十五 エリーゼとレジーナ
「クリスナ様。ニール様がお戻りです」
「そうか。すぐに私の部屋に通すように。何か食べるものを用意してくれ」
「畏まりました」
マティス家に長く勤める白髪の執事は頭を下げると退室した。
「酒は今日はやめておくか」
そうつぶやき、羽ペンを手元で走らせていると扉が強く叩かれる。
「父上。俺だ。入るぞ」
元から作法は荒かったが、警備兵団に入りさらに拍車がかかっていた。それに少し頭痛を覚えながら、クリスナは入室許可を出す。
「急な呼び出しで、何かあったのか?」
挨拶もなく、ニールはソファに座り、そう言った。
「まずは父上戻りました、などと挨拶が先だろう?」
「……父上、ただいま戻りました」
クリスナに睨まれ、二―ルは立ち上がると口調を改め、頭を下げる。そうすると彼は満足そうに頷き、座るように促した。
「それで、」
「私は明日から王宮に通う」
「は?」
「私は陛下の補佐役に任命された」
「なんだって?」
補佐役は大臣達よりも上の立場で、今までの経緯を考えるととても信じられないことであった。
大体、現在外務大臣でありながらエセルがその役目をしており、クリスナに譲るとは思えなかった。
「驚いたか?」
「当たり前だろ」
「私も驚いた。だが、理由を聞いてみて理解ができた。陛下は私にシズコ様の後見人になってほしいのだ。そのための餌のようだ。まあ、もうひとつの理由もあるだろうがな」
「シズコ?あの黒目のことか?なんで後見人が必要なんだ?……もしかして」
「頭の悪いお前でもわかるか?そうだ。陛下はシズコ様を王妃にするつもりだ」
「王妃?あの黒目のお転婆が!?」
「お転婆?どういう意味だ?」
「あいつ、ライベルをそそのかして木に登らせたんだぜ?ありえないだろ」
「陛下が、木に?」
人形のように美しい王。それが木に登ったところを想像できず、クリスナは怪訝そうに口を歪める。
「まあ。度胸はあるがな。大丈夫なのか?」
木に登ったこと聞き、すこし衝撃を受けながらもクリスナは平静を保つ。
「レジーナを教育係につけることになった」
「は?母上を?危険じゃないのか?」
「……安全とはいいがたい。だが、シズコ様に近づくよい機会だ」
「エセルの野郎が何か企んでるんだろうな」
「お前、それを知っているか?」
「やはり。エセルなのか?」
父の問い返しにニールはしてやったりと笑う。
それを悔しそうに見て、クリスナは息を吐いた。
「私としたことが、簡単な誘導に引っかかるとは。まあ、いい。そのうちわかるはずなのだから。お前の思っている通り、陛下への襲撃、シズコ様への毒混入はエセルが全て裏で糸を引いている」
「昨日の陛下のお忍びはエセルが提案したことだった。しかも俺たちには知らせはなかった。奴なら絶対に警備兵団に先に知らせているはずだ。しかし奴はしなかった。それで俺は奴を疑った。だが、なぜだ?あいつはライベルを大切にしているはずだ」
「復讐だ。陛下だけではなく、この王国に」
「は?」
「エセルはこの国を混乱させるつもりだ。破壊したいかもしれないな」
「なぜだ?」
「エセルの妹、エリーゼ様は兄が殺したようなものだからな」
「どういう意味だ?」
「兄はエリーゼ様をほぼ無理やり王妃にされた。その上お子までな。あの兄が信じられなかったよ」
クリスナは、自虐的に笑った後、苦渋の表情を浮かべた。
☆
「首尾は上々……か」
エセルの屋敷、キシュン家は王妃を輩出した家柄だ。しかし元が低い地位だった上、跡を継ぐ予定のエセルがエイゼンに出奔したため、家は没落寸前まで傾いた。
しかし、エセルがアヤーテに戻ってきてからは持ち直し、今では王宮近くに屋敷を建てるほどだ。両親はすでに他界しており、屋敷はエセル一人。元から大きな屋敷ではなかったことが幸いして、使用人は少なくて済んでいる。
エセルの自室は執務室を兼ねており、使用人は掃除の際も彼の立会いでない限り、入室することすら許されていない。部屋には二重に鍵を掛け、窓も施錠しており、何人も寄せ付けないようにしていた。
屋敷に戻ったエセルは、今宵も自室に篭り作業をしている。報告書類に目を通し、書き留めていく。
ふいに蝋燭の炎が揺れ、彼は顔を上げた。
どうやって入ったのか、黒装束の男が扉の傍に立っていた。男は一礼するとエセルに近づき書類を渡す。
彼は書類に目を通し、頷いた。
「後は機会を逃さないようにすることだ。ハイバン。時期は恐らくニ週間後。準備を整えるように伝えろ。わかったな」
「はっ」
ハイバンと呼ばれた男は頷くと、部屋から煙のように消える。
「この一年、長かった。まさか、陛下に愛妾ができるとは思わなかったがな。葬る時はともに。それが私の最後の優しさだ」
誰もいなくなった部屋で、エセルはそう呟いた。
手元には金色のブローチが握られている。
「エリーゼ。お前はきっと私を許さないだろう。だが、私はこの国が憎くてたまらないんだ。お前を奪った王家。腐りきった貴族。王を神だと讃える愚かな国民。すべて滅びてしまえばいい」
彼の表情は歪み、苦悶に耐えるようだった。
小さな窓から空を見上げると、満月が夜を支配するように煌々耀いていた。
それは彼の行いを諌めるように思えて、エセルは逃げるように窓から離れた。
☆
「これはこれは、なんて可愛いいの」
静子と会ったレジーナの第一声はそれであった。
翌日、いつものようにライベルと朝食をとり、彼が執務室へ行くのを見送り一息つくと、レジーナが現れた。
林檎のような髪色に緑色の瞳の華やかな女性で、静子は圧倒されてしまい、言葉を失う。
しかしそれに対して彼女が注意することはなかった。
「私の髪色凄いでしょう。若いころは大嫌いだったんだけど、今は大好きよ。エリーゼ様とも同じ髪色だしね」
レジーナは呆然としている静子に気さくに話しかける。
「あなたの髪、艶があって綺麗ね。まさに夜の女王だわ。まあ。こんな可愛らしいのだから、夜のお姫様かしらね」
「お、お姫様?」
「そう。ドレスとかちゃんと作ってもらってる?ああ、今着ているものも可愛いけど、あなたにぴったりのもの用意したほうがいいわね。お披露目もあるんだし」
「お披露目?」
止めどなく話すレジーナの勢いに押されながらも、静子は置いて行かれないように聞き耳を立てる。
「そう。もうあなたは単なる愛妾ではないのだから。私たちマティス家の養女としてお披露目しなきゃ」
「養女?」
「そう、後見になるのだから、養女よ。娘が欲しかったから私は嬉しいわ」
養女になるなど、ライベルから聞かされておらず、静子は完全に混乱していた。
「レジーナ様。まずはお座りになられては?落ち着いてください」
パルがそう口を挟み、レジーナはようやく口を噤み、困った顔をしている彼女に気がついた。
「あら?私、先走りしちゃったかしら。ごめんなさいね」
口を押さえ、ほほと笑うレジーナに静子は戸惑いながらも、悪い人ではないことがわかり安堵していた。