十七 お披露目の準備 後
翌朝、レジーナから仕立て屋と話を終わらせてから来ると連絡があった。しかし、静子の忙しい一日は変わらず、まずは湯浴みから始まる。
人の手を借りるのは嫌で、毎日一人で浴びていたのに、今日ばかりは二人がかりだった。パルとヘレナの二人だったのが、裸を見られるのが恥ずかしく静子は終始俯く。けれども、レジーナに言い付かっているのか、二人はそんな静子に構うことなく隅々まで彼女を磨き上げた。
その後、髪を乾かしながら、体に香油を塗り、揉み解す。
最初は香油の感触が気持ち悪く、不快でしかなかったが、そのうちどうでもよくなってしまった。
髪が乾いた後、今度は髪を丁寧に梳きながら体に塗った香油とは別の種類の香油を塗りこんでいく。
そうしていると昼食時間がやってきて食欲はなかったが、今となっては珍しくもないサンドイッチに胃に収めた。
「まあ。輝く肌!若いっていいわね!」
食後の蜂蜜茶を飲んでいると、華やかにレジーナが登場した。後ろに控えているのは仕立て屋だった。
「ドレスはそちらにかけて。あなたは下がってもいいわ」
真紅と黄色のドレス二着を仕立て屋が壁にかける。すると全体の姿が露になり、静子はその形に目を奪われた。
真紅のドレスは、襟がなかったが、下品にならないように控えめに胸元が開かれていた。花の蕾のような袖は肩から手首までを覆っている。スカートは何重もの薄手の布を寄せて縫われており、ふわりと床に向かって広がっていた。
黄色のドレスは黄色一色ではなく純白のレースを多く取り入れたものになっていた。肘から手首の袖の部分、スカートの中心部分などにレースを何重にも使い、背中には大きなリボンがあしらわれていた。
「どう、気に入った?」
ドレスに釘付けになっている彼女に、レジーナは満足そうに頷く。
「どちらも着付けて、気に入ったほうを着ていきましょうね」
「は、はい」
洋服――ドレスを身に着けることに慣れてきていたが、このような豪華なドレスは着た事がなく、静子は嬉しいというより圧倒されていた。そして同時に緊張感を覚える。
顔を強張らせた彼女の肩にレジーナが優しく手を置いた。
「大丈夫。心配しないで。私も、クリスナ、そしてニールもいるわ。まあ、ニールが粗暴すぎて、あなたの粗相なんて可愛いものと思われるに決まっているから」
「に、ニール……」
レジーナから時折彼の話を聞いていて、変な人から面白い人に印象は変わっていたが、やはりライベルが嫌っているので、静子も複雑な思いを抱く。
「ニールに会うのは初めてではないはずよね?」
「はい。多分、二回ほどお会いしてます」
この一週間で教えられた言葉使いを思い出し、静子はゆっくりと答える。
「苦手?」
「えっと、あの」
レジーナのことはかなり好きになってきていた。そんな彼女の息子なのだから、悪い人ではないはず。わかっているが、静子は返答に困ってしまう。
「ごめんなさいね。変なこと聞いて。大丈夫。粗暴だけど無闇に人を傷つけたりする子じゃないから」
「……わかってます」
「ならいいわ。さあ、次に何をしましょうか」
その話は終わりばかり、にこりと笑われ、静子は安堵した。
☆
静子の髪は少し癖があり、まっすぐな髪が多い田舎ではからかわれることが多く、いつも結んでいた。こちらに来てもそうしていたのだが、今日はその波打つような黒髪の魅力が十分に発揮されている。香油を塗り艶やかな黒髪は黒色のレースのように彼女の肩から背中を覆い、真紅のドレスと対比を作っていた。靴は深紅で踵が少し高め。いつも踵がつぶれた靴を履いていた彼女は少しぎこちなく立っていた。
両方のドレスを身につけ、静子はかなり迷ってしまった。その結果、結局レジーナが真紅を推し進め、彼女は真紅のドレスを着て晩餐会に出席することになった。
矯正下着という恐ろしい下着は、静子の胸を押し上げ、腰を引き締める。胸が小さい静子だが、今日ばかりは凹凸がくっきりとした大人の体になっていた。しかし母親に一度だけ振袖を着付けられた時よりも締め上げられ、窮屈でたまらなかった。
レジーナは完璧な貴婦人に仕立て上げられた静子に満足げし、自身の仕度のために別室に消える。
残された静子は矯正下着のため座るのも困難で、立ち上がったまま、壁に寄りかかった。
「シズコ様、大丈夫ですか?」
「うん。なんとか。今日はがんばらないと」
このために一週間努力してきた。多少の窮屈さなどは気にしてられないと彼女は拳を握った。
「あまり無理をしないように。まだ開始までありますし」
「そうだね。でも座るのもつらいから。立ってる。晩餐会は座らないといけないんだよね。つらいな」
「そうですね。食事が終わったら、別室に移られるのでその後にお部屋に戻るようにしてください。重要なのは大広間での晩餐会なのですから」
「うん。そうする」
二人がそんな話をしていると扉が叩かれる。
入室許可をする前に扉が開き、ライベルが部屋に入ってきた。だがすぐに立ち止まる。
「どうしたの?ライベル」
自分を凝視したまま動かない彼に違和感を覚えて、静子は転ばないように、しかし小走りで彼に近づいた。
「いや。お前じゃないみたいで驚いた」
「変?」
「いや、なんというか綺麗だ」
照れながらそう言われ、彼女もつられて頬を染める。
「このまま誰にも見せたくなくなるな」
「えっと、」
返答に困ることを言われ、静子がうろたえているとライベルが微笑む。
「嘘だ。いや、見せたくないっていうのは本当だが。今のお前を見れば、貴族達もお前が王妃になることに異議はないだろう。本当に夜の女神のようだ」
「女神。神様のことだよね。言いすぎだよ。ライベル。でも私、がんばるから」
王妃になるために第一歩。マティス家の養女としてのお披露目の場であることを心に刻み、静子は気合を入れる。
ライベルは強い意志を秘めた黒い瞳を眩しそうに見て頷く。
「ああ。ありがとう」
静子は努力家で、健気な女性だった。今日の彼女はその努力もあり完璧は貴婦人だった。何処となく色気も醸し出しており、彼はこのまま静子を本当にどこかに閉じ込めて置きたくなる。
しかし、そんな馬鹿な考えを追いやり、彼は自分の役目を思い出す。
「俺はお前のすぐ傍にはいられない。今日はあくまでもクリスナの補佐役就任が主で、王妃の話は後だ。だが、お前がマティス家に入ることと王妃候補になることは、ほぼ同義語だから。貴族達も気がつくだろうがな」
「がんばる!」
「静子。無理はするなよ。貴族達の手前、お前に付きっきりでいるわけにはいかないからな。何かあればエセルに言え。エセルにもそう伝えている」
「うん。そうする」
静子が頷き、ライベルは安堵の息を吐く。
この一週間、彼女がどれほど努力してきたのか、彼は知っていた。疲れたあまり、食事の途中で子どもみたいに眠りそうになっていたときもあった。
無理をさせている自分の立場――王位から逃げることができない。
また逃げたところで、自分が他に何かできる自信はなかった。
そんな風な考えに没頭しているとエセルが呼びにきて、ライベルは王の執務に戻る。
王でしかない自分。王族という血筋で生かされている自分。
飾りでしかないことは自身が一番知っていて、それを全うするしかない。
彼にとって静子だけが、救いであり自分を認めてくれるように思えていた。
☆
ライベルが部屋を出て行き、まもなく盛装したレジーナが現れた。目の色と同じ緑色のドレスは彼女の赤髪にも映えていて。とても華やかだった。
「ふふ。私達から贈り物があるの」
彼女は嬉しそうに笑い、子供の様に後ろに隠していた小さな箱を取り出して見せる。
首を傾げる静子の前で箱を開けると、首飾りがそこにあった。
首飾りの中心になるのは柘榴石で、光を受け赤色に輝いていた。
初め見る装飾品で、この国の貨幣基準はわからないが、どう考えて高価に思え、静子はまごつく。
「受け取ってよね。娘ができたら絶対に宝石を贈りたかったのよ。仕立て屋にこれを見せられた時、もう商売人だと思ったけど、買っちゃったわ。だって、本当にあなたに似合いそうだったもの」
「あの、でも」
「付けてあげるわ」
動揺して口を魚のようにぱくぱくさせている彼女に構うことなく、箱から首飾りを取り出すとレジーナは彼女の背中に回った。
「パル。シズコ様の髪をちょっと上げて」
有無を言わせない彼女はパルに命じて静子の髪を少し持ち上げさせると、さっと首飾りをつけてしまった。
「まあ。本当にぴったりだわ!」
両手を合わせうっとりと見惚れられ、静子は完全に引いてしまう。しかもやはり首飾りはずしりと重かった。
「あの、やはりちょっと」
「だめ。もうこれはあなたのものなんだから」
あくまでも強引に言われ、静子も観念する。
けれども晩餐会が終わったらすぐに部屋に戻って大切に保管しようと心に誓った。