06
犬も歩けば棒に当たるし、ゴリラも歩けば悪罵に当たる。
ならば乙女と少女が歩けばどうなるか。計測できないほどの可愛らしさと純真無垢さが化学反応して、理解不能の事態を引き起こす。
四条通を東に折れ河原町へと流れていく煙に追いつくこともできず、阪急駅大宮駅前でへたり込んでひいひいと息を上げている吾輩と、吾輩にミネラルウォーターを差し出す乙女の前には、ひどく不気味な顔をした男二人組が立っていた。二人とも薄汚い青春を送ってきたような顔をしている。つまりは数か月ほど前までの吾輩と似たような雰囲気をまとっている。ここまでは理解できないこともない。富田君は端的に言って「世界一可愛い」といっても過言ではない黒髪の乙女であるる。通常の男ならば興味を示すこともあるだろう。
だが。
「相川と富田君か」
眼鏡をかけた男がそう言った。単に乙女と少女にナンパをするのであれば名前を知っているはずもない。仮に彼らが乙女である富田君を付け回す変質者であっても、本日少女となったばかりの吾輩の姿を見て相川だと断ずることができるはずもない。「その通りですが、何か御用ですか」との少し怒ったような富田君の質問に、もう一人の男――こちらはボサボサ髪である――が「大人しくついて来てもらおう」と答える。
「いやです。お断りです。私たちには大事な用事があるのです」
「ならばこそ」眼鏡が芝居がかった口調で言う。「ついて来たほうがいいんじゃあないかい」
「相川の」ボサボサ髪が引き継いだ。「ちんこに関することだからね」
「ディッ……ク……だと……」
詳しく問い質したいが、いまだ息は整わない。そんな吾輩をちらりと見下ろし、
「その通り! 君はちんこに逃げられて大変往生しているらしいね」
「僕たちは君たちと同じ大学の生徒だ。仲間が困っているのに見過ごすことなどできないよ」
彼らは吾輩たちに手を差し伸べてきた。だがいかにも怪しい。吾輩が女性に声をかけただけで、警察に通報されるようなこのご時世。白昼堂々と変質者と社会に公言するような行為を、彼らのような紳士をこじらせたような男たちが進んで取るはずもない。後姿をあてどもなく追いかけ続けるのが精いっぱいのはずだ。
しかし、そのいかにも怪しげな手をとった者がいた。富田君である。
「わかりました。あなた方についていきましょう」
「おいおい」吾輩と男たちの声が重なった。「正気かい? いやこちらとしては願ったりなのだが」
「手がかりは文字通り風と消えました。ならばここは危険に飛び込むのも一つの手です。もしもの場合はその時に考えましょう。もはや私たちに時間はあまり残されていないのです」
「そ、そうか。いや良かった、これでこちらも強引な手段をとらずに済むというものだ」
と言いながらも、眼鏡は路上駐車していた車の後部座席の扉を開け、吾輩たちに乗り込むように指示をしてくる。
「強引な手段とは何だ?」
「考えているわけないじゃないか。治安の悪化、人心の荒廃が叫ばれる昨今、女性に声をかけるだけで変態助平人間失格とのそしりを受けるのだ。言ってみたいセリフの一つだから言ってみただけだよ」
○
彼らの運転する車に乗せられて辿り着いたのは出町商店街の近くであった。昼前に出発した富田君のマンションから五百メートルも離れていない。壮大なすごろくをさせられている中、ふりだしに戻る、と宣告されたような気がして吾輩は気分を暗澹とさせた。吾輩たちを降ろした後、ボサボサ頭が我らを路地の先へと案内する。その先には古い建物があった。
案内されたのは、これまた年代物のアパートである。茨木先輩の住む三条会商店街近くのアパートも古いが、この出町商店街裏のアパートはそれに輪をかけて古い。いっそアパートと呼ぶよりも廃墟と呼んだ方が見る者も聞く者も納得する。こんな場所に人が住んでいるのかとも疑問に思ったが、玄関に脱ぎ散らかされている大量の草履やらスニーカーを見るに人がいることは確かであるらしい。ボサボサ頭に差し出されたスリッパに履き替えて、先導に従い奥へと目指す。そうして連れられて入ったのは四畳半と四畳半をぶち抜いた変則的九畳間。そんなおんぼろアパートの一室の壁沿いに男たちがぐるりと幾重にも座っていた。どいつもこいつもひどく縁起の悪い、青春を絞りそこなった残りかすのような顔をしてる。そして不気味な男たちの中、一際貫禄とどんよりとした雰囲気のある面長の無精髭を生やした男が部屋の中心に座っていた。おそらくはこのおそるべき変態たちの長であろう。無精髭は部屋に招き入れた吾輩たちを満足そうに見て一つ頷くと、
「ようこそ『大器晩成互助の会』へ。同じ大学のよしみだ、仲良くしようじゃないか」と言った。
腐れ大学生とはとかく阿呆な生き物である。朝まで酒をかっくらい、大学の講堂で鍋をつつき、残りの時間を朝寝と昼寝と夜寝に費やす。そうやって有り余るほどの時間の無駄遣いの極限に挑戦しておきながら、薔薇色のキャンパスライフというものを目指した挙句に挫折する。どうせ薔薇色のキャンパスライフを手に入れられないのならば、せめて無意義な学生生活をどのように謳歌するべきかについて考察すればいいと思うのだが。
そんな阿呆たちの中でも『大器晩成互助の会』と呼ばれる大学非公認サークルは『仙術研究会』と並び立つ、一際図抜けた阿呆どもの集まりであった。『大器晩成互助の会』とは、幼少の頃より大器晩成と言われ続け、ついぞ自らの正当なる価値を受け入れることのできなかった器のちっぽけな腐れ大学生どもの集団である。一説によれば戦前から続くとされるこの地下組織、他人を蹴落とし相対的に自分たちが成功する確率を上昇させるというみみっちい活動目的を掲げており、彼らの通った後には、修羅場の炎を燃え上がらせる怪文書や、恥ずかしい秘密の号外暴露新聞、決定的に足りない単位を抱えた学生たち、赤い糸を千々にちぎり捨てられたカップルどもだけが残るという。
――そんな極めつけの阿呆たちがなぜここに?
吾輩のそんな内心の疑問に答えるかのように、会長と呼ばれた男は再び口を開いた。
「まあそこに座りたまえ。君たちの話は聞いた。気持ちはよーくわかる。だから手助けをすることにしたんだ」
そう言って、にこやかに吾輩たちに麦茶を勧めてくる。だがそんな彼に笑顔を返すこともなく「誰の手助けをするのですか?」と、富田君が口を開いた。
「あなた方の言葉には主語も目的語もさっぱり抜け落ちています。およそ半年にも満たない大学生活ではありますが、私は一つの発見をいたしました。およそ私たちの学校において、八割は阿呆か外道です。残りの二割は阿呆かつ外道です。聖人君子のような方もいらっしゃいますが、そんなものはツチノコよりも希少種です。一パーセントにも満たないでしょう。そしてここにいらっしゃる相川先輩は、数少ない聖人君子。ならば人口に膾炙して、あなたたちは阿呆か外道、もしくは両方です。ならば何を企んでいるのでしょう?」
「まさか――お前たちはディックの手先か!?」
吾輩の言葉に「くっくっ」と会長はにこやかな笑みをいびつに歪めた。「手先ではない。同志だ」
「我らは皆、薄汚い青春を送ってきた。薄汚い下宿先で飯を喰い、勉強し、桃色脳内遊戯に励んできた。ゼロ円のスマイルに心ときめかせ、たまの人との交流など居酒屋で同じような薄汚い青春を送っている同志と酒を呷ることくらいだ。だが、そんな我々といつも共に居てくれる友人がいた。それがちんこだ。お前も男であったのならばちんこの懐の深さは理解できるだろう。雨の日も風の日も桃色遊戯にいつでも付き合ってくれるその寛容さ!! そんな友人に報いる絶好のチャンスをお前は棒に振ったという。縦横無尽に活躍したいという彼の望みを踏みにじったという。本領を発揮する機会を奪ったという。このちんこに対する裏切り者め!! ならばちんことの無二の友人である我らが取るべき行動はただ一つ。ディックをお前から解放するための手助けをすることだ!!」
「嘘をつけ」吾輩は答えた。「吾輩と乙女のカップルを破綻させ、お前たちが取りあうパイの数を増やそうという魂胆だろう。底の浅いお前たちの考えなど手に取るようにわかる」
「そんなことはどうでもよいのです。ディックさんと接触をしたのですね? であるのならば彼の行き先を教えていただきましょう」
「お断りだ。これは聖戦だからね!!」
互助会長がそう高らかに宣言すると、吾輩と乙女の周囲をむさ苦しい男どもが取り囲む。
「貴様ら!! 何をするつもりだ!?」
「別に何もしやしないさ。ただディックのためにお前たちの足止めをするだけだよ」
「吾輩はともかく、乙女をこんな大人数の男どもで取り囲むなどと!! 紳士の風上にも置けないやつ!! 恥を知れ!!」
「締め切った部屋の中に風上も風下もあるものか。それに輪をもって貴しとなすと言うではないか。ならば乙女と少女を囲む輪を作ることになんの問題もあるはずはない」