十九 初めての晩餐会 後
「皆、よく集まってくれた」
ライベルはテーブルの一番奥の上座に辿り着き、貴族達を眺めながら言葉をかける。
それが合図になり、使用人が忙しく動き回り、ワインを注ぎ始める。静子はお酒が飲めないため、彼女のグラスには冷えた蜂蜜茶が注がれた。
「皆が知ってのとおり、今宵集まってもらったのは、クリスナ・マティスの補佐役就任を祝うためだ。彼は余の愛妾であるシズコをその娘に迎え、更なる忠誠を誓うことになるだろう」
集まった貴族は皆事前に知っていたため、驚くものはいなかった。
ただ静寂が大広間を包む。
静子は自分が多くの人の目に晒されているのを感じだが、逃げることはしなかった。
顔を上げ、一心にライベルを見つめる。
「余はクリスナ・マティスを配下に入れ、このアヤーテを隣国以上に発展させることを約束する。皆の者よ。余に力を貸し、余の治世を讃えよ」
「偉大なる王、ライベル・アヤーテ陛下に乾杯!」
ライベルがグラスを掲げ、エセルが乾杯を促し、集まった貴族達が口々に王を讃えながらも追随する。
そうしてそれぞれが飲み物に口をつけ、着席した。それから前菜が運ばれ、食事が始まる。エセルがライベルの元から離れ、静子の隣に座った。
「エセル様。私、ちゃんとできてましたか?」
不躾と思いながらも、静子は心配になって開口一番で聞いてしまった。
「大丈夫。立派でした」
エセルにそう保証してもらい、彼女は安堵する。
「体調は大丈夫ですか?あまり無理はしないように。陛下よりも言い付かっておりますから」
「ありがとうございます」
彼の笑顔は優しく、静子はさらに安心した。
矯正下着のため、食欲はなく、無理に食べてしまうと吐いてしまいそうだったので、彼女は今日食べることをあきらめる。
蜂蜜茶を少しずつ飲みながら、周りを伺う。
ライベルとの距離は触れることはできないが、近い距離だった。しかし、なぜか遠く感じられ、寂しく思う。
大臣達と交わされる空々しい会話。レジーナも普段の彼女とは違う人のように、話していた。そんな中、ニールだけは普段通りで、会話についていけなくて呆然としている静子に話しかけてきた。
「つまんないよな」
小声で言われ、静子は目が点になる。
「俺、こういう場所嫌いなんだよ。警備兵団に入ったからもう必要ないと思ったのに。ああ。この服も酷いだろ?」
彼は男性の服にしては飾りが多く、地味な色の中、ひときわ目立つ青色の服をつまんでため息をつく。
「母上は本当、派手好きで。黒目、いや、シズコ様のドレスも派手だと思ったんだけど、全然そんなことがなくて、驚いた」
「派手。派手、ですよ。色も赤色だし。自分に合わなくて恥ずかしい」
「そんなことないぞ。似合ってる。前会った時とは別人みたいだ」
「別人。そういえばライベルも同じこと言ってた」
ふとライベルの名前を出し、以前言われていたことを思い出した。
――ニールを見るな。話すな
マティス家の養女になったため、ニールは義兄になる。なので見る、会うことは避けられなかったが、話すことは避けられるはずだった。
しかしこうして話してしまい、静子はライベルのほうを振り向く。彼はクリスナと話し込んでいて、こちらに気がついていないようだった。
そのことに少し安堵と不満を覚えながら、ニールとは話さないほうがいいと決める。
「どうした?」
急に表情を硬くした静子にニールは尋ねる。
「すみません。もうお話はしません」
話しかけるなとはいえずに、彼女はつんとそれだけ口に出す。
ニールは先ほど静子がライベルを気にしていたことを見ていたので、その意図がわかる。
「本当、嫉妬深いな。お前はそれでいいのか?」
話さないと決めているので、静子は黙ったままだ。
「まあ、いいけど」
ニールはそう言って一旦黙る。しかし静子が脂ぎった中年の男に話しかけられ、困る事態に陥り、助け船を出した。
「レンデン閣下。奥方様が暇を持て余してますよ。奥方様は随分退屈のようだ」
「まあ、そんなことは」
「私がここで、街の面白い話を披露いたしましょう。下賎な話になりますが、とても興味深い話ですよ」
口調は柔らかく、笑顔は穏やか。
別人にしか思えない様子で、ニールはパースとその奥方に街で流行っている話を披露する。
静子は耳をふさぎたくなるような話のことは置いといて、自分を救ってくれたニールへ少しばかり感謝していた。
しかし、ライベルの言葉を思い出し、結局礼をしないまま、晩餐会の前半は終了した。後半は男女に別れ、別室になる。そこで、静子はやっとレジーナとまともに話すことができた。
「シズコ様。大丈夫だった。なにかあの蛙に絡まれていたわよね」
「か、蛙!」
財務大臣パース・レンデンとガマ蛙が重なり、静子は噴き出してしまう。思わず持っていた扇で顔を隠すぐらい、可笑しかった。
「まあ。めずらしくあの馬鹿息子が気をきかせていたけど。シズコ様。この後はもう重要じゃないから、部屋に戻ってもいいわ。疲れたでしょ?」
レジーナの心配に静子は大きく頷く。
矯正下着のせいでもあるが、それ以上に神経をつかってしまい、静子はほとほと参っていた。
「ちょっと待っててね。誰か呼んでくるから」
クリスナが第一継承権者ということだけでも、レジーナは女性の中では一番地位が高かった。その上、今回彼が補佐役になり、地位はさらに強固になった。おかげで、別室で行われる女性だけのお茶会に出席する必要があり、静子を部屋に送り届けるのは不可能だった。
大広間の外の廊下の長椅子で待っていると、まもなくニールが姿を現した。
静子は彼を見て反射的に嫌な顔をしてしまう。
「傷つくな」
ニールが素直にそう漏らし、彼女は自分の態度を少し反省する。先ほどのお礼も言っておらず、どうしていいかわからなかった。
「大丈夫だ。部屋に送るだけだ。ライベルも怒らないさ。俺からも説明しておく」
そんな彼女にニールは笑いかけ、ニールは手を差し出す。
「部屋にお送りします。シズコ様」
☆
ライベルの言葉を繰り返しながら、ニールの後ろについて歩く。結局差し出された手もとらず、話しかけられても無視をしていた。
しかし部屋に近づき、やはりこれは失礼だと思い決意する。
後からライベルに説明すればわかってくれると自分を納得させる。
「あの、ニール、様」
突然声をかけられ、少し驚いてニールは振り向いた。
「あの、さっきはありがとうございました」
静子は頭を下げ、お礼を述べる。
「いや、別に。当然だから。あのガマ蛙。影ではカラスとか呼んでたくせに」
「え?何?」
「なんでもない。まあ、気にするな。当然だから」
「えっと、でもありがとうございました」
「まあ。お礼をうけとっておく」
ニールは少年のように微笑み、再び歩き出した。
「さあ、着いたぞ」
部屋に前にはパルが待機していて、静子は安心して力が抜けそうになったが耐えた。ニールにとりあえず頭を下げて感謝を伝える。
「ゆっくり休め」
そんな彼女に手を振り、ニールは来た道を戻っていく。
難しい顔をしてそれを見ている彼女に、パルは首をかしげる。
「どうしたのですか?」
「うん。ちょっと。それよりも着替えるのを手伝ってもらってもいい?」
「はい」
部屋に入ると静子はすぐに矯正下着を外してもらい、深紅のドレスを脱ぎ、いつもの楽なドレスに着替えさせてもらった。
そうしてやっと、息をつく。
夕食を食べておらず、お腹はすいていたが、それよりも疲れており、静子はパルに言って横になることにした。
そうして、一人になってベッドに入ると、睡魔はすぐに訪れ彼女は深い眠りに落ちる。
次に目覚めたのは、顔に触れる冷たい手の感触によってだ。
目を開けると疲れた顔をしたライベルの姿が視界に入る。
「どうしたの?」
意識はまだ完全に覚醒しておらず、ぼんやりとしたまま、静子は尋ねた。
「起こしてしまったな。お前のほうが疲れているはずなのに」
「そんなの大丈夫だよ。かなり寝たから元気だし」
元気がないライベルが心配になり、彼女は体を起こした。
「大丈夫?」
「大丈夫だ。お前の姿を見たら力が出た」
「変なの」
「変か?」
「うん」
彼は目を細め、愛おしそうに静子の髪を触れる。
「そうだ。私、ライベルに謝らないと」
「何かあったのか?」
「うん。あの、ニールのことだけど」
「ニール?そういえば、あいつ、お前の前に座っていたな。何かされたのか?」
「ううん。そうじゃなくて、見るだけじゃなくて、話しちゃった。しかも部屋に送ってもらって。でも少しだけ話しただけだよ。助けてもらったからお礼を言ったけど」
「助けてもらった?」
「うん。なんか変な人がいて困っていたら、助けてくれた」
「変な人?」
「うん。なんか気持ち悪くて、」
「誰だ?」
「蛙に似た人。財務大臣だったかな」
「パースか!あいつ」
「怒ったらだめだよ。あの人、ライベルの部下で、大臣でしょ。そんな小さいことで怒ったらだめだよ」
「しかし」
「駄目だよ」
「わかった。でもニールか。ニールが助けたのか。エセルは?」
「あ、エセル、様は忙しそうだった。いろんな人と話してたし」
「そうか。ニールのことが気に入ったか」
「うーん。前よりはいいかな。でももう話さないよ。会うのはほら、私マティス家の養女だから無理でしょ。でも話さないようにする!」
両拳を握りしめ、そう断言する静子を見て、ライベルの中の彼女への感情が高まる。愛おしく感じて、彼女を引き寄せた。
急に彼に抱きしめられ静子の方は戸惑う。
「本当に、お前は可愛い。やはり、ずっと閉じ込めておきたい」
「え?」
「嘘だ。嘘だから。お前は俺の王妃になる。だからずっと側にいてくれる」
頭上から彼の声が落ちてくる。
彼の顔を見たがったが、強く抱きしめられ、彼女は彼の表情を窺うことができなかった。