十二 勘違い
「お二人ともご無事で何よりです」
全員を捕縛もしくは殺傷した後、ニールは片膝を折り、そう言った。
もはやライベルの身分は隠しようがなく、街でも噂になり始めた黒髪の愛妾の存在も公になってしまい、ニールは公式に対応する。
本日のニールは無精ひげによれよれの制服。
静子は先日王室であった口笛男とこの団長が同一人物だと認識しておらず、ライベルの隣で無礼がないように頭を下げた。
「ご苦労だった。王宮に戻りたい。馬車をこちらに運んできてくれ」
ライベルは不遜な態度で、淡々とそう口にした。
その態度に静子はちょっと反論したくなったが、彼の様子が本当にいつもと違ったので、ただ黙る。
「畏まりました。暫くお待ちください」
ニールはそう答えると、立ち上がり一礼を取ると部下に指令を出す。
彼は基本的にライベルには砕けた態度を取っている。
しかし、こうして大勢の前では、立場を弁え、一介の兵士としてライベルに接するようにしていた。
当初クリスナは大勢でなくても立場を弁えろとニールに説教していたのだが、ライベル自身がそのことを咎めたこともなく、彼の態度はそのままになっていた。
しばらく待っていると彼の部下が戻ってきて、ニールに報告をする。それを聞いてニールが苦い顔をした。
「陛下。お使いになっていた馬車は故障しており、修理に多少時間がかかります。こちらで新しい馬車を用意するにも少し時間をとりますので、警備兵団本部でお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「……よかろう。案内しろ」
ライベルは静子の手を握るとそう口にした。
☆
「さて、三人だけだな」
警備兵団本部では一番綺麗な来客用の部屋にライベルと静子を案内し、部下を退散させた後、ニールはがらりと口調を変えた。
テーブルには、一応高級なお茶の入ったポットとカップ、急いで用意したお菓子が置かれている。
「何も言うなよ。聞きたくない」
ソファにすわり、厳しい顔をしたままライベルはすぐにそう返した。
「いや。言わせてもらう。陛下のお忍びに関して何もこちらに報告はなかった。しかも、部下に聞いたが、木に登っていたって?」
「……報告は必要ないはずだが?俺が木に登ろうが、なんだろうが、お前たちには関係ない」
「王、王というのは置いといても、身なりのよい、しかも大の大人が木に登っていたらおかしいだろうが!」
「人の意見などどうでもいい」
「お前!」
「待って!それは私が悪い!」
二人のやり取りに居た堪れなくなり、静子はとうとう口を挟んだ。
「シズコ!」
「ごめん。ライベル。あと、そこの団長さん。私があの火を吹いている人のことをよく見たくて、勝手に木に登ったの。誘ったのも私だから!」
「シズコ!」
「驚いた!この黒目が言い出したのか」
「黒目?」
「シズコ、黙っていろ」
ライベルが強く制止すると、静子は口を噤む。
彼が怒っているのがわかり、理由はわからないが、口を出したことは失敗だったと反省する。
「ライベル。お前。前も思っていたけど、黒目に対して態度ひどくないか。その黒目、お前のことを心配してるだけだろ?」
「うるさい。お前には関係ない。あと、陛下と呼べ」
「陛下ね。はいはい。すみませんでした」
ニールの態度にライベルの怒りは更に膨れ上がる。
「馬車はまだ用意できないのか?馬でもいい。俺が静子を乗せて帰る」
「待てよ。あと少しだから。お茶でも飲んで待てばいいだろう。折角高いお茶を用意したんだぜ」
「ふん」
少し大人気ないと感じたのか、ライベルはソファに深く座り込んだ。
隣の静子はどうしていいかわからず混乱していた。
「黒目も。飲んだら?ああ。お茶はだめか?だったら、蜂蜜茶でも飲むか?」
「蜂蜜茶!」
大好物になってきているお茶の名前を出され、静子は思わず声を上げてしまう。
「好きか?用意させる。待ってろ」
そんな静子に笑いかけ、ニールは立ち上がる。
彼女は蜂蜜茶が飲めると喜んでいたが、その隣でライベルはその緑色の瞳に影を落としていた。
☆
「ライベル?」
新しい馬車を用意され、二人は乗り込む。警備はニール担当だ。念のため、王宮まで団長自らが警護することにしていた。
蜂蜜茶を飲んだあたりから、さらにライベルの機嫌が悪化。理由が本当に思い当たらず、静子は甘くて温かいお茶を飲みながらも心は冷えたままだった。
「陛下!」
王宮の門をくぐり、二人が馬車から降りるとエセルが出迎える。
ニールは任務を終えたとばかり、一礼をすると四人の部下を引き連れ街に戻った。
「ご無事で何よりでした!」
心底安堵したような表情のエセルに対して、ライベルはむっつりと不機嫌なままだ。
「エセル。今日は疲れたから休む。執務はすべて明日に回してくれ」
「陛下?」
ライベルは有無を言わせぬ勢いで、足早に立ち去る。
その背中にエセルは深く頭を下げ、静子は慌てて後を追う。
「ライベル!待って」
「ついてくるな。お前も今日はゆっくり休め。疲れただろう」
「ライベル!なんで?」
言葉は普通。
しかし声は低く、怒っているのは明白で、彼女は彼の腕を掴んだ。
「わからないか?」
「何が?」
緑色の瞳が剣呑な光を帯び、ライベルが逆に彼女の手首を掴む。静子が驚いて彼の腕を離し、ライベルは手首を掴む手に力を込めると、歩き出す。
「ライベル。いたい!」
そう言っても彼が離すことはなく、王室へたどりつく。
扉を守る近衛兵が一瞬驚いた顔をしたが、ライベルはそのまま静子を部屋に引きずり込んだ。
「誰も通すな」
扉を閉める前にそう命じて、彼はやっと彼女を解放した。
「ライベル?何で怒ってるの?私が何かした?それとも別のこと?」
「本当にわからないのか?」
ライベルは大きく息を吐き、金色の髪を掻き揚げる。
「俺の前でニールを見るな。話すな」
「ニール?誰それ?」
ニールという名前と顔を結びつかず、静子は眉を潜めた。
そうして、先日ライベルが倒れた時に部屋にいた口笛男を思い出す。
「あの変な人。あの時以来話してもないよ?なんで」
「……今日というか、今先ほど話していただろう?うれしそうに蜂蜜茶を飲みやがって!」
「蜂蜜茶?ええ?あの団長さんがニール!」
ライベルに言われて静子は団長と口笛男の顔を比べる。
「あ、一緒だ。気づかなかった!」
「……お前、わからなかったのか?」
「うん。だって、名乗らなかったし。そういえばあの人、私のことずっと黒目って呼んでた。うわ。頭にくる!」
急に怒り出した静子に、ライベルは自分の勘違いに気づかされ笑い出す。
「どうしたの?」
怒っていたはずなのに急に笑い出した彼を、彼女は心配になった。
「なんでもない。俺は愚かだな」
「え?どうして?」
「俺はお前がニールに気があるのではないかと、疑っていた。お前はずっと俺の傍にしかいなかったからな。新しい男、しかもニールは俺と違って体格がいい。しかもあいつはよく人に好かれる」
ライベルはいつもニールに対して劣等感を持っていた。なので、静子がニールと親しげにしている、それも勘違いであるのだが、それを見るたびに怒りが増幅していた。
「ライベル。ライベルはライベルだよ。私が好きなのもライベル。あのニールだっけ。確かにライベルと同じ髪で綺麗だと思うけど、なんか変だし。話すなっていうなら、もう話さないようにする。見るな、も多分できる。だってもう会うこともないと思うし」
静子はライベルに一生懸命そう説明する。
彼はなぜかわからないが、ニールのことが嫌いのようだった。
彼女もニールにいい印象がないので、当然ライベルの言葉を聞く。
「静子。お前は本当に可愛いな」
そんな彼女の様子にライベルは先ほどの怒りが嘘のように消えていることに気がつく。
「可愛い?」
「ああ。とても」
ライベルは見上げる静子をそのまま腕の中に閉じ込めた。
「ラ、ライベル?」
戸惑う彼女に構わず、その漆黒の髪を掬い唇を落とす。
「愛している」
そう囁かれ、静子は自然とライベルの背中に手を回した。