二十三 憎悪の理由
エセルは夢を見ていた。
それは彼がまだ復讐を考える前で、ハイバンに出会った夜の夢だった。
「エセル様。またいらしてくださいね」
「ああ」
名残惜しそうに栗色の髪の美女はエセルを見送る。それに適当に返事をして、彼は店を出た。朝にしては早く、まだ夜が明けてもない空に月と星だけが輝いている。
今宵は満月。
妹が亡くなった満月の晩だった。
貴族としては末席。
地方貴族でしかなかったキシュン家。王家との接点などなかった。
だが運悪く、妹――エリーゼは王に会ってしまった。
黄金に輝く髪色、青い瞳。
獅子のような立派な体躯。
まだ女性としては未熟なエリーゼにとって、王は畏怖の存在でしかなかったはずだ。
だが王は、エリーゼを見初め、王妃にと願った。
末席の貴族で、反対の声があがったにも関わらず、王はエリーゼを王妃にした。
若干十六歳の王妃。
彼女に拒否権はなかった。もちろん、キシュン家にもだ。
エセルは自分に力がないことを悔やみながら、妹を見守った。
当初は怯えていたエリーゼだが、王宮に会いに行くと嬉しそうに王のことを語り、幸せそうだった。
なのでエセルも安堵していた。
身ごもった時もその頬を薔薇色に染め、本当に幸せそうだった。
おかしくなったのはいつだったのか。
身ごもって半年ほどたったときから、妹の様子が変わった。
表情が曇り、妊婦だというのに、会うたびに痩せているような印象を受けた。
エセルが原因を追究するが、彼女は答えず薄く笑うだけだった。
そして、十七年前の満月の日。
彼女は子を産み、命を落とした。
エセルは嘆くしかなかった。
なぜ、命を落とす必要があったのだと。
国内は王妃の死を嘆きつつ、王子の誕生も祝う。
そんな雰囲気に耐えられず、エセルは隣国エイゼンに出奔した。
もう戻るつもりはなかった。
そこで彼は偶然にエイゼンの王子に会った。
考えてみれば仕組まれていたことだったかもしれない。
彼の助成を得て、外国人の身でありながら彼は王宮に取り立てられた。
そうして月日は流れ、六年前、アヤーテ王国から外務大臣が訪れ、エセルが同国人という理由で接待を請け負った。
気位が高く、何かと王の名を使う彼は、最低な男だった。
しかし相手は外務大臣。エイゼン側も失礼のないように対応し、エセルも腸が煮えくりながらも、彼が満足するように接待をした。
数日後、外務大臣が自国に戻る前夜。
エセルは男を拾った。
いや、助けたが正しい。
血を流して、瀕死の男が川岸で倒れていた。
時間は夜明け前。
アヤーテ王国の近衛兵の制服を着ており、助けなければのちのち国交の問題になると、彼は男を助けた。
意識がほとんどない中で、彼は誰にも自分のことを知らせないでほしいとエセルに頼んだ。
エイゼンにもアヤーテ同様花街がある。そこで腕の立つもぐりの医師に頼み彼を治療させた。目覚めた彼から事情を聞き、エセルはアヤーテの内情を知り、深く落胆した。
男――ハイバンは自国の外務大臣が粗相をした娘を手にかけようとして止め、別の近衛兵に背後から切り捨てられた。
自国の恥としか思えない行動。それが国の顔である外務大臣によって行われた。
ハイバンは自嘲しながら語り、国に戻るつもりはない意思を表した。戻ったところで口封じに再び殺される恐れもあった。
そこでエセルは彼を私兵として雇うことに決めた。
この小さな事件と出会いはこれで終わるはずだった。
しかし、数ヵ月後、彼はアヤーテ王国の王に、王子の教育係として招かれた。エイゼン側としては拒否したところで一切の得があるわけでもなく、エセルはエイゼンでの職を解かれ、自国に戻るしか道はなくなった。
暗い気持ちでアヤーテに戻ったエセルは、王宮に入り、更なる事実を知り、王と国に復讐することを誓った。
――王妃様は一生報われなかった。
――王妃様は、王が唯一愛したレジーナ様の身代わりにすぎなかった。
故エリーゼ王妃を語るとき、使用人は皆暗い顔をしていた。王子の前で一切そのような話をすることがなかったが、エセルが聞き出すとそう語った。
最初は気にしないようにした。
しかし、レジーナに対する王の態度で彼は確信し、妹の苦しみを知り、業火で胸を焼いた。
妹の面影を映す王子は、王からの愛情を抱かれることなく、育っていた。そんな彼にエセルは戸惑いながらも妹の忘れ形見として、愛を持って接した。
「ライベル様はどのような王になりたいのですか?」
「俺は、父上のような立派な王になりたい」
だが、ライベルの先王への敬愛を知るたびに、彼への憎悪も育っていった。妹のたった一つ残したものでありながら、なぜ妹を死に追いやった者を愛するのか。
それは子どもとしては当然の感情であった。しかし、すでに少しずつおかしくなっていたエセルにはそれが理解できなかった。
彼はエイゼンに残したハイバンとやり取りをしながら、王を暗殺する計画を立てた。だが実行する前に王は死に、計画は一度無に帰った。
「俺は、父上のような王になる。だから、エセル。俺を補佐してくれ」
――父上のように。
その言葉はエセルの心をえぐり、彼に新たな計画を立てさせた。
「エセル様?」
目を覚ますとそこにいたのは薬師であった。
エセルは一瞬、状況がつかめなかった。
けれども、その場にクリスナがいることにも気が付き、脳が完全に覚醒する。
クリスナ・マティス。
先王の弟で、先王の愛する女を娶った男。
彼がレジーナと結婚しなければ、王はエリーゼを王妃にすることはなかった。
普段は隠している彼への感情が頭をもたげ、エセルは落ち着くために目を閉じた。
そうして再び目を開け、彼に視線を向けた。
「エセル。大丈夫か?」
「はい。どういう状況ですか?」
「シズコ様が行方不明だ」
計画通りに進んでいることにほくそ笑みそうになりながらも平静を保つ。
「捜索は?」
「やってる。だが、」
「何か?」
「私の愚息もまだ戻ってきていない。一緒にいるかもしれないな」
「そうですか。それなら安心ですね」
これも計画通りで、エセルは目を閉じた。
「陛下は、いかがされてますか?」
「陛下は、森に再び入ろうとして、われわれが必死に止めているところだ」
「エセル様?!」
体を起こした彼を薬師が慌てて止める。
腕、脇腹に痛みが走り、切られ殴られたことを思い出す。
ハイバンは仕事をやりすぎたようだった。
荒れくれものはエセルが本当の雇い主であることをしらず、彼を傷つけることに迷いなかった。
だからこそ、傷を負わされた。
「エセル。お前は休んでいろ。私がしばらく代行する」
「そうですか。ありがとうございます」
「……お前の計画通りか?」
「はい?」
クリスナは先王と同じ瞳をエセルに向けた。
それを見ながら、再び憎悪の気持ちが沸き起こってきて、彼はそっと拳を握る。
「まあ。いい。お前の計画通りなら二人は無事のはずだからな」
「クリスナ様?何をおっしゃっているのですか?」
柔らかな作られた笑み。
クリスナは息を大きく吐くと踵を返した。
「陛下の元へ向かう。お前はゆっくり休んでいるといい」
嫌味も含んでいるのだろうか、クリスナはそう言うと退出する。
エセルは薬師の手前、笑うことができない。
もし、彼がいなかったらエセルは高らかに笑っていたかもしれなかった。