を信じていることが不服だった。

 

「だって、この木。不気味だし。村の人だって近づかないでしょ?」

 

 口を尖らし子供っぽい仕草をする静子に、タエは諭すようにそう言う。

 タエは知識を得るのが好きであり、理性的であったが鬼や幽霊という存在については信じていた。

 静子は逆に勉強するのが大嫌いだったが、目に見えないものは信じず、かなりの現実主義であった。そんなこともあり、村人が鬼の木として恐れているこの木にすら何度も登っていた。


「そうだ。早く帰んなきゃ。この木に近づいたってわかると大変なことになるわ!」


 空を見上げ、太陽の位置を確認したタエが慌て始める。


「わかるわけないよ。山菜取りに行くって言ったし」


 そんな彼女に静子はのんびりと応じた。

 基本的に彼女は物怖じせず、豪胆な娘だった。

 十六歳で、嫁入りしてもおかしくないというのに、未だに村の少年と喧嘩することもあるくらいだ。

 

「山菜!そうよ。山菜集めなきゃ!」 


 人一倍責任感の強いタエは降ろしていた籠を再び背負うと、二人を急かす。

 そうして、遊びに夢中になっていた時間を埋めるように、三人は山菜取りに勤しんだ。



 時は大正二年八月。

 日露戦争が終わり数年、翌年に第一世界大戦が始まるのだが、日本の片田舎の川安村ではその気配もなく、穏やかな日々が続いていた。

 三人が山菜取りから村に戻った頃には、すでに日が暮れかかり、結局こっぴどく叱られた。

 この時代、山はまだ未開で、危険な獣が数多く生息していたからだ。

 

 静子とタエの父親たちは二人兄弟。静子の父は次男で、体格もよかったため、徴兵されそのまま軍に入隊した。少ないながらも給金も出て、静子は母と二人であったがどうにか生活できていた。また隣にタエの家族も住んでおり、共に助け合うことで困ることはなかった。


 

 その日の夜、静子はふと目を覚ました。

 喉が渇きを訴えており、彼女は隣で寝る母親を起こさないように布団から抜け出す。

 蒸し暑い夜で、長い黒髪が首に巻きつき不快だった。

 手ぬぐいで首周りを拭いて、台所に下りる。履物を履いて音を立てないように、水甕みずがめに近づいた。

 明かりはなかったが、住み慣れた我が家であり、目も既に闇に馴染んでいたため、静子はすぐに水甕みずがめのある場所へ辿り着く。蓋を開けて、杓子で水を掬い、そのまま口に持っていった。

 喉を潤した後、ふと水面を見て愕然とする。


「つ、つき?」


 水甕みずがめの水面にぽっかり、月が映っていた。

 しかし、玄関は閉まっており、窓などは存在していない。

 月など映りこむ余地はなかった。

 しかも今日は満月ではない。


「ひっ!」


 迷信をまったく信じていない静子だが、この現象には驚き、思わず持っていた杓子を放り投げた。

 杓子は円を描き水甕みずがめに落ち、表面の水が弾ける。

 水面の月が揺れてなくなり、水滴が彼女に降り注ぐ。

 瞬間、静子は眩い光に目を奪われた。



 ☆


「散歩にいく」


 書類の山に囲まれたライベルは、羽ペンを投げ出すとそのまま執務室を後にした。


「陛下!」

「ついて来ずともよい。行き先は王宮の池だ。近衛兵がいるだろう」


 ライベルは煩そうにそう言うと、足早に歩く。

 等間隔で配置された近衛兵は、彼の姿を見ると頭を下げるが、ライベルは不遜な態度でその前を通りすぎた。


 アヤーテ王国第九代王ライベルは母親似の美男だった。金色の長髪に緑色の瞳。顔立ちは女性的。微笑だけで人の心を溶かし、その心を掴むことができる。そのような外見であったが、本人はそれを有効に使うことはなかった。何が不満なのか、終始眉間にしわを寄せ、周りに緊張を与えるほど、厳しい表情をしていた。


「周りの警護は任せる。だが、邪魔するな」


 王宮の森の入り口の近衛兵にそう申しつけ、ライベルは森に入る。目的は王宮の池であった。


「今宵は満月。美しいだろうな」


 何をするわけではなかったが、ライベルは気分が苛立つとこの池に来ていた。

 池の畔に座っているとなぜか心が落ち着くからだ。


 去年、ライベルの十六歳の誕生日を待たず、先王が崩御した。

 一夫一妻の上、ライベルが唯一の子供であったため、自動的に彼が次の王となった。


 即位して一年以上。

 彼の仕事はもっぱら署名するのみ。

 会議では発言しても意味をなさず、彼は完全にお飾りの王様だった。


「王とはなんだ?」


 ライベルは先王の様子に思いを馳せる。 

 確かに大臣の意見は大きかったが、王がやはり決定権を持っていた。

 今の自分とは異なり、彼は貴族から敬われる王であり、力強かった。


「俺はなんだ?」


 小さいときから王子の義務を背負い、王になると決められた存在。

 勉学と武芸に励み、そのための準備をしてきた。

 しかし、実際王になると、彼は王ではなかった。


 先王のように威厳があるわけではなく、ただ王である存在に過ぎない。

 

 ライベルは池の畔の椅子に座り、空を眺める。

 今宵は満月で、夜空にぽっかり月だけが浮かんでいた。


「さびしいものだな」


 美しく輝く月。

 だが、その月に孤独を見出し、ライベルは薄く笑う。

 そして視線を落とし、水面にその影が映っているのを見つけた。


「お前の供はその影のみか」


 そう言った瞬間、ライベルの体が突き飛ばされた。


「な、なに?」

「くそっつ」


 舌打ちと共に肉を断ち切る音がして、目の前の男の背中から血飛沫が上がる。


「に、逃げて……ください。陛下!」


 男は近衛兵の一人で、ライベルを庇い背中を大きく切られていた。しかし彼は立ち上がると振り向き様に反撃に出る。襲ってきた男の腹部に剣を突き立て、そのまま押し倒した。男は痙攣した後、動かなくなる。

 しかし敵は一人ではなかった。背後から新たに三人の黒装束の男が現れる。


「逃げるなど、俺は絶対にしない」

「へ、陛下!」


 負傷しながらも、あくまでもライベルを庇おうとする近衛兵を押しのけ、彼は倒れた男の剣を奪い、その前に立つ。


「残り三人。俺が倒してやる。お前は下がってろ!」

「陛下!」


 近衛兵の声を無視して、彼は前に出て剣を振るった。

 幼い時から剣の鍛錬をしてきたライベルは、一流とまではいかなくても身を守るくらいの諸術は身に着けていた。

 三人をどうにか切り捨て、彼は振り返る。


「おい!」


 近衛兵は力なく倒れていた。彼の背中から多量に血が流れ、血だまりとなり、池まで続いている。

 ライベルは駆け寄りその体を抱き起こす。


「おい、しっかりしろ」


 彼は必死に声をかける。


「へ、陛下。さすがです。お役に立てず申し訳ありません」


 うっすらと目を開けた近衛兵は、主が無事であることに安心して微笑んだ。


「おい、待ってろ。すぐに手当てをさせる」


 ライベルは助けを呼ぼうと、顔を上げる。すると彼は血に塗れた手でライベルの腕を掴んだ。


「無礼をお許しください。陛下。最後に私の言葉をお聞きください。誰にも惑わされず、あなたの目で事実を見極め、……よい国を、よい国をお造りください」


 彼はそれだけ言い、ライベルの腕から手を離す。目は開いたまま。しかしその瞳から光は消えていた。


「おい!お前!」

 

 彼の体を揺すり、何度か声をかけてみるが、彼が再び動くことはなかった。


「誰か、誰かいないのか!」


 重くのしかかる彼の体、血に塗れた手。

 ライベルは彼の体を地面に横たえると立ち上がる。

 奇妙なことに、王であるライベルの叫びに答える者はいなかった。


 だが、小さな水音がして、ライベルは池に目をやる。


「な、なんだ?」


 先ほどまで何もなかった水面に、仄かな光に包まれた娘が浮いていた。

 闇に溶けそうな黒髪が印象的な娘は力なく漂っていたが、光が消えると不意に沈む。

  

「!」


 反射的にライベルは池に飛び込んだ。腰までしかない深さなので、おぼれることはない。だが、気を失っていれば別だった。

 少し潜り、彼女の体を見つけるとすぐに上がる。

 

「幻ではない。本物だ。間者か?」


 陸に揚げた娘を眺めながら、そう問うが答えは出るはずもなかった。 


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