07
大器晩成互助の会と我々はにらみ合った。にらみ合うしかなかった。吾輩は下手に事を起こして富田君の体にどさくさで彼らが触れることを良しとしなかったからだし、富田君も少女となった吾輩の肉体に男たちが触れることを憂慮しているようであった。一方、互助の会も長年かけてこじらせた紳士っぷりとヘタレっぷりが邪魔をして吾輩たちに指一本触れることができない。
吾輩はどっかと畳の上に胡坐をかいて座り込む。八月にもなれば灼熱地獄となる京都の蒸し暑さ。七月で幾分マシとは言え、閉め切っている部屋では地獄と変わりない。吾輩は額に汗を滲ませながらこの状況を打破する案を練り続けた。
――練りに練った卑劣な策であればあるほどいい。
そんなことを考えながら、少しでも涼をとるためにワンピースの裾を煽いで風を入れていると、ちらちらと吾輩の股間に男どもの視線が集まるのを感じた。そんなに吾輩からディックが逃げ出したことが興味深いのであろうか。吾輩が若干の不快感と共に相手をにらみつけると男どもは視線を逸らす。だが彼らの視線はすぐに吾輩の股間に戻るのであった。
「先輩。いけません」
富田君が吾輩の手首を取り、耳打ちをしてきた。「パンツが見えているようです」
「吾輩の下着を見ても楽しいことなど一つもあるまいに」
「先輩、自覚なさってください。先輩は現在、頭に美がつく少女なのです。そんな少女をモノにするためならば万難を排す努力を惜しまぬ人物もいるでしょう。いえ、います。そんな外道から身を守るために純白下着は衣服の内と私の胸の中に秘めておくべきです」
乙女にじろりと睨みまわされ、男たちがざわついた。
「彼らは吾輩から逃げだ出したディックに思いを馳せているのではなかったのか」
「何を阿呆なことを言っているのですか。それもないとは言い切れませんが、彼らの目の据わりっぷりをご覧ください。根源的な恐怖を感じませんか?」
なるほど。言われてみれば彼らの目線は吾輩に得体のしれないぞわぞわとした悪寒を感じさせる。そして、その鼻息の荒さ。吾輩の経験則から察するに衣服の向こう側にある秘密の色や形を想像して興奮しているのであろう。誰の下着か。彼らの目線を追うに吾輩である。端的に言って気持ちが悪い。
よって吾輩は乙女の指示に従って、正座の形へと座りなおした。多少窮屈ではあるが、自分の体を張って桃色サービスを男どもに提供するよりも随分とマシである。
しかし――。
「純白下着という情報を公開することはなかったのではないか? 目の据わりっぷりが増強された気がするのだが」
「すみません。先輩のことをこれだけ知っているのです、という優越感を味わいたくて……つい」
○
ただでさえ閉め切られて蒸し暑い変則的九畳間は、遠慮と緊張と下心が交差して異様な熱気がこもっている。富田君の忠告に従い、身を守るためにスカート煽ぎを封印した吾輩は、その熱気から逃れるために麦茶を呷る。初めのうちこそ、一服盛られているのではないかと警戒したが、彼らも色々こじらせたとはいえ根っこは紳士。数か月前までの吾輩と同人種である。勝手知ったる安心感があった。熱気の中、コップに水滴を浮かせる麦茶はまるで天国の水のようにうまかった。
で、あるので次に起こった吾輩の肉体の変化はいわば不可抗力である。
人間というものは暑ければ体温調節のために汗をかく。そうして失われた水分を我々は経口補充する。そのために吾輩は麦茶を飲んだ。蒸し暑い中で飲む麦茶はとてもうまいので、必要以上に飲んだ。飲んでしまった。汗として排出しきれないほどに過剰に摂取された水分を肉体はどのように処理するか。言うまでもない。
つまりは吾輩は本日二度目の尿意に襲われているのだ。二十になんなんとする成人男性として、衆人環視の中、小便を漏らすことなどまかりならぬ。便所に行くべし、と立ち上がると行く手を阻むように男たちが、吾輩を取り囲んだ。
「どこに行くつもりか?」
「便所だ」
「では私もお供をいたしましょう」
富田君がすっくと立ち上がり、吾輩と男たちの間に割って入る。
「待て、トイレくらい一人でできるだろう」
「お言葉ですが」と乙女は食って掛かった。「先輩は本日、女の子となったばかりなのです。方法を誰かが教えて差し上げる必要があるでしょう。その役目に適任なのはこの場で唯一の女であり、処理方法に精通している私だけではないですか。もし異論があるならば前へ。あふれ出るほどの性欲に任せて収集した、あふれ出るほどの性知識を持つ変態との烙印を押して差し上げます」
富田君の言葉に大器晩成互助の会メンバーは一様に怯んだ。確かに彼らは、先ほどまで吾輩の――今は少女であるといえ元ゴリラである吾輩の――神秘部分を垣間見ようと目を凝らしていたとんでもない男たちである。しかし、男にはここぞという時には敢えて変態的行為を辞さない気概も必要だが、決してこの薄汚れた青春がわだかまっているアパートの一室で発揮するものではない、との変態的TPOとマナーを兼ね備えている男たちでもあったようだ。逃げられないように、と共用便所の前で待機するという妥協案を提案し、吾輩たちはそれを受け入れた。
○
廊下の最奥。共用便所に案内された後、吾輩と乙女は二人だけでその中へと足を踏み入れる。尿意を感じているとはいえ、今朝ほどの一刻の猶予もないという切羽詰まった緊張状態ではない。多少の余裕をもって吾輩は乙女に向き合った。「一人でできるから、外に出ていてくれないか」と。「わかりました」と乙女は答えた。
「ですが後始末はしっかりしてください。今は夏なのでこれを怠るととんでもないことになります。とくに匂いが」
「……了解した」
吾輩は薄い扉で仕切られた個室内に入り、変則的九畳間にうごうごしている大器晩成互助の会メンバーの顔のように薄汚い和式便器にまたがる。あまりに羞恥的な格好であるため、描写は差し控えるが、男たるもの、ワンピースを持ち上げ股間部分を大きく広げてしゃがみ込むなどと。さらに小便をするためだけだというのに、下着をすべて下さなければならないなどと。ディックという外部にさらされた弱点がないとはいえ、これではあまりに無防備である。無防備であるためさっさと済ませてみようかとも思ったが、どうにも勝手がわからない。
気張るべきか。力を抜くべきか。出てくると思しき場所を両手で結んで開いて手を打って結んだりしていると、やがてちょろり、といった具合で何かが出た。それが呼び水となったのか水音を響かせながら、出すべきモノが解放感とともに体の外へと流れ出ていく。今朝初めてのニョータイムは抜き差しならない状況において行われた突発的なものであったため思いを巡らせる時間などなかったが、現在、準備万端な状況においてのこれは今朝のモノとは比べ物にならないほどの屈辱羞恥頽廃背徳感である。
その感情にくらくらとする頭をどうにか支えながら、やがて尻のあたりに流れ落ちる滴の感触に羞恥の時間の終わりを知った。知ったが――これからどうすればいいというのか。富田君は後始末をしろと言っていたが、どうすればいいというのか。吾輩は――富田君の言葉を借りるならば、あふれ出るほどの性欲に任せてあふれ出るほどの性的知識を収集するような性欲魔人ではないのだ。
だが吾輩には頭脳がある。たとえ筋肉でできていると揶揄されたものであっても頭脳は頭脳。さらには現在吾輩は名高き『考える人』のポーズをとっている。どのような行動をとるべきか、背徳的ながらもどうするべきかに思い当たった。トイレットペーパーを駆使し、いずれ乙女となるであろう少女の神秘部分に優しく当てるべきなのであろう。吾輩は断固たる決意のもと、天の采配に従った。
男がこのような行動をするという羞恥に耐えてよくやったと涙を禁じ得ない。されど誰からも称賛されるはずもない行動を終わらせ、個室から出ると富田君が便所の窓ガラスを外して「では脱出です」の言葉と共に待機していた。
ネットの調子が悪いので更新ペースが落ちています。ごめんなさいね。