二十五 仕組まれた一夜
「ここは……?」
目を開け、最初に視界に入ったのは石造りの天井。
見慣れたはずなのに、それは少し異なっていた。
「寒い、私、濡れてる?」
体全体が濡れていることに気が付き、体を起こす。
「二、ニール?!」
そして驚くべきことに隣のベッドには、ライベルではない金色の髪の男が横になっていた。
「どういうこと?」
ベッドから音を立てないように起きて、部屋を観察する。窓はなく、壁も床も、天井もすべて石で作られていた。壁に備え付けられた蝋燭のおかげで、部屋に明かりが灯り、静子は部屋全体を見渡すことができた。
部屋にあるのは二台のベッドと机。机の上には女性ものの服が置かれていた。
唯一の出入り口である木製の扉は取っ手もなく、こちらからは開けることができそうもない。しかし、静子は扉に近づくと押したり、引いたり試してみた。
「開かない。どうしたら」
混乱する自分を落ち着かせようと、静子は何があったのか思い出そうとした。
男たちに追われ、逃げ場を失い川に飛び込んだところまでは覚えていた。
「誰かが、ここに運んだ?ニール?」
状況からそうとしか考えられず、ここから出るために彼を起こすしかないと決意する。
ニールとは話さない。
そう決めていたが、他に選択肢がない。
ライベルにもそう言おうと、静子はベッドで横になるにニールに近づいた。
「あの、起きてください!」
名前を呼ぶのに抵抗があって、彼女はそう言いながら彼に触れた。
「ん?」
「ひっ!」
すると彼は静子の腕を掴み、ベッドに引き込むと胸に抱きしめる。
「離して!」
彼女の叫びと同時に、ニールが胸に抱いた冷たい感触によって目を覚ました。
「え?悪い!」
覚醒し、彼は抱いているのが静子だと気がつくと、彼女から離れ転げるようにベッドから落ちた。
「いってぇ」
「だ、大丈夫?」
抱きしめられた時は怒りしか覚えなかったが、慌ててベッドから転げ落ちた彼に少し同情して、静子はベッドからニールを覗き込む。
「あ、大丈夫。っというか、どういうことなんだ?」
床に尻餅をついたまま、彼はその青い目を彼女に向けた。
それは静子が聞きたいことであり、彼女は向けられる視線に憮然と返した。
「あんたが連れてきたんじゃないの?」
「は?」
「川に飛び込んだことは覚えてる。それをあんたが助けてくれたんじゃないの?」
「川?お前、川に飛び込んだのかよ!」
「だって、他に逃げる方法がなかったから」
「ああ、だから濡れて。逃げるって追っ手は誰か覚えてるか?」
「うん。もう一度顔を見ればわかる。誰かは知らない。見たこともない服装だった。兵士ではない」
「そうか。黒い服をきてなかったか?」
「ううん。薄汚れた茶色、くしゅん!」
ベッドの上で静子は盛大にくしゃみをする。そして、自分の冷えた体を抱えた。
「お前、濡れてるんだった。そのドレス脱いだほうがいい。風邪を引くぞ」
「ぬ、脱ぐ?」
「へ、変な意味じゃないからな。俺の服を代わりに着ろ。俺は濡れてないし、寒くないから」
ニールは少し慌てながら立ち上がり、着ている上着を脱ごうとする。
「服は、着替えはある。だからあんたから借りなくてもいい」
静子は服を脱ぎ始めたニールを制し、机の上の服を指差す。
「着替えがある?……用意周到だな」
目覚めてから静子を抱いていた自分に動揺していたニールだが、ここで少し冷静になった。
「仕組まれたか?」
「仕組まれた?」
「シズコ様。とりあえずこの服に着替えて。風邪を引かれるとまずいから。どうするからはそれからだ」
「うん」
難しい顔をし始めたニールに戸惑いながら、静子は彼から服を受け取る。
「俺は壁側で、後ろ向いているから。終わったら声をかけてくれ」
彼はそういうと静子から離れ、壁に近づく。そして彼女に背を向けた。
「……しょうがない」
知らない相手、いや知ってはいるのだが、その人の前で着替えることに抵抗はある。しかし着替えないと風邪を引くのは時間の問題だった。
覚悟を決め、乾いた服をベッドの上に置いて、静子はドレスに手をかけた。そうしてある事実に気がつく。
背中を縛り付けている紐をはずさないとドレスを脱ぐことはできなかった。
迷った挙句、彼女はニールに声をかける。
「に、ニール様。ちょっと手伝ってもらってもいいですか?」
「は?」
背中の紐を解いてもらうように頼むと、彼は完全に動揺していた。しかし、最後には頷き、背中に手をかける。冷えた彼女の背に触れる彼の無骨な指。それは温かく、気持ちは悪くなかった。
「……まだですか?」
だが、時間がかかりすぎており、静子は思わずそう聞いてしまった。
「いや、ちょっと」
ニールの答えは不明瞭。彼は不器用な男だった。
パルによって結ばれた紐の結び目は硬く、無骨な手で解こうと試みるが苦戦していた。
しかしとうとう彼は諦めた。
「シズコ様。剣で紐を断ち切る」
「は?」
突然の提案に静子は体を硬くする。
「大丈夫だ。動かないで」
答える間もなく、ニールは静子の小さな肩を掴みと、柄を握り、紐だけを切るように剣を下ろす。
「ひやっ!」
背中に感じた冷たい感触、それは剣ではなく風であったが、静子は体を震わす。
「痛かったか?」
背中の紐を剣で切るという暴挙に出た彼は慌ててたずねた。
了承もなく、剣を使われたことに腹は立ったが、静子はその気持ちを抑えた。
「大丈夫。着替えるから離れて」
紐が断ち切られ、背中が空気に触れていた。怒りよりもそんな無防備の背中を彼に見せているかと思うと気恥ずかしかった。
「着替え終わったら声をかけてくれ。背中向けているから」
静子の気持ちを汲み取ったのか、彼はそう言い、彼女から離れた。
「うん」
彼女は一度だけニールを振り返り、彼が背中を向けていることを確認するとドレスを脱ぐ。
静まり返った部屋に彼女の出す音だけは響く。
濡れたドレスが床に落ちる音、別の服に袖を通す音。
脱いだドレスを丁寧にたたみ、机の上に置く。そうして、彼女はニールに声をかけた。
「着替え終わったよ」
「……普通でよかった」
「は?」
振り返り、彼女を見た後もらした感想に、どういう意味で言われたのかわからず、静子は首をかしげる。
「とりあえず、この部屋を出ることを考えるぞ。朝まで二人でいることがライベルにばれたらそれで終わりだ」
「どういう意味?」
ニールにはこの状況の意味がわかっているようだった。静子はまったく理解できず、説明を求める。
「いいか。これは、俺たち二人を部屋に閉じ込め、一夜を過ごさせる罠だ」
「は?」
言われた意味が本当に理解できず、静子はさらなる説明を求め、ニールにその黒い瞳を向ける。
「……男女が一夜を共にする。それがどういう意味かわかるよな?しかもお前はライベルの愛妾、未来の王妃だ」
「一夜を共にする。子どもができる?」
「えっと、やけに直接的だな。まあ、そういうことだな」
「できないよ!だって、ライベルが王妃になるまで子どもはできないって言ってた。パルだって、ベッドの上で特別なことをしないとできないって言ってたから!」
「え、はあ?」
静子の熱弁により、ニールは頭を抱え座り込んだ。
「やばい。これはやばい。ここまで計算してたのか?ライベルは俺を許さないだろうな」
「許さない?なんで?まあ怒るだろけど。ライベルは私があんたを話すの好きじゃないし。でもこんな状況ではしょうがないよ」
立ち上がった彼は眉を顰め、額を押さえていた。
ニールは彼女の無邪気さに頭痛を覚えていたのだが、静子がわかるはずがない。
「と、とりあえず、外に出ることを考えよう。外に出ることができれば問題は起きない」