九 忠誠の行方
「何か騒がしいけど」
急に外が騒がしくなった。
人の声、慌しく廊下を走る音。
「様子を見て参ります」
パルはそう言って立ち上がり、部屋を出る。すぐに戻ってきた彼女の表情が少しだけ硬く、何か異変があったことを静子は悟った。
「何があったの?」
「陛下がお倒れになりました」
「ライベルが!」
静子にも一応はライベルの地位を考えるくらいはできていた。
無作法に王室を訪ねたことはない。
しかし今回ばかりはすべてを無視して、パルの制止を振り切り、隣の部屋へ飛び込んだ。
静まり返った王室の中を進み、奥の部屋を覗くとまずは知らない顔が二つ、視界に入る。
扉から顔を出した静子を見ると、中年男性は眉を顰め、もう一人の若い方は間抜けな顔で驚く。
構っていられない彼女は、ベッドの上にライベルの姿を見つけるとすぐに傍に駆け寄った。
「ライベル!」
「お静かに」
薬師にそう注意され、彼女は頭を下げると静かにライベルの容態を探る。
顔色は普通で、寝息も安らかだった。
「……精神的苦痛と疲れからくる失神だと思います」
「それは何かの病なのですか?」
ふいに背後から声が聞こえ、静子はやっと背後にエセルがいたことに気がつく。薬師に向ける視線は鋭く、口調もいつもより厳しい気がした。
それで彼女はやはりエセルはライベルを心配していると、安堵する。
「いえ。一過性ものです。昨晩はシズコ様の傍にずっとついて、よく睡眠をとられていなかったようですので」
少し言いづらそうに、だが薬師は彼の疲労の理由を説明する。
それを聞き、静子は少し頬を赤らめる。
しかし不謹慎にもからかうような口笛が聞こえ、彼女は口笛の主に睨み付けた。
ライベルと同じ金色の髪、空のような瞳で凝視されたが、怒りが勝り彼女はニールを睨み続ける。
「んっ」
不意にベッドから微かな声がしたので、静子は彼から視線を外し、ライベルに目を向けた。
金色の長い睫が揺れ、目がゆっくりと開く。
緑色の瞳が自分を捉え、静子は嬉しくなった。
「ライベル!」
「静子」
ライベルは手を伸ばし、彼女の手に触れ、その暖かさに安堵していた。
しかし傍に薬師、そしてエセル。壁際にクリスナとニールの姿を確認し、体を起こした。
「ライベル!」
寝起きで突然体を起こすのは体に負担をかける。
小さいときからそう言われてきた静子は彼を支えるようにその体に触れた。
「どうして、ここに。静子は部屋に戻れ」
「ライベル!」
急に冷たい言葉をかけられ、彼女は戸惑う。
「おい、おい。その言い方はないだろう。彼女、本当にお前のことを、」
「黙れ!エセル。静子を部屋に」
「畏まりました」
「ライベル……」
なぜ自分だけ部屋に追いやられるのかわからず、静子はライベルに縋るようにその腕に触れた。
「エセル!」
「さあ、シズコ様」
彼女はライベルの腕から手を離す。
そしてエセルに導かれるまま、部屋を後にするしかなかった。
☆
「それでは本日はお部屋からお出になりませんように。パル。しかと頼みますね」
自室に連れ戻されたエセルはそう言うと少し急ぎ足で退室した。
「なんで?」
ライベルの怒りが理解できず、静子はその場に座り込んでしまった。
「どうかされましたか?」
パルが隣にきて、しゃがみこむ。
「ライベルが、怒ったんだ。私が部屋にいたことが気に食わなかったみたいで。なんで?私、心配だったからいてもたってもいられなかっただけなのに!」
自分の気持ちを吐き出しながら、静子の中の悲しみが怒りに変わっていく。
「心配しちゃいけないの?だって、だって、友達、友達?」
彼を心配する理由を口に出そうとして、「友達」という言葉に違和感を持つ。
それではライベルへの思いはなんなのだと考えてみるが、答えは出なかった。
黙ってしまった静子の背中に手を添え、パルは彼女の顔を覗き込んだ。
「陛下はシズコ様が心配なのです。誰にも傷つけられてほしくないのです。だから、クリスナ様達がいるお部屋に来てほしくなかったのではないでしょうか?」
「パル?」
琥珀色の瞳が泣きそうな顔の静子を映している。
「陛下はまだクリスナ様達を疑ってらっしゃるようですから」
そう言うとパルは顔を背け立ち上がった。
「お茶にしましょう。蜂蜜茶はいかがですか?甘くて体も温まりますよ」
「蜂蜜!」
以前父親が徴兵される前に山で取ってきた蜂の蜜の甘みを思い出し、静子は現金にも顔を上げる。
ライベルの態度には納得がいかなかったが、彼への信頼がそう簡単に揺るぐわけがなかった。またパルに説明されてなんとなく理由もわかった気がしていた。
「椅子に座ってお待ちください。すぐに用意させますから」
彼女に肩を貸し、椅子に座らせてからパルは部屋の扉を開ける。しかし、すぐに戻ってきた。
「ヘレナが持ってきます。それまで何か読みましょうか?」
パルは静子に姉のように接した。
その態度が従姉妹のタエに重なり、懐かしくなる。
「どうかしましたか?」
「なんでも。じゃあ、さっきの続きをお願い」
「畏まりました」
静子の素直な態度にパルは微笑むと、テーブルの上に本を広げ、再び読み始めた。
☆
「それでは、この愚息への嫌疑は晴れましたかな」
「ああ」
ベッドの上に座ったままのライベルにクリスナは大仰に尋ねる。
それにぶっきらぼうに答え、ライベルは横を向いた。
謝ることなどけしてしないと彼は決めていた。
「ニール。陛下に忠誠を」
「は?」
「ニール」
壁際でぼんやり立っていたニールをクリスナが睨む。
「はいはい」
小さく息を吐くと彼はベッドに近づき、片膝をついた。
「私、ニール・マティスは死する時まで陛下に忠誠を尽くすことを誓います」
「……わかった」
ライベルがベッドに座ったまま乾いた声で答える。
クリスナは頷き、エセルは無表情にその光景を眺めていた。
そうしてこの事件は静かに幕を閉じたが、第ニ継承権者で、警備兵団団長でもあるニールを無罪で拘留するなど王に対する不信感が漂い始め、問題は解決したとは言えなかった。